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政治家、軍人、社長として組織の頂点で舵取りをする人間は、大抵子供の頃はガキ大将でクラスの中心メンバーになる様なリーダー気質の人ばかりですか?
内向的な人間がふと目覚めて、社会に出て大出世するケースはほぼ無いのでしょうか?
教えて下さい。

A 回答 (2件)

人が人を育てるんですから、大いにあり得ると思います。


内向的である人は、親に原因があります。
悩む方も多いと思うので、(長文になりますが)コメントします。

学生であっても学業成績の違いがありますよね?
運動能力であっても差が出ます。
誰であっても自分の思いや情熱が通じないほど、
優れた相手に出会う可能性があります。

そうであるとして、
では、親に成ったあとの子育てでは実力が横一線なんでしょうか?
それとも、ここでも個人差があるんでしょうか?

もし、暗黙のうちにリーダーを育てるための学問があり、
親がその成績を競っているとしたら?
全く勉強をしない親が戦わずに負けているだけかもしれませんよね。

昔から「親の顔が見たい」と言う話がありますよね。
つまり、戦前(第二次世界大戦前)は、
子供の性格(=気質)や能力は、
親の知識と努力で変わると信じられていました。

これは世界中で同じでして、
例えばキリスト教では親御さんたちを定期的に集めて指導しているようです。
(日曜日とか)
そのテキストが聖書(=アジア圏では「道徳」が該当する)であるわけです。
子供を教育するのに、最も影響力のある親を教育するというのは、
とても賢いですよね。

しかし、現代日本では、
学校任せの親御さんも多いんじゃないでしょうか。

日本も昔は違っていました。
大家族制度(これは法律ではなく、地域特性)と身分制度があり、
親族で子供の教育を協力していました。
そのため教育方法は各家のノウハウとして秘匿されていました。
また、中国の儒教から始まった「道徳」が根付いていましたので、
口伝に近いテキスト(=見本)があったという事です。
文書化されていませんから、曖昧であり、家柄による違いが出たという訳です。

現代では人間の能力差は遺伝ではなく行動パターンの違いとされています。
簡単に言えば習慣の違いであり、教育の違いです。
これは1960代頃に米国が天才を解明するために研究をした結論です。
(天才の脳を解剖したり、遺伝について調査したが、共通項は無かった)
また、50年間に及ぶ追跡調査により、幼児教育を受けていない人は、
犯罪者に成ったり、所得が低かったりするそうです。
(米国の追跡調査結果。かなり確率が高い。)
この幼児教育と言うのは学問化されており、誰でも学ぶことが出来ます。
殆どの人の不幸については、
その親が少し勉強するだけで防げたという事です。

私の親も出来が良かったわけではありません。
父親が長男では無かったため、家長になるための教育をされていませんでした。
そのため私の教育方法が分からなかったんですね。
私の小さい頃は神経質で、何かあるとすぐ泣いていました。

父が叔父(=長男)に相談し、叔父が私を見て驚き、

「この子は駄目だぞ。このままじゃ駄目になるぞ。」

と言っていたのを覚えています。
その後、一週間ほど叔父に預けられました。
一緒に銭湯にいったり、手をつないで歌を歌って散歩したのを覚えています。
何か特別なことはありませんでした。
しかし、気づかないうちに何かを施されたのは間違いないでしょう。
その一週間で私は変わったんです。
叔父は軍人だったそうです。
恐らく、自分の様な人間を作るためのノウハウは、
彼の人生に中にあったんでしょう。
そして、相手を見て一番良い方法を考えたんでしょう。
ひ弱な子供も、一週間で変えてしまえるんです。
それくらい真の教育のノウハウは凄いんです。
学校の先生であっても知っている人は殆どいないと思います。
(学校に預けても無駄であり、親か親族が頑張るしかない)

私は神経質(あなたが言う内向的な気質)が治り、
逆にリーダー気質(あなたが憧れる本来の自分)が身についたんだと思います。
神経質を治すには別気質で上書きしなければならないんでしょうね。
逆に言えば、リーダー気質の因子を埋め込まれていない人は、
神経質になるか粗暴になるかしかないという事です。
それくらい深刻な話です。
そして、それは親の責任であり、子供の性ではないという事が、
広く一般に知られていたという事です。
未成年が法で罰せられないのはこうした理由からです。
子供は人生を狂わされた被害者であるという意識が社会にあり、
常識だったんですよ。

歴史を見ても、自然発生的に英雄は誕生していません。
アレキサンダー大王の父は名君ですし、家庭教師はアリストテレスです。
あるときふと目覚めて・・・と言うのは無いという事です。
ある程度は物心がつく前に決まっているわけです。

では、大人になったら手遅れなのか?
そうではありませんよ。
教育が鍵であったのならば、再度学べばいいんです。
生粋のエリートは先を行っているでしょう。
しかし、もう大丈夫だと思って、どっかでサボっているはずです。
また、大体の人は真の教育を施されていないはずです。
いまからちょびっとやっただけで、
そういう方々をごぼう抜きに出来ると思えます。

しかし、ハンデもあります。
これまでの人生で辛い思いをしてきたため、心が傷ついているはずです。

全ての子供は、
自分には他の人と同じ力があると直感的に思っているでしょう。
上手くいかない理由が、愛している親の実力にあるというのは、
幼い子供では思いもつかなかったはずです。

「きっと、お父さんやお母さんに考えがあるんだ。
 我慢していれば何とかしてくれるんだ。
 ああ、でも、もしかすると嫌われているだけかもしれない。」

こんな気持ちでいたはずです。
親も競争をしていて、ボロ負けしているとは思いも至らないでしょう。
自分が悪いと思い込まされて、我慢をしていたはずです。

この様な不当がまかり通れば、
どこかで恨み言をいいたくなりますよ。

まずはそれらを振り返り、受け入れて、
親や周囲の大人を許すという行為が必要です。

「そうかあ。あんたらも他の大人に負けておったんね。
 自分の方が辛かったでしょ。
 良く知らないまま、テキトウなことを子供に言うしか手が無かったんね。
 教わっておらんもんね。あんたらの方が恨み言をいいたかったんね。」

これ(=親や周囲の大人の事情を考えて許す)をやれないという人が
多いみたいです。そういう方がネットで暴れています。

鍵となるのは、

「どうして俺だけ・・・どうして・・・してくれなかったんだ?」

と言う気持ちから、

「やべー、みんなそうだったんか。まずい、俺はかなり該当する。
 こういうとき、なんか良い制度や仕組みってないの?」

という気持ちに変わることです。
同じ状況であっても、後者の方は先行きが明るいですよね。

ご質問にある、

「ふと自然に目覚めて」

と言うのがあるとしたら、この辺りを指すと思いますよ。
ふと自然に目覚めて気質が身につくという事はありません。
過去にある負い目をより分けて、自分や周囲の大人がどうすべきであったのか?
これを考え直すことで心の重荷が降りるのだと思います。
軽くなった頭で物事を考え、再度勉強をし、
その力を試したいと思う様に成れば、改善していくでしょう。

親を怨む、先生を恨む、友人を恨む。
優れた人を羨む。自分の中の才能を探す。
これは苦しくて辛いですし、何かが良くなることは無いです。

他力本願もいけません。
しかし、自分がすべて悪かったのではないと知る事は大事です。
その上で、誰かを責めても手遅れであり、仕方ないとするしかない。

「自分は何を教えてもらっていないんだ?
 何を知らないんだろう?
 それは今からでも何とかなりますか?」

と考え直すと、何とでもなります。

これは私が大分年を取って知ったことです。
叔父と父の違いは、道徳教育の差でした。

古代の中国が王権について考え始めたとき、儒教が生まれました。
その中で「徳」という概念が提唱されています。

これは、
為政者(=リーダー)が求められる特質(魅力=カリスマ)だそうです。

それらを抽出し、分類して解析し、
一般の人が身につけられるようにしたのが「道徳」です。
躾やマナーとは根本的に格が違いますよね。

真の教育と言うモノは二千年も前から確立していたわけです。
これを馬鹿にして重用しなかったのなら、確かに自業自得なんですよ。
しかし、意外とそういう事は昔からずっと起きていたんだと思います。

「それほど凄いものなら、もっと早く教えてほしかった。
 俺が言う事を聞かなければ、
 引っぱたいてでも言う事を聞かせてほしかった。
 あれ? ああ・・・確かに、そうしてるか・・・・。
 じゃあ、何が悪かったんだ?
 俺? そういわれればそうだけど。
 もっと何とかしてほしかった。
 大人たちの教え方も悪かったんじゃないのだろうか?」

大人たちの教え方に差があったという事です。

ですので、
自分が大人になったあとは、
自分が親となって自分をいたわり、
自分にあったペースで自分に教えましょう。
知識さえ得れば、何とでもできると思いますよ。

以上、ご参考になれば。
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幕末の大村益次郎。

司馬遼太郎の花神を参考に。田舎のお医者さん、今でいう根暗な子供が、東北鎮撫では、西郷隆盛をあごでつかってました。
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