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明治から第一次世界大戦の頃まで、江戸時代だと、商家や武家に奉公にでていくような農家の次男三男にとって、軍隊はかなり魅力的な働き口だったような気がします。
1.あっていますか?
2.この頃の次男三男の就職口としての軍隊感とか、軍隊の人気度が判る資料やサイトをご存知の方は教えてください。

A 回答 (7件)

もう少し補足します。



軍隊に入れば「腹いっぱい飯が食べられる」が魅力だったのは、東北地方などでは有名な話です。東北地方は度々冷害に悩まされ飢饉が続いていましたから、雑穀中心の食事、それすら女の子を女郎に売らなければいけなかったり。
兵を養うのもお金がかかります。全員入隊できるわけではない。戦争をしていないときは、甲種合格しか赤紙は来ません。戦争していたら乙種にもきます。丙種は基本的にはまず徴兵されませんでしたが、第2次世界大戦の末には丙種にも来ました。

ビタミンの話は、脚気の問題です。白米だとビタミンB不足で脚気が続出しました。豚肉など充分取ればいいのですが、そういうわけにも行きません。麦を混ぜればいいのですが、軍隊の魅力は白米が食べられること。。。。結局陸軍は麦を入れました。脚気では戦争できませんから。海軍はエリート意識が強いので最後まで白米です。
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。
お米って、玄米に近いほど栄養があるのに、栄養分をそぎ落とした白米はとてもおいしいんですよね。
今は最初から白米しか食べたことがない人が多いのでしょうが、家で玄米を1割程度混ぜただけのご飯で、子供たちには大不評でした。
栄養とか言ってもそれだけは止めてくれって、一杯食べるのがとても苦しそうな顔をしていました。
10割だったらどうなるのかと思うといくらかは想像できる様な気がします。

お礼日時:2008/05/15 08:52

>陸軍は最初から徴兵だったのですか。



陸海軍とも徴兵制はあります。ただ、徴兵制では徴兵に応じる義務があるだけで、実際に徴兵されるかといえば、戦時以外はされないのが大半です。特に日本の場合島国なので、平時の軍の規模は、ドイツソ連あたりと比べて桁一つ小さいです。よって平時は甲種合格でないとまず徴兵されないし、甲種合格でもされない人がたくさんいました。海軍はほとんど志願兵だけで充足されます。またいざ戦争になっても、一から訓練している暇がないので、徴兵経験者から徴兵される傾向があります。
 軍隊は地方から見れば、食事の支給だけでなく、現金収入が得られる職場としても魅力的なものです。そもそも地方だと、現金収入のある就職先じたいがほとんどなく、住み込みで飯が出て小遣い程度というのが一般的です。かといって、あてもなく東京に出るのも難しいので、現金収入は貴重なものです。

 また下士官に出世するなど優秀な成績で軍務を終えたものは、それが一つの経歴となり、錦を飾ったとき村長が祝いの席を開いてくれたり、お見合いが舞い込んだり、無学の人間にとってはそれなりのステータスともなります。職業軍人をめざすものもいるでしょうが、それを除いても徴兵とは意味あるものであったでしょうし、徴兵中の貯金をもとに人生設計を行うものもいたと思われます。
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この回答へのお礼

丁寧に何度もありがとうございます。
海軍なんかは訓練しないと使えないですよね。
そもそも軍艦とか鉄砲の弾とか爆弾とかの生産能力が低いから、それの高いアメリカにどんどん圧倒されて負けたのだと思っていますから、陸軍でも100発しか弾のない兵と1万発の弾をもった兵では勝負にならないですからね。日清戦争みたいに遠く離れてライフルでパンパン撃ち合っているなら、無駄弾撃つより、正確な一発ってなるんでしょうが。それでも、もし長引いていたら弾不足に陥ってしまったらしいですが。
いろいろ教えていただいてありがとうございました。

お礼日時:2008/05/15 09:03

ビタミンの研究関係のどこかに


軍隊では、「白米が食べられる」ということが軍の魅力を確保していたので、麦を混ぜる・玄米を混ぜる等のビタミン強化さくは抵抗があった
という内容があり、白米が食べられることで、求人を確保していたことはたしかです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
当時は食べ物で釣られたんですね。
まあ、今でも世界的に明日の食べ物を心配しないで済むってだけで、少数派の金持ちってことになるでしょうが。
江戸では白米食べて脚気がはやったって聞いたことがあります。
森鴎外って軍で麦飯の研究やらされたんでしたっけ?

お礼日時:2008/05/15 08:45

質問者は この機会に 基本的なことを学んでください



明治以降 徴兵制がしかれています
兵は 原則徴兵です
士官は 志願です
下士官は 志願と徴兵後の志願、徴兵中の昇任任官があります

士官・下士官・兵の違いは お調べください

戦時以外では、徴兵は 2年で満期除隊です
勤務は 当時の一般社会水準から見て 楽な方です

奉公の勤務についてもお調べください

質問者は かなりの先入観を持っています
それを捨てないと 実態の理解は難しいでしょう(今の常識で判断・批判することは大変な間違いを犯すことです)
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この回答へのお礼

わからない場合や回答したくない場合は投稿しないという基本を勘違いされておられるようで。
回答者が、過去に調べて知っていることや調べなくても知っていいることを教えていただく場なのに、逆に質問者に調べろというのは、かなり変。
また、ここは討論の場じゃないので以降のご発言は無視します。

お礼日時:2008/05/14 14:27

軍隊では衣食住が保証されていましたし少額ながら収入もありました。


従って貧しい農村出身者にとっては三食に米を食べられる事や目にしたこともない副食(カレー等の洋食)は天国のように思えたといいます。

そのような境遇でない人にとっては軍隊内の「いじめ」などに耐えられず自殺するようなケースもあったようですが・・・

勤務成績がよく上官に気に入られるなどの場合は下士官推薦があり徴兵満期後も現役志願者として昇進が約束されました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
途上国での学校給食の意味の様に、貧しい人にとっては、就職というより、とりあえず、食うに困らないというのが魅力という見方もあったということですね。
大変参考になりました。

お礼日時:2008/05/14 14:18

裕福な農家なら別でしょうが、いわゆる小作の倅にとっては魅力的だったはずです。

徴兵検査で甲種合格が大切でした。甲種で入隊し、勤務成績が良いと徴兵期間が過ぎても軍隊に残れます。要するに就職できる。下士官ながら順に出世できる。小学校も満足に出てない身で禄を得るには一番ポピュラーな道。
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この回答へのお礼

さっそくにありがとうございます。
普通は除隊しなきゃいけないんですか。
今の自衛隊なら大型の免許でも取って、再就職に生かせますが、当時は軍人的に特別優秀な人以外は、もしくは、上手い具合に怪我をして、傷痍軍人として年金生活する以外は、一生の仕事にする訳にはいかなかったのですね。
いい出稼ぎ先程度の感覚でしょうか。
まあ、でも商家の丁稚奉公も番頭さんになれるのは、同じような倍率でしょうから、丁稚奉公程度の感覚だったのでしょうか。

お礼日時:2008/05/14 12:13

今の自衛隊でも似たような傾向はありますが、不況のときなどは特に陸軍では下士官(陸軍は徴兵なので一般兵士はいやおうなし)、海軍志願兵の志願者などは多かったようです。

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この回答へのお礼

さっそくにありがとうございます。
最初の軍隊は皆志願だと思っていたのですが、陸軍は最初から徴兵だったのですか。
村毎に誰を徴兵するか決める人が居たってきいたことがありますが、陸軍ではその人が反政府系の入隊がないようにチェックしていたってことなんでしょうか。
海軍は、船が沈没すれが全員死亡ですし、また、海賊と紙一重ですから、気にしなかったんでしょうか。

お礼日時:2008/05/14 12:05

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