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昭和10年代後半、大学生でさえ召集されたあの時代に五体満足で健康な20~30代の男子で
戦争に行かなくて済んだのはどんな人達なんでしょうか?
わざと徴兵回避して村八分になった人達を除いて召集されなくても
堂々としていられた人達の場合です

A 回答 (11件中1~10件)

『軍事板常見問題』のキャッシュより


http://mltr.free100.tv/index02.html
(現在、上記サイトの項目が閲覧できないので…)
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08k …

【質問】軍に召集されなかった人には、どんな人がいますか?

【回答】旧日本陸軍に於いて、召集を担当するのは、各県にほぼ一つ配置された連隊区司令部です。この連隊区司令部で、参謀本部、陸軍省と言った中央が決定した動員計画に基づき、該当者を召集令状を作成します。
 これは、充員召集令状と言い、前年度に作成し、予め警察署に保管、動員令が下令されると発行するものです。
 また、中央とは別に、その地区を管轄とする師団から、戦死、戦傷、戦病などの要員で人員の不足があった場合、管轄地域で召集令状を発行しました。
 これを、臨時召集令状と言い、師団毎に随時作成されています。
 比率から言えば、日中戦争勃発後、後者の令状が多く発行されています。

 この発行の基礎資料になったのが、各市町村役場の兵事課から提出された在郷軍人名簿です。
 これには軍隊の経歴、召集回数、健康程度、家族関係、思想関係、治癒見込(病気の場合)などが記述され、このほか体格等位に徴兵検査の結果を記入、役種に兵役種類が記入され、更に特・分業、特有の技能が記入されています。

 充員召集令状を発行する場合、特・分業、特有の技能に注目し、中央が作成した動員計画の必要技能召集する部隊の練度、任務の軽重なども勘案して、召集を決定します。
 他に、体格等位、健康程度などを重視して必要兵を抽出していきます。
 海軍の場合は、更に思想関係も重要視されたようです。

 さて、召集記録の欄の末尾に「召集延期者」略して「召延」という朱印が押されると、召集対象外となり、召集令状は来ることがありませんでした。
 これには甲、乙と二つの区分があり、甲は絶対召集しない人、乙は人がいない時に初めて召集対象となる人です。
 この召集延期の制度は昭和2年から開始され、制度が年ごとに拡大していっています。
 ちなみに、この規定は、陸軍動員計画令(永年動員計画令)に記載されたものです。

 例えば、1943年当時の戦時召集延期者は以下の通りです。

1.侍従、侍医、東宮傅育官、皇宮警察官吏、皇宮警察部消防夫
2.陸海軍部隊に在職し余人を以て代うべからざる者、及び特種の雇用人、工員にして必要欠くべからざる者
3.鉄道又は通信業務に従事し、必要欠くべからざる者(一般国民対象)
4.船舶(50t以上のもの)乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
5.民間航空乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
6.国土防衛に直接関与する業務に従事し必要欠くべからざる者
7.陸軍大臣の指定する工場又は事業上に従事し必要欠くべからざる者(一般国民対象)
8.都道府県、地方事務所、警察署、市区町村の官公吏にして兵事事務を主管する者各一名(一般国民対象)
9.帝国外の地に於いて執務を執行する帝国官吏中、必要なる者、並びに外地最高司令官、朝鮮台湾軍管区司令官
10.帝国議会の議員
11.国民学校教員中必要なる者(一般国民対象)
12.上記の外、国歌総力戦遂行の為に緊要なる業務に従事する者にして、必要欠くべからざる者

 つまり、一般人は輸送、通信関係の職員、陸軍大臣指定工場技術者、兵事係などの召集業務担当者が全面的に免れ、教師も一部が召集対象から外れています。
 また工場の熟練労働者も対象となっています。
 但し、工場などに於いてその選出は各工場に任されていた為、工場幹部の親戚が事務屋として入っていて、召集延期者として選出させた事例もあります。
 この場合は、発覚すると即座に召集されるようになっていました。

 1944年からは、臨時召集延期制度が始まります。
これは、航空機工場、特に重点機種(疾風とか飛燕とか言った戦闘機、飛龍などの爆撃機)の生産従事者は全員この対象となって、召集を延期されています。
 また、これ以外の航空機生産従事者、交通関係従事者、鉱山技師、炭坑夫、造船関係従事者、特攻兵器製造従事者は、例え徴兵検査で入営することが決まっていても、一定期間その入営を延期する「入営延期制度」対象者となっています。
 この制度も1944年から開始されています。

 これより先、1943年3月からは、既に入営した人で、軍需生産に必要な人でなおかつ、「軍の統率、団結、軍の士気上差支えなき範囲内に於いて」召集解除し、職場に復帰させると言う「特別召集解除制度」がありました。

 また、本土の食糧不足が深刻化していた1945年には、根刮ぎ動員があった反面、「召集要考慮制度」というもので、軍需生産だけでなく、農林水産業従事者も対象にしています。

 これらの総数がどれくらいあったかと言うと、召集延期制度が、1941年には10万人程度だったのが、1945年には85万人、臨時召集延期制度は不明、入営延期制度は、1944年で20万人、1945年で6万人、特別召集解除制度は1943~45年で4。3万人、召集要考慮制度は160万人が対象となっています。
 戦時中の在郷軍人数は約500万人、召集要考慮制度を除くと、総数で115万人以上に上っています。
 また、充員召集計画で召集令状を発行されていたのに、その充員召集計画自体が取りやめとなった為、結果的に召集されなかった人も多かったようです。(眠い人 ◆gQikaJHtf2)

うちの母方の祖父。福井出身で戦争当時大阪にいた。
薬剤師だったので徴兵されずに済んでいた。(戦局が悪くなっても製薬する人が内地に必要だったので)

 休みの度に薬をたくさん持って福井に帰り、薬を配って換わりに越前米をもらう。
 ↓
 福井から船でまだ稲作技術が発達していない北海道へ渡る。
 ↓
 米を売ってお金に換えて大阪に戻る。

と、いうのを延々とやっていたそうです。(生活板)
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この回答へのお礼

ご回答様の解説で疑問が解けました

感謝いたします

お礼日時:2007/05/13 21:50

私の父は医師でしたが、戦争中は医学生で徴兵の対象にはなりませんでした。

卒業すれば軍医になったかもしれませんが、その前に終戦になってしまいました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/05/13 21:47

一口に言えば


「身体精神上の条件が不足して兵役に耐えられないと認められた者」
徴兵検査
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B4%E5%85%B5% …
で「丙種」以下とされた人。
「理科系の大学生・専門学校生・高等学校生」
「上記のいずれにも該当しないが運の良い人(人為的に幸運を得た人も含む)」
です。

No4さんが「学生でそのような特典が停止されたのは、学徒動員令がでてからです」と言われていますが、学徒動員令という法令はありません。

学徒出陣というのは、「文科系」の大学生・専門学校生・高等学校生等を対象に、

兵役法
http://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hs02-47.htm
第四十一条 中学校又ハ中学校ノ学科程度ト同等以上ト認ムル学校ニ在学スル者ニ対シテハ本人ノ願ニ依リ学校ノ修業年限ニ応ジ年齢二十七年ニ至ル迄徴集ヲ延期ス

の適用を

在学徴集延期臨時特例(昭和18年勅令第755号)
http://www.geocities.jp/nakanolib/rei/rs18-755.htm
兵役法第四十一条第四項ノ規定ニ依リ当分ノ内在学ノ事由ニ由ル徴集ノ延期ヲ行ハズ

として解除したものです。

理科系の学生は、在学徴集延期臨時特例の対象外で依然として徴集を猶予され、卒業後は技術士官もしくは軍医士官として比較的安全に戦争に参加することができました。戦時下では、そういうわけで理系を志願する学生が急増したようです。

元警察官僚・作家の佐々淳行氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85% …
の兄の佐々克明氏は、終戦時には新潟医大で医学を学んでいました。終戦後、直ちに東大法学部に転じ、東大卒業後は自治省と朝日新聞社と両方に内定して朝日新聞社に入社しています。医学に全く未練を残さずに東大法学部に移ったようですから、佐々克明氏が新潟医大に進学したのは徴兵逃れのためと思われます。こうした例は他にもあったでしょう。

さて、冒頭の「上記のいずれにも該当しないが運の良い人(人為的に幸運を得た人も含む)」
についてですが、
「証言・私の昭和史」(東京12チャンネル報道部編)
という昭和40年代に編集された全6巻の叢書がかつて発行されており、その3巻に
「召集令状・一銭五厘の命」
として、「昭和18年から名古屋連隊区司令部で動員業務に従事」した神戸達雄という人の証言が残されています。それによると、
「誰を徴兵するかは、連帯区に備わった兵籍簿という名簿を用いて私たちが決定した。誰を選んで誰を選ばないかについて、上役から指示を受けることはあった。それには従った」
そうです。この本は、証言者が口を濁した所はそれ以上突っ込まない方針で編集されていますのでそれ以上は良く分かりません。

「証言・私の昭和史」はいくつかの版があり、古本で比較的容易に入手できます。図書館で所蔵している所もあるでしょうから、実際に読んでみると良いでしょう。

「それぞれの村役場に兵事課と言う部署があってそこで徴兵される人を選びました」
というご回答もありますが、徴兵される者を選ぶ権限はあくまでも陸軍の連隊区司令部(各県に一つ)の担当官にあったようです。

連隊区
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E9%9A%8A% …
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この回答へのお礼

とても詳しいご回答に感謝いたします
ありがとうございました

お礼日時:2007/05/13 21:48

うちの叔父は徴兵検査で不合格になり行きませんでした。


視力が悪かったのですけど、めがねをかければ車の運転も出来ましたが、あの時代は近眼は少なかったのか、徴兵されず、今の私も恐らく駄目でしょうね、裸眼視力が0.1以下ですから。
叔父は理髪師でしたから、有力者でもなんでもない一般庶民でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/05/13 21:47

それぞれの村役場に兵事課と言う部署があってそこで徴兵される人を選びました



村の有力者は息子や知人が徴兵されないように兵事課の人達にいろいろ手を廻したと言われます
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この回答へのお礼

いつの時代にもそういう人はいるんですね
ありがとうございました

お礼日時:2007/05/13 21:45

理系の大学生(の一部)などですね。


日本の戦争指導者たちも、あの戦争が科学技術の戦いであることにもちろん気付いていて、東大には「第二工学部」まで設置されました。その学生たちは、戦時中も勉強を続けていました。他の学部の事情についても、次のサイトに詳しく載っています。
別冊「東京帝大が敗れた日」(立花隆、文藝春秋)
http://www.bunshun.co.jp/todai0815/index.htm

総力戦は生産力の戦いでもあります。兵器・機械類はもちろん、広く軍需物資、さらには食料などの生産も重要です。継戦能力を左右するからです。
戦争に行かされなかった若者は、勤労動員というか、工場や農作業の手伝いなどに動員されました。また、本土防衛に備えて、いわば民兵のような訓練にも動員されました。
ただし、勤労動員には女子学生も、本土防衛訓練には主婦・爺さん婆さんまで参加させられた時代です。やはり、若い男は戦争に行かないと肩身の狭い思いをしたようです。
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この回答へのお礼

戦争に行かない若い男子は白い目で見られたのかもしれませんね
ありがとうございました

お礼日時:2007/05/13 21:45

日本の動員率は参戦主要国ではむしろ低い割合ですよ。


学徒動員の行われた1944年でも日本の6%に対し、ソ連25%、ドイツ18%、アメリカが8%と言うところです。
日本の場合、それらの国に比べて色々な面で機械化が遅れていた為労働に人手がかかるのに加え、船舶量の不足から動員しても前線には送れない、与える装備まで生産が回らない、等の問題があったため主要国では動員力は最も低い水準でした。
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この回答へのお礼

その数字は知りませんでいた
ありがとうございます

お礼日時:2007/05/12 13:56

理工学系の大学、専門学校教授や理工学系研究者は徴兵を免除されていました。


従って将来そのような途に進む可能性と学力を備えた学生は徴兵延期が認められていました。
医学系も同様だったのではないでしょうか?

学生でそのような特典が停止されたのは、学徒動員令がでてからです。
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この回答へのお礼

特殊技能(能力)のある人達はそうなんですね
ありがとうございます

お礼日時:2007/05/12 13:55

全員が徴兵されたわけではありません。


順番に徴兵されていますし、重要な職(医師、工場、公務員等)
は国内の職務遂行に支障が無い範囲で徴収されています。

割り当てみたいな感じです。

例えば、兄弟が数人いた場合、一人は徴兵されても
残りは免除されています。
会社員でも、会社の20%みたいな感じで徴兵されています。
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この回答へのお礼

意外と少ないんですね?
ありがとうございます

お礼日時:2007/05/12 13:54

兵器工場経営者とその家族。

叔父がそうでした。
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この回答へのお礼

その方が召集されれば兵器ができませんからね・・
ありがとうございます

お礼日時:2007/05/12 12:29

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