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No.14
- 回答日時:
この世でやりきれないほど
ツラいから
信仰する人も居たら
民族性や地域性
その家!その家の考え方で
信仰されたりしてますね
日本は前者
海外は後者
てのが多い感じがしますね
日本だと
仏教なんかは、宗教活動から切り離された
檀家制度なんかがあるし
信仰による集いより
行政的な、集まり
また、宗教じみないで
おおまかな神道行事なんかも
認知されてるから
宗教や信仰てのを
腫れ物のような扱いにしやすいですね
(  ̄▽ ̄)にっこり

No.12
- 回答日時:
追記失礼します。
「あらゆる常識的なことは宗教的な考えから…」
その通りだと思います。
今の宗教の形ができる大元は、生きる上での祈願から。仏教で有名なのは釈尊ですが、それも元々は人にモラルや人道といった道理を教えるためでした。つまりは、どれも元々は私たちの生き方や生活に密着しているものであって、摩訶不思議な事を闇雲に信じこませるものではありません。
みんながやってるから…というのが全て悪いとは言いませんが、自分はもちろん周りとも良い関係が築けるように…これが宗教に限らずあらゆる学問の目的なように思います。どの学問も立ち位置や手段は違えど、方向性は同じように。
例え理屈で論破されそうになっても、大事なのは理屈ではなく現象だと思います。
例えば、ご飯を食べにA店とB店のお店の目の前まできたら、お店のスタッフが来て、それぞれの一押しメニューを言葉で説明されました。でも、言葉ではお互いにごもっともな説明されたところで、結局は現物を見たり食べたり、或いはそれを経験した人たちを観察しないことには分かりませんよね。
食べるのはリスクがいるけど、食べたことある人たちを観察したり話を聞いてみたりすれば、何となくは分かりそうです。最終的には自分にあったお店を決めたら良いかとは思いますが、良いお店なら自分のお腹も心も満たされますし、より良い1日が過ごせることになります。
今は、昔と違って教育も少しずつオープンになってきました。親世代より前は、まだまだクローズな世界に生きている人が多いですが。そんな世の中ですので、昔の人たちのように言葉だけでは論破されないと思いますよ。日頃から論理的に物事を解釈したり評価していれば大丈夫だと思います。
No.11
- 回答日時:
宗教を信じる理由は2つ
・一つは宗教を心のよりどころとして、安心感を得たいため
・もう一つは、宗教の教えの中にも宇宙真理を正しくついているものがあるため
真理なら無意識のうちに信じようとするのが人間の自然な態度ということ
だから、今より科学が発達して今はまだ解明されていなようなことが分かってくれば
宗教が主張していたことは事実であったなんて言うこともわかってくるかと思います
(もちろん時代遅れな滅茶苦茶な主張もあると思いますから、宗教の主張のすべてを鵜呑みにすることは出来ませんが)
結局、真理という絶対的なものが宇宙に存在します
この真理にアプローチする方法の一つが科学であり、もう一つは哲学であり
もう一つは宗教であり (・・・音楽であり)
というように真理という山の頂に到達するルートはいくつもあるが、どのルートを突き進んでも結局到達する地点は同じということです
ですから、科学も宗教も表現の違いこそあれ結局1つの真理を明らかにしようとしているという点ではどちらも同じということになりそうです
No.10
- 回答日時:
私は、宗教を信じて、のめり込むは無いと思います。
怪しい宗教を信じて、手術をしなかったので、父親が早死しました。42歳で死んだからね。宗教は信じないよ。会社の同僚にも宗教にのめり込む、会社の仕事もまとめにしない。尻拭いを私がしました。人生を棒に振る
宗教が嫌いです。
私の考えでした。マイナスな事が多いからね。
No.9
- 回答日時:
どんなに科学が発達して何でも科学で証明できるようになっても
宗教を信じる人は必ずいるんでしょうか。
↑
いなくなるかもしれませんね。
でも、何でも科学で証明出来るように
なる時代が来るとは、とてもじゃないが
思えませんが。
何故人は宗教を信仰しようとするんですか?
↑
想像力があるからです。
人間は説明が欲しいのです。
解明したいのです。
不可思議な事象に出くわしたとき、
解明や説明が欲しいのですが、
出来ません。
その隙間を想像力で埋めることになり
そこに宗教が入り込む訳です。
だから、日食も月食も、昔は宗教で
した。
No.8
- 回答日時:
『何でも科学で証明できるようになっても』
なるでしょうか?
私も科学者の端くれのつもりです。
科学は『現実に理由と裏付け』を与えます。
それで『不思議なこと』『わからないこと』を『わかる』ようにしてくれます。
すると、その先に別の『不思議なこと』『わからないこと』が出てくる。
また、ある時は『前にわかった気になってたのって違うんじゃない?』と言うことも起きる。
つまり、今のところ、というか、たぶんずっと、科学には『全てを証明した』という日は来ないと思います。
だから宗教があるんじゃないかな。
私も、敬虔ではないですが、教会には通っています。
仕事をしていて、あるいは生活していて、問題が解決したり、思わぬ幸いに出会うと、神様ありがとう、と思います。
ではこの世から宗教は無くならないんですね。
わからないものをわからないものと蓋をしないで研究されてる方は本当に凄いですね
それに、私なんか、良いことがあると全部自分のおかげで自分に良いことがあったと思っているので、そこを神様、(というか私にとってはある意味他人?)に感謝できるのは素敵だと思います。
ご回答ありがとうございました。

No.7
- 回答日時:
宗教とは、何かを闇雲に信じて組織の言われた事をするものではありません。
ただ、小さい時からの教育で、みんなで同じ事をするのが安心感と正解を得られると信じ込まされています。安心できる拠り所が欲しいと。人や世間に左右されやすいですから。科学も医学も数学も、それぞれに何かを対象にした学問です。同じように宗教は命を題材にした学問です。本来は。それを特に日本の場合は、自分たちの食い扶持を確保するため、庶民の上に立ちたいため、金が欲しいために活動しています。要は言ってることまとやってる事が違います。純粋に信じて説法をする人たちもいますが、それで本当に人が幸せになったかといった検証はまともに行われていません。いわゆるファンを作るのに精を出しています。
もし、本当に科学をはじめとしたあらゆる学問が宗教の題材である命を証明したとしたら、デタラメな宗教法人はどんどん消滅すると思います。
ほとんどの宗教の信仰の対象は、自分の外に絶対正義を作って物事を判断します。その時、絶対正義にも関わらず、たいがい自分の都合のいいように解釈して自分を納得させています。こんなデタラメな宗教がまかり通るのは、個人個人が論理立てて考える頭が無いから。どこかに無理なロジックがあるのに、頭から「神が存在してるから」と訳の分からない、証明もできない事をロジックに入れて仕舞えば、なんでもアリになってしまいますから。
ご回答ありがとうございます。
みんなで同じことをする安心感と正解が得られると信じ込むこと、が今の宗教と言えるなら、
世の中のあらゆる常識的なことは宗教的な考え方からきてるんでしょうか?(当たり前のように学校に行くとか、年上の人を敬うとか、みんながやってるから私もやってる感がある気がします、、)
確かに、みんなが頭がいいとは限りませんね。何故その考え方に穴があるのかわからない人もいるだろうし、私も本気で論破されたらその宗教を信じ込んでしまうかもしれません。気をつけます。
No.5
- 回答日時:
その科学法則を作り出したのが神だからです
科学では説明出来ないことも未だあるしね
(因果とか運命)
世界の賢人と呼ばれる人のなかにも
敬虔な宗教家、、、とまでは言いませんが
宗教を否定してる人はほぼ居ません
多分、科学の限界を知ってるからでしょうね
ついで言えば子供の頃からの価値観を
否定することは難しい
宗教心とは自らの力を越えた超越的な何かに対する
畏怖と畏敬の念です
それが無い人の方が少ないと思いますがね
ご回答ありがとうございます
確かに私にも少しは宗教心があるみたいです。(お仏壇に手を合わせるとか、、)
でも色んな宗教の色んな考え方があって争いが起きてることを考えると、世の中完璧では無いし、科学に限界があるというのもわかる気がします。
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