この詭弁におつきあいください。そして その当否について吟味・検証しつつ ご教授ください。
*
ひとは なにゆえ うつろいゆくことになるのか?
なにゆえ うつろいゆく側に心を置いてみようとするのか?
その心の片向きは 弱さから来るのか?
思うようにならないことにやけを起こすことからか?
ひとと心をかよわすことが出来ずにくじけてしまったからか?
けれどもその片向きをえらび取るのは おのれの意志である。
おのれの心の・おのれの存在のうつろいゆくことを おのが意志が欲する。ということが起きる。
やがて朽ちるそのことをえらばざるを得ないかのように おのれの心の腐る側へと おのが意志が向かう。
はっきり言えば おのれの死〔への道行き〕を意志がえらぶ。
けれどもこれは タナトスなどという死の本能などではない。
愛である。
社会に生きるというその存在の互いの関係性にもとづく愛である。
おそらく生きることを欲するゆえに 生きることとしての善を損傷させるかたちを取ってでも 世の中の人びとのうつろいゆく姿を見て見なかったことにはできない。という愛 からである。
世の悪を 《わたし》は 引き受けるのである。
なぜなら 《悪は存在しない》とそのおのが自然本性において信じているから。
愛が そこに すでに起こってしまったそれだけのこととして そういう生き方をわたしたちはえらんでいる。
知らなかったけれども 《わたし》はそれを欲したようなのである。悪を引き受けるという選択を。
*
《うつろいゆく・朽ちる・腐る》といった――つまり要するに ひとは時間的な存在であるから 死を死ぬというさだめにある――性質がある。
この《うまれて来て 生きて やがて寿命をまっとうして死ぬ》という《わたし》の時空間のウゴキに問題はない。
それは 言うなれば善であると思われる。
その善なる基礎としての自然本性・そしてそのうちの自由意志には この朽ちるウゴキをみづからが早めたりわざと欲したりする向きへも片向きそのように出来上がったヱクトルとして作用することが起きる。
これを 負の善 つまり 善の損傷と捉え 悪と呼ぶと考えた。
さらにはこの《悪》としてのウゴキ あるいは《悪》を――すでに身の周りや世界には起きているのを見てそれらを受け留め さらに――みづからが引き受けるという〔言ってみればコジツケのような〕《愛》のチカラおよびそのハタラキがある。のか?
悪に同調することと悪を引き受けることと。
考えてみれば 前者のよわいハタラキも すでに言うなれば愛である。ひとの存在をめぐって社会性ないし関係性の関数だという意味である。
*
《悪は 存在しない》という命題は 《悪に同調すること および 悪を引きうけること》といった《愛》の問題であった。
愛は すでに理屈抜きで 自然本性にあって――この自然本性なる心にさからって作用した自由意志にも対抗するかのように どん底より持ち上がり湧き上がって――その底力なるハタラキを表わす人間のチカラであるらしい。
《善に根差しつつ悪をも引き受ける》ところの《愛》
悪につき合う悪。
それは 死のほうへ寄って行くようなことだが
しかも愛だ。
*
愛とは何だ? と言われるでしょうから さしづめ おのれを活かし相手をも活かすハタラキでしょうか。
A 回答 (38件中1~10件)
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No.58
- 回答日時:
No.57
- 回答日時:
No.55
- 回答日時:
フランス語(しゃべれないとは言ってたけど) できるんじゃなかったの?
「l'homme lui」
は 訳せないのですか?
それだと
hominem eum
となる場合ではないのか。
いやあ そんな表現 あるのかなぁ。
というより
qui creauit eum, hominem
というふうに そこは 切れると思われる。
いやいや。
nulli dubium est
non secundum corpus neque secundum quamlibet animi partem
sed secundum rationalem mentem 〔 ubi potest esse agnitio dei 〕
hominem factum 〔 ad imaginem eius ( qui creauit eum )〕.
つまり
nulli dubium est
hominem factum
ad imaginem eius
secundum rationalem mentem
つまり eum と hominem とのつながりなんてないのではないか?
対格の hominem は 《人間について〔うたがいがない〕》の意味なのだろうか?
いわゆる対格と捉えるから 分からないのだろうか。
No.53
- 回答日時:
qui creauit eum hominem, qui ad imaginem eius factus est.
→
eum hominem, factum ad imaginem eius, qui
ごく普通の修辞過去分詞をつかった限定的用法です。
No.52
- 回答日時:
sorry!
X qui creauit eum hominem ad imaginem eius factum XXestXX
O qui creauit eum hominem ad imaginem eius factum
そう言えば 最初の条件文で 主語が《われら》であったものが 二番目の条件文ではその主語が ipse などという三人称の単数に変わってしまうのだろう?
だけれど
▼ そこに神の知識が存在し得る理性的な精神によって・・・造られた
☆ というのは あまりかんばしくないですね。《理性的》であろうがなかろうが《精神》によって 存在が造られたというのは 解せない。
No.51
- 回答日時:
全体の知識としてももっとも重要なのは
secundum という言葉が表すその本義です。詳しくは、トマス秋茄子の「essentiaについて」を読んで再検討することです。
構成としては qui eum hominem creauitが意味上の主題です。
スタイル的にも当然ですが、factum を補語とする 「est」は かっこ悪くなるので かかれていません。勘違いです。
hominem [(←factum ad imaginem) eius (,) qui creauit] eum
主軸となる文の意味上の「述語」は何かわかりますか?
まず大事なことは
qui creauit eum が 三位一体を 意識して「創」「造」「者」という3部構成で一つの名詞を構成しています。この三つの単語を切り刻むと不敬であるという中世的考えです。
ipse est nouus homo quiは、今の人間の様態のなかで、哲学的に掘り下げるべき主題です。
ipse (egoを離れたところの自身)・est(今現在のあり方=現存)・nouus+homo(アトリビュートとしての「理性的改め」を不可分にもつ持つ概念としてのひと=「創造的な理性と人の結びつき」)・qui(そしてどういうものがそこにいるのか)
ということです。
Augustinus のかいたことにまで いちゃもん付けないでください。
X 《 est・・・・・factum : 造られた》の主語(つまり 《人間は》というかたち)
o qui creauit eum hominem ad imaginem eius factum est
nulli dubium est
eum hominem, factum ad imaginem eius, qui....
「他ならないことであるが、疑いなく 主題に関する最重要点は、誰あろうxxxである」 という強調文です。
そういうひとを(子)、主のIMAGO(=三位のPersona「面」の投影)に基づいて(精霊)、お創りになられた(神)
Augustinusの一番言いたいことが分かってない。
学校に行ったほうが近道なのではないでしょうか?
まずは英語で読みなさい agnitio dei (ごとく ではない主格--「が」) などの表現は、簡単ですし 英語でうまくあらわされています。
ふうむ。
★ qui creauit eum hominem ad imaginem eius factum
そうすると 対格の hominem は やはり対格の eum と同格ということですか?
分からんなぁ。
いっそのこと dubium の対格になっているのではないの?
《創造主の似像にしたがって造られた人間ということへのうたがい〔がない〕》
けれど nulli って属格ですか? なんで?
いや いちゃもんではなく 知りたいのみ。
No.50
- 回答日時:
Si ergo spiritu mentis nostrae renouamur, et ipse est nouus homo qui renouatur in agnitionem dei secundum imaginem eius qui creauit eum, nulli dubium est non secundum corpus neque secundum quamlibet animi partem sed secundum rationalem mentem ubi potest esse agnitio dei hominem factum ad imaginem eius qui creauit eum.
しかるに もし 精霊とともに 我々の精神を通じて改新されるのであれば、
そして、人がほかならぬ 人自身が 神を知ることへと 突き動かされ刷新されるのであるならば、
神が、神の面影に准えて創造したのであるなら、疑いないこととしては、
神の血肉を模ってではなく、霊魂の任意の一部に模してというのでもなく、理性的精神(mens rationalis)
----そこでは、人として神を知るということがありのままのあり方で、いきづくことのできるのであるが--------
その理性に副って、人は、創造主の面影になぞらえて創造された。
この回答への補足
おしえてください。
《 hominem 》なる対格語は 《人として 神を知る》のごとく 《 agnitio dei 》にかかっているのですか?
そうではなく 《 est・・・・・factum : 造られた》の主語(つまり 《人間は》というかたち)ではないのですか?
でも 対格になっているのは なぜでしょう?
おしえてください。
ラテン文には わたしよりもなじんでいるようですので あとは 読んで分かるこなれた日本文にするということではないでしょうか?
○ spiritu mentis
☆ は やはり《精神の霊》でしょうね。人間の内にやどるものを言うと思います。
あと あらためて補足欄にてとします。
No.42
- 回答日時:
わたしの書いてることを読んでないし
理解もしていないということを再認識するべきです。
うつろいと 恒常の 対置の前提には、
主と自の対置があります。
天と地です。地とは移ろいです。
まず
キリスト教一般の善説は、
神は善・地は悪という単純なものであるという前提を忘れてはならないという
ことを述べています。
またキリスト教的善は、東洋の名詞的善ではなく 名詞化された 形容詞的善 であるということも大前提としてあるのです。
つまり善はアトリビュートでしかない。言い換えれば堕天使*fallingsのすみかであるこの現象世界の地上では
善たる実態を伴わないものであるということです。また「実体」としての善=全は「内なるもの」に他ならないということである
といえます。
簡潔に述べると主観的主体のフィルター)durch mich(を通じて得られる善は、存在「sein」の補語でしかないということです。
すべては後付けです。ぬのじ に描かれた絵柄を主観という「一つまみ」でねじり絵としての本来のあり方を台無しにしている状態です。
本論
例)
この子達は ブさかわいい。
あのこ も ブさかわいい。 あたしも よ。
そういっている人の心の中をのぞくと
実は 他人にブさかわいいと言及している
そのただ なか で
その人に 他人をかわいいと思うという心の動きが欠如している という事実を指摘しているのです。
なぜこういうトリックを使うかというとそのモチベーションは、
自分がかわいいといってほしいという深層および表層心理です。自己の固執です。
また
ご質問のケースに引き付けて言いますと
おれさまは おまえたちとかかわることで あまえたちも おれもいきている。
といっているひとの心理を おなじように覗き込むと
結局は、 どうだおれは生き生きしているだろう!いきいきしてるといえ!いっき いっき だ ドイッキダ!一向一揆だ!
というっているということです。
しかしその 段「落」として 「あまえ」たちに 対し あなたが
「お前らは死んでいる」と思っているという事実は見過ごせません。
善論愛論に関しても同様です。
おまえらは 「全部善!おまえらも善!」と大音声でふれまわっている 俺の言うことが聞けないのか
聞こえているなら手を上げろ 回答をしろ!
できないのか できないのなら人間ではない 人間になれ。
という内容を
この子達は みんな ブさかわいいわネという内容と置き換えてみてください。
どうだ おれは善である。俺には善がわかる。すごいだろ。すごいといえ。
とにかく俺様は善だ!わからないのか!
でよく見てみるとうるさいだけで善のかけらもない。
ということにほかなりません。
また最後に愛についても、
うつろい悪に傾く人間がいるとして、
前提は、悪に傾く前は善であるというものがあり、
なんらかの過程を経て 今の傾きになったといっていますが、説明したくない自覚したくないのかもしれませんが、
キリスト教的には、落ちてくる前こそが善であったということを忘れているということなのです。うつろわ ないのは当然今ではない過去です。
俺様がカラムことでお前を生かすことになる!起きるか死ぬかは お前の問題だ 触らせろ!
俺を受け入れろ!俺には愛がある!
といっている「ただ中」にある あなたの心中に 「愛がない」という事実を指摘しているのです。
もう一度よく読み返してください。愛から離れて論述してはいません。
問いに対して回答を寄せるように願います。
たとえば次のくだりが主題であり それについて何の顧慮もなされていない。こう受け取りました。
☆☆(趣旨説明欄) ~~~~
愛は すでに理屈抜きで 自然本性にあって――この自然本性なる心にさからって作用した自由意志にも対抗するかのように どん底より持ち上がり湧き上がって――その底力なるハタラキを表わす人間のチカラであるらしい。
《善に根差しつつ悪をも引き受ける》ところの《愛》
悪につき合う悪。
それは 死のほうへ寄って行くようなことだが
しかも愛だ。
~~~~~~~~~
★ 天使
☆ は われわれ人間が自分たちに仕えさせるものです。どうでもよろしい。(あるいは ヒラメキを天使と呼ぶというだけのことです)。
★ 他人(ひと)とわれ われとなんぢ
☆ ではなく そうではなく ここでは人間の一般性を前提としての問い求めです。
その上で カカワリやマジワリの場面をも確かに取り上げています。《悪につきあう悪》などが それです。ただしこれも 一般性としての人間が前提にあります。
★ 善悪論
☆ については この質問の前身である次の質疑応答を見てみてください。
【Q:この世に 悪は 存在しない。】
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7671611.html
べストアンサーでのやり取りだけでも参照してみてください。
この件も 一般性としての人間を前提にしていると言えます。
★ キリスト教的には、落ちてくる前こそが善であったということを忘れているということなのです。
☆ これは文脈からすれば 《天使》のことを言っているのでしょうが それとは別に同じ主旨の問題としては アダムとエワにとってのヘビをめぐる自由意志の問題があります。
ありますが これもすでに解決済みです。
その結果をかんたんに言えば 自由意志が 言うとすれば おのれの知覚する善とそしてその善にさからう《善の損傷 としての悪》を欲するということ。そして 論証抜きになりますが この自由意志を中核とする人間の自然本性 これは もし言うとすれば――つまりどうしても善悪論を片づけようとするのならば―― これ(自然本性)が善である。というものです。
この問題も 前項に挙げた質問でのやり取りを見てみてください。
総じて言って
★ とにかく俺様は善だ! わからないのか!
☆ と言われても そんなことより質問の内容に沿って回答してみてください。
No.41
- 回答日時:
ご自身の質問に回答を与えているだけなのですが・・・
哲学カテです。
サブスタンスsubstantiaに関する基本的見解を前提として一般論をつづっているつもりです。
ご自分のたてた質問でさえ忘れていらっしゃるごようすですねwww
「悪に片向くことは 煮詰めて言えば 愛である。」というのは間違いで
関係性が未分化な場あイはあるやもしれませんが、
基本的に理性に近いものであると理解しております。
つまり
「おのれを活かし相手をも活かす」と指摘することが、『あいである』とは言えないと申し上げておるのでございます。
単に「あなたにも理性がある俺にも理性がある」といいふらすのは愛ではないといっているだけです。
他者との関係を持てなかったという歴史的背景から
質問者様のケースは、対人関係の
もちよう
が 未分化かつ幼いものであるため その認識に欠けているのではないかということです。
そうですか。
質問者としては
☆☆(趣旨説明欄) 悪につきあう悪
を実行しているのみであって それも愛だと言おうとしている それだけのことなのです。
このことが
★ 「おのれを活かし相手をも活かす」と指摘することが、『あいである』とは言えないと申し上げておるのでございます。
☆ と見なされるということは おのれを活かしていないか 相手を活かしていないか またはその両方かであるということでしょうか?
理論に合わない例外が出て来ているのか。それとも 理論がわるいのか。
★ 単に「あなたにも理性がある俺にも理性がある」といいふらすのは愛ではないといっているだけです。
☆ ということは 《愛》の定義のほうですか。理論のマチガイというのは?
いやいや。これは ひとつの定義をしているのみですから ひとつ前の引用文に戻るなら どうも《何なにと 指摘することが》とありますね。
つまり 質問者の定義は
☆☆(趣旨説明欄) 愛とは何だ? と言われるでしょうから さしづめ おのれを活かし相手をも活かすハタラキでしょうか。
と言っていますが 回答者はこれを
★ 「おのれを活かし相手をも活かす」と指摘することが、『あいである』とは言えないと申し上げておるのでございます。
★ 単に「あなたにも理性がある俺にも理性がある」といいふらすのは愛ではないといっているだけです。
のごとく受け留め それについて批判をおこなっている。そういうことになりますね。
どうも対人関係のもちようが 未分化ではなく分化し切ってしまって 相手の言うことを別のものにすり替えるという到ってソフィスティケートした認識方法が過剰である。このように見えますね。
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