dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

日本における徴兵制度は、いつから始まりましたか。明治維新以後ですか。

A 回答 (4件)

 国民皆兵という概念から言う「徴兵制度」なら、明治5年の「全国徴兵の詔」が始まりだといえます。



 明治維新後も暫くはそれぞれの藩が軍事力をばらばらに保持していたのですが、これをまとめようとする動きが「全国徴兵の詔」と考えればいいかと思います。

 大日本帝国憲法第20条に、「日本臣民は法律定むる所により兵役に服す」と書かれ、さらに兵役法第1条に、「帝国臣民たる男子は本法の定むる所により兵役に服す」とあり、これらが国民皆兵、つまり否応無く国民は兵役に服さなければならない根拠となっていました。

 兵役法は戸籍上の適用者のうち、内地と樺太に本籍を持っている、例外を除く17歳から40歳までの全ての男子が兵役に服すことになっていて、それぞれの戸籍上の戸主は家族に徴兵適齢者がいれば、前年の11月までに「徴兵適齢届」を本籍地の市区町村長に届る義務を負っていました。

 ちなみに徴兵検査に合格した者の軍人への道としては、徴集、志願、召集の三通りがありました。志願は文字通りの意味で、召集は軍隊経験者もしくは補充兵役や国民兵役の人々に国の都合により突然軍隊に引き戻されることで、徴集は有無を言わせない強制連行的なイメージが強かったようです。
    • good
    • 1

律令によって戸籍を整備したのは、税と徴兵のためです。

兵制をなくしたのは桓武だったような気がします。

国民皆兵は、明治維新後、各地に鎮台(後の師団司令部)がおかれてからです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

戸籍の整備は重要ですね。それがなければ徴兵制は不可能ですね。

お礼日時:2009/12/23 18:41

幕末以降の洋式軍隊のことで良いのでしょうか?



ほとんどの藩兵は志願制農兵と士族兵で構成されました。幕府は傭兵です。紀州などは徴兵制を企画します。

志願制農兵は士族格を与えるを条件に募集したところが多いようです。この条件で有名なのが長州の奇兵隊です。最終的には長州藩が「士族格を与える?はぁっ???」という態度をとって奇兵隊に志願した農民を実質的に騙しました。

兵制ですが、徴兵制は長州を中心とする諸藩が仏式及び徴兵制を推奨したのに対して薩摩が英式及び志願制を推奨して対立し、最終的に26:1の議決で徴兵制を採用しました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/12/23 18:46

まあ、そうですけど(1873年)、何をもって徴兵制度というかによって、別の回答もあると思います。


戦国時代なんか、領民から強制徴募していたように思っているのですが、どうでしょう(私の勘違いかも)。
あるいは、万葉集に防人(九州の沿岸警備兵・・・だったとおもうけど)が、国に残してきた奥さんや子供のことを歌った歌がたくさんありますよね。これも確か強制徴募兵だったはず・・・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

やはり、必要条件としての戸籍の整備が起源を考えるべきなんでしょうね。

お礼日時:2009/12/23 18:49

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!