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いずれ死ぬんだったら、今死んでも同じだと思いませんか?

質問者からの補足コメント

  • 皆様ご心配下さりまして、ありがとうございます。
    今の世の中いつ死んでも、不思議では有りません。

      補足日時:2020/12/04 18:13
  • 感染症、過労死、事故死などなど、死にたくなくてもお迎えがやって来ます。
    そこで覚悟を決めておきたいと思い、質問させて頂きました。ᕙ(⇀‸↼‶)ᕗ

      補足日時:2020/12/04 18:17

A 回答 (31件中1~10件)

結局「死」の完全回避は人間ではどうにも出来ないことなので同じことに決まっています。

そもそも人がなぜ生きているのか定かな答えはないのですから尚更です。

この質問文は人間が自らに死を与えることとは一切関係が無いということを謳っていませんのでどうしても自殺を連想させるのではないかと思います。
質問者さんのいう覚悟を決めておくということの範囲は「死ぬことだけ」を従容と受け入れるための精神的な沈静のことを言っているように見えます。

常に死を意識して生きるべきではないかと問われたならば「それができ得るならそうすべき」と答えます。今となっては精神力だけでこういう境地に立てる人がいるのかどうか...生半可でできることではないです。病気や紛争によって強制的にそこに立たされるというのがほとんどではないでしょうか。
神経の研ぎ澄まされ方、感受性、他人に対する思いやりなど常に脇に「死」を意識している人が善悪問わずより高位のベクトルであろうことは想像に難くありません。
花の色、ご飯の味、家族への感情、知人との交流、、季節の変わり目、虫のような小さな生き物の扱い、仕事への配慮、もう何もかもが最終的な結果は別としてもより真剣な深いところで対応するようになることだと思います。

今天井を突き破って隕石の直撃を食らっても、50年後に100人の家族親類縁者友人に囲まれて臨終を迎えるのも死ぬことでは一緒です。人間という種族の間で培われてきた価値が違うことであって、人間が生きている本当の目的にはどちらが適っているのかなんて誰にも分らないです。
で、あるならば一段階次元を下げて人間としてより良く生きるためということで捉えることです。どうせ正解は分からないんですから意識を持ち合わせて自由に動けているうちは「死」を常に意識しながら、意識もなく自由に動くことも出来ない「死」の状態を避けていけばいいじゃないですか。

「死」はどれも同じだけど、人間種としての「生」は死を意識することでより輪郭が際立って明瞭になるんじゃないかとそういうことです。
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この回答へのお礼

ありがとう

常に生物は死と隣り合わせで生きていますのですが、しかし多くの人は、実感が無く生きています。
親族や友人等の葬儀に際し、故人の在りし日を偲んだりして人は、いずれ死ぬものだと改めて感じますが、それも四十九日や一周忌を経れば、次第に故人は遠い記憶の彼方に追いやられ、人は日常生活に身を置くのみです。
今地球上にいる人達は150年後には、誰一人いないでしょう。
逆に今から150年前には、私達は姿形も有りませんでした。
150年前は幕末ですよね!
確かに歴史を動かした人達がいたのです。
今の2020年はcovid19で世界がパンデミックだったと、歴史の数行で語られる事でしょう。
地球46億年のほんの一瞬を、生きているに過ぎません。
2千年前といっても地球時間で言えば、つい1秒にも成らないとても短い時間です。
大切に生きようが粗末に生きようが、既に現在は遥か無窮の彼方へと遠ざかる過去なんです。

お礼日時:2020/12/05 18:20

主権在民


お国の為に生まれて来た訳では、有りません。
まるで昔の軍国主義みたいな、ご意見ですね!

↑ ↑

死にたい人が主権在民?? ハイ!ハイ!出ました人権
いい言葉ですね。

公共の道に掛かる経費も
墓地の管理費も掛かりますし
病院の施設費も公共に掛かる費用が掛かります
納税もしないで死にたいだと?? 

80歳まで納税をしなく死にたいと言うなら

それでは貧しい国に移住し
そちらでどうぞ・・日本国民(頑張って納税している労働者)に
負担を掛けないで下さい。
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この回答へのお礼

納税はしてますし、貴方に指図される筋合いなど1ミリ足りとも有りません。
他人の事よりご自分のお尻を清潔にして下さい。
墓地の管理費を納める親族が途絶えると、霊園やお寺は墓地の遺骨を無縁仏として移します。
1年間告知の立て札を設置しても尚、親類縁者などが訪れない場合です。
そして残された墓地は更地にして、また新たに売りに出すのです。
ですので管理費の心配は無用ですよ。

お礼日時:2020/12/05 17:14

自分でコントロールできない原因でということでなら理解はできますが、そうでなくても【今死んでも同じ】とは思わないです。

私には、何とどこが同じなのかの比較ができないからです。


私個人的には、幼いころから私の人生の最期は後悔もあるだろうし、納得して受け入れられないものだと思っています。それは、生まれつきの持病の影響で、実際にある日突然に何度か死にかけた経験があるのですが、いずれの時にも受け入れる態勢が無かったので。死は不条理なものという認識があるというか。率直に言うと、自ら絶つ以外はそういうものだと思っていて。


覚悟はしておいてもかまわないと思いますが、それほどまでに失い易いのが【命】なので大切にしないといけない、ということでもあると思います。


現在は時代も移って、葬儀や相続に関する話題を元気なうちに家族で話しておくことも重要だということもわかってきましたし。葬儀社のテレビCMもよく見ますけど。


私は44歳男性です。昔、私が高校三年生のときに通っていた予備校の総合英語のある男性講師が、最後の講義の時に「命は、ことごとく例外である」という趣旨のお話をされたことが心に残っています。当時「今、こうしてこの時間にこの場で受験勉強をしている場も、奇跡なのだと思ってほしい」と当時の世界情勢やいろいろな社会環境の中での今の自分たちの環境についても考えて欲しいとおっしゃっていて。受験勉強で疲弊している中でも、これから大人になっても、自分や他人の命や可能性を大切にして過ごしてほしいという話でした。



ご質問文は死についてのお話ですが、私が受験生当時に聞いた話でもう一つ重要とされたのは、【この世の誰もが生まれる前にお母さんのお腹にいて、生まれるときの命がけの大変さ、生まれてからの親や周りにいる人たちの苦労があって、今ここにいることを忘れないで生きて欲しい】ということでした。


命について考えるときには、死についてだけでなく、生まれるまでの苦労、生まれるときの大変さ、生まれてからの親や周りにいる人たちとの関りも考えると、たやすく失われる命であるからこそ大切にしなくてはいけないということでもあると思います。いろいろな人の心労や大変さがあって生きているのだから、命を粗末に扱っては割に合わないという感もありますし。



だからこそ、生きるうえでの困難があると、生きることが辛すぎることも多いのだとも思います。どちらか選べるとした場合、生きることの方が簡単ではないので。



そういった時は、周囲に助けを求めたり、協力することが必要だとも思います。
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この回答へのお礼

ありがとう

素晴らしい予備校の先生ですね!
受験勉強以外の命の大切さを語るとは。。
回答者様の仰る事が正論だと思います。
でも人の命は他人が握っていたりしますから!
例えば北朝鮮ミサイルが飛んで来て、死ぬかも知れません。
いつ死んでも無念の無い心境でいれたらと、思っています。

お礼日時:2020/12/05 16:25

いずれ死ぬのだから、今死ななくともよいと思っています。

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この回答へのお礼

ありがとう

いずれが1時間後かも知れないので、覚悟を持って生きる事に意味があると思います。

お礼日時:2020/12/05 14:55

悔いなく生きていれば大丈夫ですが、それでも、もっと頑張るというのも同じ位に大事ではないでしょうか。



安楽死の件は重い病気の方々限定のアンケートをとって精神分析医等が検討すべきだと思います。健常者の意見は他人事の可能性がありますから。
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この回答へのお礼

ありがとう

頑張っている進行形の状態で、いつ人生が終わっても悔いない覚悟で生きているのが、ベストかと思います。

お礼日時:2020/12/05 14:53

少ない相続税を納めるであろう方は



もっと働いて所得税と市県民税を80歳まで納めてから

死ななければ日本国においての国益にならない。

もう少し日本国のことを考えてくれ。
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この回答へのお礼

ありがとう

主権在民
お国の為に生まれて来た訳では、有りません。
まるで昔の軍国主義みたいな、ご意見ですね!

お礼日時:2020/12/05 14:13

NO24です


お礼読みました
おっしゃる通り、もちろん人生は長さではないですよ
いかに生きたか、どれだけ人の役に立ったかではないでしょうか
長さに価値はないと思っています

ただ、自分が死んで悲しむ親や家族がいるなら、生きていること自体が孝行で価値があります

生まれてすぐなくなった死産した子供でも姿を見せてくれただけで親孝行したのではないでしょうか

私も1時間後に心臓麻痺で無くなるかもしれないし、質問者様の仰る通りいつ亡くなるかわからないからこそ、いつ死んでもいい覚悟で、というのはとてもいい心がけだと思います
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この回答へのお礼

ありがとう

回答ありがとうございます。
ほっておいても生物は老いて死ぬ様に出来てますし、弱肉強食の自然界の生き物でしたら、餌を探してても自分が餌にされてしまう事も、普通にあります。
やはり生物は覚悟を持って生きているので、人間も同じだと思います。
長寿が保障されてる訳では有りませんので。。

お礼日時:2020/12/05 14:09

平均寿命は延びていますが、健康寿命との差は10年以上だったと記憶しています。

(男女差はありますが)誰かの手助けがなければ生きていけない。これが怖い。
だからがん検診は受けない。私の一つの結論です。認知症になったらどうしよう?
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この回答へのお礼

ありがとう

日本もオランダみたいに尊厳死を認めてくれれば、自分の意志で生まれて来た訳では無い人生ですから、死ぬ時は自分の意志を尊重してもらいたいと思います。

お礼日時:2020/12/05 12:29

最近そう思うようになりました


宇宙の永久性を思えば、1年も100年も同じぐらい一瞬の出来事です
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この回答へのお礼

ありがとう

そうなんですよね!
死への恐怖は古代エジプトでは、ミイラにすれば再び蘇る事を信じて、恐怖心を無くしてたのかも知れません。
日本でも高僧が自らミイラに成ってます。
結論としては、>人生とは死ぬ事と見つけたり!
と言って自殺した旧制一高(現東大)生の思いに至るのでしょうか?
昔の作家は哲学的思考に没頭していた様です。
芥川龍之介、森鴎外など自殺しています。
人生は長さでは無く、いかに生きたかが大事なのでは。。
いずれ死ぬ運命にある訳ですから!

お礼日時:2020/12/05 12:24

お礼読ませて頂きました。



>バッドエンディングでゲームオーバーする可能性は誰しもあるし、いつ突然訪れるか分からないので、その覚悟を持って生きると言う意味です。
武士の様に。。

私が思うバッドエンディングとは、自然な寿命が来る前に、自分自身でそのゲームを終わらせてしまうことだと思ってます。

武士のように、いつ何が起きても良いように生きる‼️というのは共感します。
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この回答へのお礼

ありがとう

今は企業で不祥事が起きたら、社長や会長が交代するぐらいで済ませてますが、江戸時代でしたら切腹ものだと思います。
そのぐらい政治家も企業も責任を持って、政策や経営に当たってほしいものです。
社会が甘いから、自分で起こした不始末を自分で決着着けない。
再び同じ事を繰り返す!
覚悟を持って生きてれば、間違いを起こす確率は少ないと思うし、同じ過ちを犯さないのでは!
人生は長さでは無いと思います。

お礼日時:2020/12/05 11:42
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