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なんで宗教は、死んでみないと分からないのに、死後は天国とか、地獄があるとか言うんですか?死後は生きてる人には分からない世界だしもしかしたら無かもしれないじゃありませんか。

A 回答 (10件)

な111やさんのプロフィール、年齢、質問歴などがわからないので、適当に、質問文だけを読んで、それでのコメントや回答を書いてみます。



① 死んでみないと分からないのに

死んだら分かるかどうかは、かなり疑問です。 生きているから、「死後に、天国/地獄」、「現世の他に、天国/地獄」と、理解したこと、予見すること、べき論を述べることができます。

② 分からないのに、~~~とか言うんですか?

未来のことでも、今のことでも、過去のことでも、「分からなくても、分かったようにいう」ものです。 例えば、新型コロナウイルスの感染機序、今後の見通しや対策でも、分かっているかののうに~~~というし、景気や業績の見通しでも、言います。 子供でも、学生でも、「私、○○になる」というような希望や願望を、気にせずに述べるものです。 テレビドラマでも、刑事物やサスペンスで、「わかった、これは~~~だ」というようなセリフは多く、その後の展開で、「~~~ではなかった」ことが明らかになるなどは、日常茶飯です。 科学の世界?でも、「水は酸素と水素が化合して~~」と見たこともないのに、どこかの本や授業で聴いたのを、受け売りで、いかにも事実そのもののように、私達は言います。
(分からないまま、不明なままで)は、(推論を組み立てること、理解の体系を整えること)が難しいのです。 その結果、自分がどうしたらいいのか、どうしようかを決めることさえも、難しくなります。 webサイトで、「あそこの店の△△は美味しくて安い」などの情報を集め、それを自分の知識体系に組み入れることで、自分の行動や選択、拒否、回避などの指向のガイドにすることができます。
これまでの自分の生活経験の知恵のようなもので、事実は不明でも、「aaaはAAAになって、AABになることはない」というような情報をとても大事だと、思っているし、そうした情報を提供してくれる人を大事にしているのです。 例えば、親、年上の人、教師(先生という名前の人)、専門家、占い師、予言者、霊能者、教祖、あるいはテレビや本やWEBやネット情報でも、それを信じて自分の指針にしたいと考え、強く、託宣を求める人が、人口の相当部分になります。
天気予報はそこそこあたりますが、確実ではないです。 地震予知はほぼ確実にできないことが明らかですが、国を挙げて予知を求めるようなことをします。 本屋さんには「こうやれば儲かる」のような本がたくさんあります。 「やってはいけない」という副題や表題の本もたくさんあります。
「わかりっこないよ」ではなくて、「教えて!!!!」という期待はとても強くある需要なのです。 そういう多数の強い要望・需要に応えて、(自分が)儲ける/(希求者・悩むものを)安心させる/(自分が)偉くなった感覚を味わうなどの事情が入り交じって、《(分からないハスですが)、~~~とか言うんです》

自分が怪我をしたり、身体が痛かったり、どうにも不調だったり、健康不安を強く感じていた場合、お医者さんや専門家から、いかにも正しい専門家として「~~ですから、****して、+++をします」と説明してくれるのを期待するのと同じです。 
地獄がある、天国があると言わなくても、「しっかり信仰していれば、神様(仏様)がしっかり見てくださる」という言葉を期待しているのです。 (そこで、「神様(仏様)っているんですか?」と尋ねられても、「私は毎日神様(仏様)の慈愛を感じてます」という意識があるなら、答えに窮することはないです。 同様に、「本当に天国ってあるんですか?」にも、「毎日神の慈愛を強く感じているのですから、神の国がないなんてことはあり得ないです」と答えることは自然なことです)

1321年に完成したダンテの「神曲」は、 地獄篇 (Inferno) 煉獄篇 (Purgatorio) 天国篇 (Paradiso)の三部構成ですが、当時の俗語で書かれた韻文の長編叙事詩です。 ダンテは、道徳的原則を明らかにすることが『神曲』を執筆した目的であると述べているそうです。 そのスゴイボリュームの長編は、なんと世界中で多く読まれ、文学中の最高傑作のように言われているそうです。(私は読んでません)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%9B%B2 …
《道徳的原則を明らかにすること》を目的に書かれた地獄篇 煉獄篇 天国篇 が、それだけ絶賛を受けているということは、《どう生きるか、何を重視するべきか》を明確に示すものを、人がとても強く求めているということだと思います。
仮想のイメージを使おうと、それは、その主張の価値を全く損なってはいないのだと思います。

《カネと名誉と権力と服従と愛さえ獲得できればイイのだ・現世万歳》という発想を好まない人が多いのではないでしょうか。
それよりも、神の正義、永遠の救い、地獄と天国の発想を好む人が少なからずいるのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2020/04/30 21:48

そうなんだよ、死んでる者しか分からない、決定的な事実は生ける神イエス・キリストが実在しこの地上で教えてくれた、しかも我々の罪を許し永遠の命、死ぬことがない神と共住まうことができる、その身分はエンゼル位がある新約聖書、乞食のラザロの話がある、旧約聖書箴言神を恐れることは知恵の始まり、詩篇、主は私の牧者であって私には乏しいことがない。

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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2020/04/30 21:47

>死んでみないと分からないのに、死後は天国とか、地獄があるとか言うんですか?


>死後は生きてる人には分からない世界だしもしかしたら無かもしれないじゃありませんか。

先ず一つに、死んだ後に天国・地獄に行くというのは間違い。
そもそも天国ゃ地獄というものは、死んでも生きていてもあるからです。

人間の生命の奥底には、十の境涯がありそのうちの『天界』、『地獄界』というものがあって
それらが人間の身体、あるいは環境に現れた場合が天国であり、地獄であるのです。

では、死後の世界はどうかというと、肉体は消滅するが生命というものは、新しい肉体をもって
また生まれかわるものなのです。しかし、再び人間として生まれかわる事は非常に稀だと言われ
ています。

そう仏典には書かれているのです。

死んだら天国に行く、地獄に行くというのは、時の坊主が適当に言った事に過ぎません。
教主釈尊は、そんな事一言も言っていないからです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2020/04/30 21:48

死の問題を無視して、生は語れません


生が語られなければ、真実の幸福等語れません
現代の多くの問題の底辺に、死を忘れた、死を考えない事が、
問題の解決を困難にしています

宗教に関係なく
皆、死刑の判決が下った死刑因である事を自覚しなければなりません
刑の執行は何時か分からないのが救いです
死を前にした時
財産も地位も名声も、今までの努力も、何の役にも立ちません

生と死は一体で、大宇宙を含めたすべてに当てはまる
究極の法則なのです

この法則を学ぶ事は、何にもまして重大な事であり
真っ先に学ばなければならない事なのです、 が
皆、それを避けます、

分からないから学ばないのではなく
分からないからこそ学ばなければなりません

生命とは何か、から学ぶのです
死を考える事、学ぶ事は、汝自身を知る第一歩になります、
自分は、何処から来たのか、何処へ行くのか、何のために
有意義な一生を送るために、悔いのない一生を送るために
充実した人生を送るために、絶対必要な事なのです



生命を解明するため 古来より 多くの科学者 文学者
 詩人 哲学者 宗教家が あらゆる方向から挑んでおります
 その中で 最も分かり易い 仏教の十界論 を紹介いたします  

仏教の生命論は深く    
生命活動を 立体的 流動的にとらえた十界互具論
生命の機能 本体 可能性 を説いた十如是論
個性化の原理を説いた  五陰世間
深層を解明した 九識論  があります


 十界論とは
十界論は生命観と言う生命の我の主体的な実感を柱として成立しています
この点のみを見れば 主観的カテゴリーと考えられます
しかし その生命観と言う主観的なものをとらえた基準は客観的なものです
このように 主観と客観の上に展開されたものであるがゆえに
十界論は いかなる人といえでも その見事さに
心の底から納得せざるを得ない 生命哲理なのです

続き
http://rokusann.sakura.ne.jp/access.html
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2020/04/30 21:48

なんで宗教は、死んでみないと分からないのに、


死後は天国とか、地獄があるとか言うんですか?
 ↑
布教、つまり信者を増やす為です。
信者が増えれば、お金も増えるし、権力も
強くなるからです。

宗教にとって一番大切なモノは信者を増やす
ことなのです。

ルターの宗教改革で信者を減らしたカトリックは
信者を増やすために、国家と組んで外国に乗り出します。

これが大航海時代です。

だから欧米以外の国はカトリックが多いのです。
神父達は命がけで布教に努めました。
戦国時代に来日したイエズス会もカトリックでした。

布教の為には命さえ捨てる。
それほど大事なのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2020/04/30 21:48

危篤状態に合った方から聞いてみるといいですよ


一旦 あの世へ行ったわけですから

みんな同じこと言ってました。
天国ってお花畑があってとてもいい香りして気持ちいいって。
どっかから 自分を呼ぶ声がして振り向いた時に元に戻ったって
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信じた方が死への恐怖が少なくなるからではないでしか?!


宗教の本ではありませんが、そんな本を読んだことがあります(^^)v
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2020/04/30 21:47

分からないから言ったもの価値です。

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死んだらどうなる、とかは関係ない。


この世での生き方を見直す、ただの動機付け。

例えば、「人のために生きればこの世での罪は解消され、死後は天国に行ける」とか、「人に悪さをすれば、死んだあと地獄に行くから悪さはしないようにしよう」など。

これが宗教。

だから、そもそも神とか宗教とかは、他人がとやかく言うものではない。
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