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1. 善を損傷させる意志行為とその欠けた善の状態があるのみ。

2. つまり その損傷行為およびその結果の状態を ひとことで悪と呼ぶのみ。

3. どこにも 悪というものが 独立して存在することはない。

4. 損傷させる意志行為は 善なのか? 悪ではないのか?

5. 生命として・生きる存在として・死ではないという意味で その意志行為は 善である。

6. しかし――いかんせん・かなしいかな・神 あわれみたまえかし―― この人間の存在と意志行為は 有限で相対的な善である。

7. 人間は・その精神は――神は ほむべきかな―― 移ろいゆかざるを得ず 朽ちることが可能な存在なのだ。


☆ ご見解をどうぞ。

質問者からの補足コメント

  • №10つづき

    ■ ③.『人間の意志行為として』⇒どうしていいか分からない。もしくは、『どうにもならない』という諦めの心から何もしない、何も出来ない。
    ☆ 稀ですがあるかも知れない。


    ■ まぁ、こうした事は一般的には学習しませんから、分からなくて当然かもしれません。
    ☆ 今回 触れないこととします。


    >■付録:
    ・『南無妙法蓮華経』という『仏の当体』であり『法』の事です。
    ☆ 法華経・如来寿量品・文底秘沈のブッダとは 普遍神のことです。

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/11/28 20:13

A 回答 (18件中11~18件)

此処でのやり取りを見て思いました。



悪は善の損傷であるという見方は、この宇宙を、或いは神を、“絶対善”と捉えての意見であると。

苦しまざる生物を生じさせた神という存在は、罪作りなものですね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 悪は善の損傷であるという見方は、この宇宙を、或いは神を、“絶対善”と捉えての意見であると。
☆ 微妙なので 細かい点を述べておきます。

悪は存在しないゆえ 絶対性は 絶対善のみです。絶対悪は ありません。


★ 苦しまざる生物を生じさせた神という存在は、罪作りなものですね。
☆ 《苦しまざるを得ない》ですか? 

まぁ そうでしょうね。

詳しくは 神との約束をやぶって 善を悪を知る木から採って食べたので 《思うようにならないという苦しみ》が生じました。

自業自得だと言えると同時に もともと神は 人間がそういうことを仕出かすと分かっていましたから 神が 罪作りなヤツだという見方も当たっています。

お礼日時:2020/11/28 16:54

No.2お礼の回答。



回答の前に、一つ訂正があります。

*****************************************************
『十界互倶』・・・この言葉の意味は、法界に十種の境涯がある事ではなくて、『一念三千法門(天台大師:智顗)』において、『十界の中にそれぞれ十界を具し、百界となる。』。その事を『十界互倶』と言います。
※ただし、ここでは一念三千を用いると、話がややこしくなるのでこの場での訂正に止めたいと思います。
*****************************************************

>★ 『十界互倶』
>☆ が 同時に成り立っているのでしょう?

・その通りです。 

>つまり つねに・誰にでも・どこででも 部分的にしろ《仏界や菩薩界》が>ただちに実現する状態にある・・・のですよね?

・その通りです。

>つまり 地獄界にいるふたりが交わっているとしても 互いに互いの仏界の>発現がつねに控えているのですよね?

・その通りです。

>つまり 仏界という善に対して もし背を向けてこれに逆らったなら 地獄>界の様相がほぼ全面に出てくる・・・ということですよね?

・その通りです。
■「もし背を向けてこれに逆らったなら」、、、意識的に人間が逆らうという事ではなく、無意識のうちに現れるという事になると思います。法界とは深層心理の作用ですから。

>つまり 善にさからうという意志行為が 悪なら悪を生じさせている。

・その通りです。
※上記注釈参照。


>つまり 地獄界や修羅界なる悪が 独立して存在するゆえに 悪が世の中に出現する・・・というわけではない?

・その通りです。

>この点 どうでしょう?
>それとも 地獄界は 仏界からまったく独立して存在しそのチカラを遺憾なく発揮する・・・ということでしょうか? どうでしょう?

・先ず一つに、『法界』という一つの括りがあります。例えて言うならば、風船や袋、あるいは、ミカンの入ったネット(袋)の様なものです。そこに、十種のボールが入っている状態です。それらが、縁に触れた時に、十種類の内の一つのボールが表面に押し出される状態です。しかし、絶えず縁は続いて行く為に、瞬間瞬間によって押し出されるボールは変わっていくものですが、風船や袋を飛び出す事はなく、また、他の種類の物が加わる事もなく、十種類のボールが存在しているのです。


No.3お礼の回答。

>○ 人間が 一念三千の当体である。
>☆ という理解が よいと思っています。

それで、良いと思います。

>○ 苦しみの境涯に浸る悪なる状態は 地獄界という契機(?)が ほかの仏界などから独立してはたらいて陥ってしまうものなのか?

多少なりとも関連性は有ると考えます。しかし、地獄界であれば、地獄界の様相が最も強く現れ、色法に影響します。また、十種の境涯は瞬間瞬間変わって行きますので、地獄界だけが永続するといったものではありません。 

>○ 悪は悪 善は善として 一念三千の当体たるわれわれここの人間においてはたらいている・・・ものなのか?

・結果として、善にもなりうるし、悪にもなりうるという事です。
もちろん、『法界』が根底にある以上、そもそもが人間の生命(命)において、既にその要素を持っていると言えます。そしてそれが、結果的に『善』や『悪』になりうる。

■付録:
釈尊は、『法華経』の中で何を『善』とし、何を『悪』としたのかと言ば、
法華経を読み、書き、広める事を『善』とし、法華経を謗り、法華経を広める人を誹謗する事を『悪』としています。これこそが、人として最高レベルの『善』と『悪』を意味しています。
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この回答へのお礼

■ No.3お礼の回答。

>○ 人間が 一念三千の当体である。

■ それで、良いと思います。

>○ 苦しみの境涯に浸る悪なる状態は 地獄界という契機(?)が ほかの仏界などから独立してはたらいて陥ってしまうものなのか?

■ 多少なりとも関連性は有ると考えます。
☆ 《多少なりとも》なんですか? 十界互具ではないのですか?

■ しかし、地獄界であれば、地獄界の様相が最も強く現れ、色法に影響します。
☆ それは そうでしょう。《もっとも強く現われる界》のことを指して言っているのですから。

■ また、十種の境涯は瞬間瞬間変わって行きますので、地獄界だけが永続するといったものではありません。
☆ その点は いまそれでよいと思います。 

>○ 悪は悪 善は善として 一念三千の当体たるわれわれここ(個々)の人間においてはたらいている・・・ものなのか?

■・結果として、善にもなりうるし、悪にもなりうるという事です。
もちろん、『法界』が根底にある以上、そもそもが人間の生命(命)において、既にその要素を持っていると言えます。そしてそれが、結果的に『善』や『悪』になりうる。
☆ いえ。なおあいまいです。《結果として》では 不服です。

《悪に成り得る》というとき それは 《悪という何らかのチカラが独立してはたらいて 成る》のか? という問いです。

法界を擁する一念三千の全体たる人間存在が――仏界をやどしているからには 善であって その――善なる心身から 地獄なら地獄という悪に陥る。しかもそのとき 善なる主体が 悪を成そうという意志行為としてそう成って行く。――のではないか?

細かく言えば 地獄に落ちるのは 知らず知らずにそう成る場合があるかも知れない。けれど その地獄の状態にあり続けるというのは もしそうだとしたら 人間の意志行為としてそういう状態に居続けることである。――と考えるのですが どうでしょう?

■付録:
釈尊は、『法華経』の中で何を『善』とし、何を『悪』としたのかと言ば、
法華経を読み、書き、広める事を『善』とし、法華経を謗り、法華経を広める人を誹謗する事を『悪』としています。これこそが、人として最高レベルの『善』と『悪』を意味しています。
☆ 主観としてあり得ましょうが その仮説は一般的ではないですね? 法華経の何がよいのかを明らかにしないと。

お礼日時:2020/11/28 16:49

善も悪も本人次第。


何かに被害や損害が出る事は“悪”…利益相反なら立場によって変わるでしょう。
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この回答へのお礼

人間のおこなう事柄として その善悪の中身は 基本的に相対的なものでしょう。

★ 善も悪も本人次第。
☆ ということも 基礎的なことに属しましょう。

ただし 哲学は 出来るものならそこにも 一般性を見つけ出そうとします。



おそらく こうでしょう。

○ (善の損傷としての悪は ヤマシサ反応にさからうことから来る)

自然本性としての心にさからうような何かを思い浮かべたりあるいはすでにそういったことを行動にうつそうとしたりするなら 身には やましさ反応が起きます。

胸の動悸が高鳴り 顔は赤くなったり青くなったり 舌はしどろもどろ。そして恥づかしさを味わい のちのちには 恥または罪の意識で良心の呵責を受けます。

このように ヤマシサ反応にさからうことは 悪につながります。もともとの心〔たる善〕に背きその心を傷つけるゆえです。
~~~~~~~~~~~~~~~

☆ この主観内におこる認識および判断において 善と悪とが区別されるものと思われます。そして 一般性を持つと考えられましょう。

もっとも酷い悪は この判断をすることができないようにする行為・つまりは 存在の抹殺です。



★ 何かに被害や損害が出る事は“悪”…利益相反なら立場によって変わるでしょう。
☆ 立ち場によってどちらとも判断され得る場合というのは ふつう 利害関係の問題でしょう。善悪観にもかかわりますが 微妙に違いも現われるものと思います。


よって問いは こうです。:
○ 悪というものが 独立して存在するか?

お礼日時:2020/11/28 13:02

そういえば昨日、放送大学たまたま聞いたらハイデガーだった。

理学から哲学に転向したとか。

回答としてはよくわかりません。あー青葉。
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この回答へのお礼

放送大学 ときどき見ています。

初歩の物理とか 庭園の歴史とか 日本語学講座 あるいは 美術と哲学とかでしたか。

空いた時間にテレビを開けるので よい聴講者ではないです。

お礼日時:2020/11/28 10:19

No.2、3です。



これからお出かけしなければならず、少し離れます。
続きは後ほど、回答させていただきます。

失礼いたします。
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この回答へのお礼

№7を承けてのお礼です。

★ No.2お礼の回答。
★ 『十界互倶』の訂正
☆ 承りました。


>★ 『十界互倶』
>☆ つまり 地獄界にいるふたりが交わっているとしても 互いに互いの仏界の発現がつねに控えているのですよね?

★・その通りです。

>☆ つまり 仏界という善に対して もし背を向けてこれに逆らったなら 地獄>界の様相がほぼ全面に出てくる・・・ということですよね?

★・その通りです。
■ 「もし背を向けてこれに逆らったなら」、、、意識的に人間が逆らうという事ではなく、無意識のうちに現れるという事になると思います。法界とは深層心理の作用ですから。
☆ おそらく 《さからう》行為のほうは 人間が意識して成すものと思います。次のごとく。

>☆ つまり 善にさからうという意志行為が 悪なら悪を生じさせている。

■・その通りです。

>☆ つまり 地獄界や修羅界なる悪が 独立して存在するゆえに 悪が世の中に出現する・・・というわけではない?

■・その通りです。
☆ よかったです。この点の確認は 重要だと思います。

次は念のためです。:
>☆ それとも 地獄界は 仏界からまったく独立して存在しそのチカラを遺憾なく発揮する・・・ということでしょうか? 

■・先ず一つに、『法界』という一つの括りがあります。例えて言うならば、風船や袋、あるいは、ミカンの入ったネット(袋)の様なものです。そこに、十種のボールが入っている状態です。それらが、縁に触れた時に、十種類の内の一つのボールが表面に押し出される状態です。しかし、絶えず縁は続いて行く為に、瞬間瞬間によって押し出されるボールは変わっていくものですが、風船や袋を飛び出す事はなく、また、他の種類の物が加わる事もなく、十種類のボールが存在しているのです。
☆ けっきょく十界互具つまり 十界の中のひとつのボールには 十界のそれぞれのボールがふくまれている。という点を重ねてつけ添えれば よく分かりましたとなると思います。

お礼日時:2020/11/28 16:36

No.2です。



『神』論にしてもそうであるが、質問者様の思考というものは、全体的に見て「キリスト教的要素」が強いように感じます。
これは、私の学が足りないせいでもあるとは思いますし、質問者様に対する大きな誤解、偏見でもあるとも思います。

先の回答は、仏教理論の中の『十界論』ですが、人間の生命(命、精神)の奥底にある『法界』を十種に建て分けたものです。これは、今更質問者様に提示する事ではないと思いますが、人間の思考・行動の最たる要因を成しているものであり、質問者様仰るところの『善の行為』、『悪の行為』についても、この十種の生命状態の作用により、思考・行動として身を通して現れた結果であると言えます。

出来ますれば、質問者様はご理解されているかと思いますが、こうした『仏教的理論』も踏まえて、再度思考していただけるともう一段界深い境地に至るのではないかと思います。
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この回答へのお礼

そうですね。

わたしとしましては:
○ 人間が 一念三千の当体である。
☆ という理解が よいと思っています。

過去を現在における記憶として 未来を現在における期待としてそれぞれふくむ現在を 永遠の現在と捉えます。因縁果報などの関係をふくむすでに歴史過程を この現在時として捉えます。縁起共生史観です。

あるいはまた 無限と有限との――有限なる人間存在における―― 一体性をしかるべく捉えた空仮中の三諦なる視点が ふくまれています。

この前提のもとに十界互具を捉えて 質問しました。

この理解はおろか 全体観としても未熟なことはわきまえていますが たとえば:
★ 『善の行為』、『悪の行為』についても、この十種の生命状態の作用により、思考・行動として身を通して現れた結果であると言えます。
☆ とおっしゃるのならば 前回のようにお尋ねしてもよいかとは思いますが どうでしょう?


たとえば:
★★ ~~~~
・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。⇒以上、四悪種
~~~
☆ というふうにそれとしての悪が説明されています。

ですから きわめて単純な疑問は こうです。:
○ 苦しみの境涯に浸る悪なる状態は 地獄界という契機(?)が ほかの仏界などから独立してはたらいて陥ってしまうものなのか? 

○ 悪は悪 善は善として 一念三千の当体たるわれわれここの人間においてはたらいている・・・ものなのか? 

☆ です。おしえていただけるとさいわいです。

お礼日時:2020/11/28 09:20

今回、全く質問者様の質問に対しての回答にはなっていないと思うが、、、



【十界】

・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。⇒以上、四悪種
・人 界・・・一般的な『人間』の境涯。
・天 界・・・喜びの境涯。⇒以上、六道。六道輪廻の六道です。
・声聞界・・・悟りを求める、求道の境涯。
・縁楽界・・・自然現象などから、物事の真理を悟る境涯。⇒声聞、縁楽二つの境涯を併せて『二乗』といいます。
・菩薩界・・・悟りの道を開いて、人々を救おうとする境涯。
・仏 界・・・究極の真理を悟った覚者の境涯。

この十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事を『十界互倶』と言います。
そして、何かの縁に触れる事によって、瞬間瞬間にその境涯が変化していくのです。
その生命の奥底にある十種の境涯が、意識や言葉、表情や態度や動作にそのまま表れてくるのです。
そしてそうした事が関係して、自身の生活環境や地域社会を形成しているのです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


お聞きしますが:
★ ~~~
何かの縁に触れる事によって、瞬間瞬間にその境涯が変化していくのです。

その生命の奥底にある十種の境涯が、意識や言葉、表情や態度や動作にそのまま表れてくるのです。
~~~
☆ でもそのとき:
★ 十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事
☆ つまり:
★ 『十界互倶』
☆ が 同時に成り立っているのでしょう? 

つまり つねに・誰にでも・どこででも 部分的にしろ《仏界や菩薩界》がただちに実現する状態にある・・・のですよね?

つまり 地獄界にいるふたりが交わっているとしても 互いに互いの仏界の発現がつねに控えているのですよね?

つまり 仏界という善に対して もし背を向けてこれに逆らったなら 地獄界の様相がほぼ全面に出てくる・・・ということですよね?

つまり 善にさからうという意志行為が 悪なら悪を生じさせている。

つまり 地獄界や修羅界なる悪が 独立して存在するゆえに 悪が世の中に出現する・・・というわけではない?

この点 どうでしょう?


それとも 地獄界は 仏界からまったく独立して存在しそのチカラを遺憾なく発揮する・・・ということでしょうか? どうでしょう?

お礼日時:2020/11/28 08:41

日常的口語文でお願いします(^^)



言葉が理解できません…

基本的に“善は善”…正義対悪なら、悪の方が勝るでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 日常的口語文でお願いします(^^)
☆ 文語文は:
☆☆ [6]神 あわれみたまえかし / [7]神は ほむべきかな
☆ だけですよね。これらは気にせず 回答を考えてみてください。



★ 基本的に“善は善”…正義対悪なら、悪の方が勝るでしょう。
☆ その悪が 独立した存在(ちから?)ではなく 善を損傷させる〔相対的な〕善としての意志行為である・・・のではないか? と問うています。どうでしょう。

お礼日時:2020/11/27 20:33

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