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ある問いの答えはわかり得るのか、わかり得ないのかをわかることは可能でしょうか?
例えば、存在とは何か?という問いの答えはわかり得るのかわかり得ないのかをわかることは可能でしょうか?

またこういうことを考えている哲学者、哲学書を教えていただけないでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 「こういうことを考えている」というのは、わかり得るわかり得ない云々について考えているということです。そんなことを考えている哲学者、哲学書を教えていただければ幸いです。

      補足日時:2020/05/05 06:22

A 回答 (8件)

訂正です


起きている上記述べているものでは→☓
起きている上記の→○
です
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現代科学においては「存在」それ自体の「存在証明」・「不存在証明」どちらも理論上不可能です


ここでよく誤解されるのはあくまで「証明」できないのであって「存在」それ自体存在しているか否かを述べているものではありません
では現代科学で何故「存在」それ自体の「存在証明」・「不存在証明」ができないのか?
その前に素粒子(量子)の「特異な振る舞い」についてご説明させて頂きます。
「特異な振る舞い」の一つに「二重性」があります。
「素粒子(量子)の二重性」について
素粒子には「波の状態(波動)」と「粒子の状態」の両方の状態が取りうる性質があります。その性質の事を「素粒子(量子)の二重性」と言います
加えて素粒子(量子)が「波の状態(波動)」と「粒子の状態」の何れの状態を取るかは観測するまで決まらないのです。これを「不確定性」と言います
「素粒子(量子)の二重性」を電子と電磁波(電波)を用いて説明すると
電子とは粒子の状態であり
電磁波(電波)とは波の状態(波動)となります
波の状態(波動)は非物資の状態で粒子の状態とは物質の状態です
上記が示唆しているのは物質の状態が「観測の影響」を受けているということです。
これが「不確定性原理」です
ここであえて「物質の状態」について焦点を当てると
「物質」が「物質」として観測されるのは観測する前から「物質で存在」していたから「物質」として観測されたのか? 
もしくは観測する前は「波の状態(波動)」だったのが観測されたことによって「粒子の状態=物質」として観測されたのか?
そのどちらなのかの疑問が生じます。
この問に対して答える為には「観測する前の状態」を観測せずに把握する必要があります。
ですが観測せずにその状態を把握することは少なくとも現代科学では理論上不可能なのです
上記はあくまで「素粒子の世界(ミクロの世界)」での話で皆さんが見ている世界=マクロ世界の話ではありません。
ですが全ての物質は素粒子によって構成されています。ですので可能性としては「素粒子の世界(ミクロの世界)」で起きている上記述べているものでは事柄が皆さんが見ている世界で起きている可能性があります
仮にそうであるとするなら全ての物質の観測する前の状態が全て波の状態(波動)である可能性があります。
それは物質で構成されている生物にも当てはまるのでそうであるならヒトに言える事です。
上記が正しいのならこの世に物質が存在していない可能性があると言う事です。
その可能性どおりか否かを判別するには観測する前の状態を観測せずに把握する必要がありますがそれは少なくとも現代科学にはおいては理論上不可能です
ここで話を横道にそらします
他の回答者さんが回答の中で
「自分が死んでも地球上に70億の人いる訳で」との回答がありますがこの回答には大きな見落としがあります。
それはその回答が正しい言うに観測する必要がありますが少なくとも死んだ状態では観測できないなだからその回答が正しいとは言えないのです。
このことは量子論の提唱者の故ボーア氏と相対論の提唱者の故アインシュタイン氏との論争(ボーアとアインシュタインとの論争)でも指摘された事です
話を戻します
次に脳について
脳の研究によって判明した事の一つとして「見えている世界」は「脳」が外界からの視覚上の刺激を受けて「脳内で再現した世界」であると言うのがあります。
加えて脳は脳内ある情報=記憶を用いて「仮想の世界」を構築します。それ即ち「イメージ」です
上記の事柄が示唆しているのは脳が外界を忠実に再現しているかどうかわからないと言う事です。これが「クオリア問題」です
脳における「クリア問題」と量子論による「素粒子(量子)の二重性」を合わせそれを皆さんが見ている世界=マクロの世界に当てはめると
物質として観測されているのは
観測するしないかかわらず物質として存在しているから物質として観測されたのか 
物質として存在していないにもかかわらず物質があると認識して観測したからあたかも物質があるかのように見えるのか
そのいずれかが正しいのかが現代科学では理論上判別する事はできないのです
このことが「我思う故にわれあり」につながるのです
故に「存在」それ自体の「存在証明」・「不存在証明」のいずれも現代科学では理論上不可能なのです
オマケ
「我も故に我あり」に冠してコメントされている回答者さんは上記を全く理解されていません
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
科学的な見方も面白いですね。
しかし、2つわからないことがあります。物質の性質が波であるときにも、何かが存在するのではないですか?つまり、波が存在しないというのなら、我々は何もそれについて理解できないと思います。しかし、現実は我々は波という状態であることを可能性としてですが、わかっています。ここが1つの疑問です。
もう1つはそもそも、他者の存在は、観測していないとき、存在するのかというのは、そもそもわかり得ることではないのではないでしょうか?という直感的な疑問です。
しかし、いずれにせよ面白かったです。貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2020/05/08 01:41

問いは、始めから答えを持っていないですね。

また考察したからといっても、問を「解明」するわけではないですね。ここで言う「解明」があなたの仰る「分かる」ですよね。けれど解明されなくても「考察」は多数多様に出ますよね。この「考察」も物事への問に対する、考察した人の「理解」です。「解明」するにも「理解」するにも「考察」を経ないと取りあえずの結論=分かる、はでないでしょう。特に、解明は考察しないと実現しません。結局、分かるか否かは「考察」なしに、有り得ませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
英語分析家さんの回答に疑問が1つあります。問いは答えをはじめから持っていないということがよくわかりませんでした。私の読み間違い、勘違いかもしれませんが、問いが始めから答えを持っていないなら、ある時には問いに答えがあり、ある時には問いに答えがないということになりませんか?そんな状況はどういう状況でしょうか?
解明は問いに対する考察なしにあり得ないということはよくわかります。したがって解明するには考察は避けられないのですね。その通りだと思います。
ですから、質問の問いの答えがわかるかわからないかを判断できるのかという問も、考察無しには解決できないということですね。
貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2020/05/08 00:29

西洋哲学は究極的には「存在論」の探求の歴史と云っても過言ではない。

古代からの代表的哲学者は全員がこの問題を考え、解答できたと主張する者のいれば、解答不能を主張したものもいる。いずれにしても神学の影響が強する部分も含め、観念論に終始しているため、質問者が期待しているような決定打はない。
東洋哲学は、インド哲学の「無」、中国哲学の「空」に代表されるように、「有(存在)」は「無」との対比で論じられた。こちらも結論的には西洋哲学と同じく、質問者が期待しているような決定打はない。

哲学的存在論は、数学や物理学の影響も受け続けているが、その意味で決定打ではないかと思われているのが量子物理学における不確定性理論だ。しかし、これもミクロ世界における物質の存在の不確定性を論じたもので、存在そのものを論じたものではない。したがって質問者が期待する決定打にはなりえない。

以上のように、現時点では「わかり得るのかわかり得ないのかをわかることは可能でしょうか?」という問いには、「可能かどうかは、現時点ではわからない」となるのでしょう。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
解答できたと言った哲学者と解答不能と答えた哲学者を教えていただきたいです(特に解答不能と答えた哲学者)。
哲学用語って難しいですね。
存在論といえば、存在についての探求という認識があるのですが、それが存在するのはなぜなのか?存在って一体何なんだろうか?というような私の疑問と同じようなことを考えているのかという疑問がありますね。
観念論に関しても精神的なものに重きを置くという程度の認識しか私は持っていないので、「観念論に終始しているため、質問者が期待しているような決定打はない」ということが今一わかりません。西洋は存在の本質を物質とは考えず、精神的なものと考えたということですか?つまり、存在するそのものを考えたわけではないのですか?
東洋では無との対比で存在は考えられてきたのですね。これには凄く新鮮な感じがして興味があるのですが、結論的に西洋哲学と同じく、私の期待しているような決定打はないのですね。そのようなことが書かれている東洋哲学の概説書って何かありますかね?
量子物理学の存在に関しての考察は物質という存在者について考えているだけであって、存在そのものを考えているわけではないのはよくわかります。
私の問いに対する春閑さんの解答は可能かどうかは現時点ではわからないということですが、やっぱりそうですよね。もしこれがわかっていたら、哲学の問いについて考えることは空想であると一蹴されますよね。大変参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2020/05/06 14:44

私も哲学界の見識は分かりませんが「存在」という言葉が分かり難くなったのは



「我思う 故に我あり」というデカルトの言葉が 自己の存在しか見出だせなかったからではないかと

思います。

当たり前に考えれば自分が死んでも地球上に70億の人々がいる訳で 自分も存在するし

他者も存在するのです 存在者 と言われて来たニワトリやスコップも存在する訳です。

つまり牛だろうと豚だろうと「存在」なのです。動物なのです。それを食べていい理由は

人間の体が動物であり 食物連鎖の頂点に立つものであり 精神と体は別物だからです

人間の命に精神が宿ったのです 正直の頭に神宿る、みたいなものです。

そんなに「存在」を特別視しても 自分でしか見えないのですから もっと客観的に見るべきです。

あなたも存在ならば私も存在、アパートも存在なら酸素も存在です

酸素が存在しなかったら困らないでしょうか?酸素分子が? 存在しているのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私の質問がわかりにくかったですね。
私は「存在とは何か?」のような問いの答えはわかり得ることなのかそれともわかり得ないことなのかということを質問したかったのです(それがわかってたら哲学は不毛だと一蹴されそうですが)。日本語が下手ですみません。
しかし、存在についてのharu27_58さんの考えは非常に面白かったです。当たり前に考えれば、他者、私以外の存在者は存在する。勿論わかります。ただ、我々存在者が存在するのはなぜなのか?存在とはどういうことなのか?存在とは何か?ということはやっぱり疑問ですね。
貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2020/05/05 15:07

再訪。


それは哲学に限ったものではありませんよ。簡単?な命題であれば、
「地球外生命体は存在するのか?」
が分かり得るのか分かり得ないのか、将来的に分かるのか、今は分かっていません。
これは哲学の分野ではありませんよね。

命題が真であるか、そうでないのか、という事ならば数学の分野でも未だに証明されていないものがあります。
これは、
「こういう命題があるが、これが正しいのか、正しくないのかが証明されていない。」
という事になります。
数学に関しては、「ミレニアム懸賞問題」というのがあります。

現在世界で猛威を振るっているCOVID-19についても、
「ウイルスが変異する事は分かっているし、現象として確認されているが、”なぜ”変異するのか、
変異”しなければならない”のか」
は証明されていないと思います。
こちらは医学の分野。

結局の所、質問に関しては、人類が求める?最大かつ最終的な命題ではないのかなー。
的外れだったらごめんなさい。
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この回答へのお礼

再訪ありがとうございます。
rei零号機さんの数学の例に関して言いますと、私は次のようなことが疑問なのです。
ある命題(問い)の真偽(答え)が出力?できるのかできないのかを我々はわかることはできるかということです。
人類が求める最大かつ最終的な命題だったら、ロマンですよね。
数学の例は私の疑問を明確にさせてくれました。ありがとうございます。

お礼日時:2020/05/05 07:18

実証的に確かめ無ければ、何もわかり得たとは言えないはずです。

そうでなければ、ただの知識や情報。自分なりに考えることによってのみ、質問の解答は得られるのではないですか。(と思います。)哲学書に関してはよく知りません。21世紀最難の問題と言われるホッジ予想は現代数学の進捗度で解けるかどうか分かりません。リーマン予想も際どいところです。仮にそう言った問題が、現時点の数学でで解けることが分かれば、数学者たちは無謀な賭けではなく躊躇なくその問題に取り組む事ができます。解けると分かっている問題は解きやすいのです。このことから、そういった判断を形式化した哲学は無いのかもしれません。個人の感覚で分かるとはどういうことかを扱った本はありました。例えば、「分かるとはどういうことか」という本がありました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やっぱり、わかり得るわかり得ないを形式化した哲学はないのですかね。そもそもあったらほとんどの哲学が妄想、戯言と一蹴されそうですね。
そうですね。そもそもわかるとはどういうことかをわかっていないといけないかもしれませんね。その本調べてみます。

お礼日時:2020/05/05 07:23

存在に関してのみの回答となりますが、


「存在とは何か?」で思いつくのは、
マルティン・ハイデッガー
じゃないですかね。
ハイデッガーについては、wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB …
参考までに。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2020/05/05 06:21

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