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近代ヨーロッパではサイエンスより一段低く見られ、卑しい身分の者が学ぶとされたエンジニアリングですが、日本では東京大学の帝国大学化を機に世界初となる工学部を設立し、その前身の東京大学理学部(工学系)と合併した工部大学校の出身者階層の多くは士族、幕臣だったとある文献に記されていました。
江戸時代の士農工商の身分制度の元、彼ら武士たちは西洋人と同じく「工」を見下していたであろう事は想像に難くないはずですが、では一体何故彼らはわざわざその3Kの道へ進んだのでしょうか?
サムライエンジニアとでも言うべき国家エリート意識の強い彼らの活躍こそが近代技術国家へと先導したのだと思いますが、彼らのプライドやそれまでの慣習を考慮するとそこに至るまでの経緯がどうしても理解できないです。
日本の工学とその歴史に詳しい方、教えて下さい。

A 回答 (3件)

> 「工」を見下していたであろう



あなたは日本人ですか?
日本の文化を全く理解できてないように思うんですが。
士農工商が制度として本当にあったかどうかは知りませんが、しかし、貧乏順であったのはほぼ間違いありません。
戦国時代辺りから、商業という新しい分野が開拓され、それが栄えたわけです。
対して侍の方はどうだったのか。
また、そもそも江戸後期の侍は、非常に怪しい存在で。
今、皇室の跡継ぎ問題が出ているわけですが、それなら中下級の侍の家の跡継ぎ問題なら続出して当然だったでしょう。
そして、借金問題を抱えていたわけです。
お金が欲しい武家、地位が欲しい商家、利害が一致するわけです。
だもんで、黒船が来たり薩長のクーデターが起こった辺りでは、刀売っちまって無い、鎧の付け方知らね、なんてのがゴロゴロ居たそうな。
しかし、武家だって商家だって、バカを養子にはしないでしょう。
学問くらいはできたかもしれませんよ。
その地位から、良い学校、今なら地域トップの県立大学(国立はほぼ無い)に行けたかもしれないし。

第一、刀も鉄砲も鎧も、工業製品ですよ。
それを生み出す人を見下すような文化は、この国にはありません。

> 3Kの道

いつから軍人が3Kじゃなくなったんですか?

どうもあなたは、中国や朝鮮の糞儒教や糞朱子学の悪影響を受けすぎているように思います。
人が居れば見下すんだというのが間違い。

> 彼らのプライドやそれまでの慣習を考慮するとそこに至るまでの経緯がどうしても理解できないです。

日本の知識、日本の有り様の知識0で、日本についてはどこかから文言を引っ張ってきただけで、それに対して適当に外国と比較して出鱈目な結論を導いていれば、理解できる方がおかしいです。
知ったかぶりの外国人による、出鱈目な日本論に、この手の話がよくありますね。
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ヨーロッパの文化文明を考えるとき、キリスト教の、カトリック教会の富と権力を軽視することはできません。



カトリック教会は国王よりも強大なパワーを持ち、聖書の記述内容を正当化する議論としての神学を強化発展させ、神学者の一部がヘレニズムの遺産であるギリシャ哲学の研究もして、いわゆる哲学者も擁する巨大なアカデミズムの世界を作り上げており、天文学やら解剖学など哲学から派生した「この世の真理」を追求する諸学が発展してました。このヒエラルキーでは、物作りではなく形而上学が大切にされ、18世紀にイマニュエル・カントが既存の形而上学を破壊するまで、形而上学が学問の頂点にあるとの共通認識がヨーロッパを支配していた訳です。

これに対して、日本では日本神道が神学論争に立ち入らなかったこと、日本式仏教も真理の追及ではなく現世の安寧を重視する傾向があったことなどより、ヨーロッパと異なり「形而上学が一番上」という考えはなく、従って形而上学を頂点とするヒエラルキーは出来なかった。一方で、刀鍛冶から始まり鉄砲や大砲をはじめとする軍備産業で抜きん出ることが天下取りに役立つ現実があった。

日本では伊能忠敬の様にものづくりとは関係ない優秀な科学者も輩出していますが、天下取りを最終目標とした武士達のヒエラルキーが有って、その武士たちが、実学=もの作りを重視したのは歴史の必然であったといって差し支えないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ヨーロッパの上流階級が好んだリベラルアーツや形而上学といった学問の土台が日本には無かった故に、何の躊躇も無く自然科学をすっ飛ばして戦争に役に立つ軍事工学を学ぶ姿勢が整ったのですね。
当時の日本の文明の遅れが良い意味で日本に於ける工学の地位を高めたという事ですかね。

お礼日時:2020/12/13 01:31

江戸時代の士農工商の身分制度の元


 ↑
士農工商という制度が存在しなかった
ことは、実証研究により確かめられて
います。
これは中国の思想です。

どんな思想か、といえば、国家に対する貢献度
を順に並べたものです。



彼ら武士たちは西洋人と同じく「工」を見下していたであろう
事は想像に難くないはずですが、で
は一体何故彼らはわざわざその3Kの道へ進んだのでしょうか?
 ↑
1,江戸は職人の街です。
 中韓と違い、日本では職人はそれなりに
 尊敬されていました。

2,科学は大学の象牙の塔での研究対象でしたが、
 やがて、技術と結びつき、科学技術となり
 産業化して、工学となります。
 これが成功したので西洋が力を持ち
 世界を席巻出来たのです。
 明治政府の目的は、西洋列強に追いつき追い越せです。
 つまり、工学は国家に対する貢献度が非常に
 高くなったのです。
 
3,武士というのは戦争のプロです。
 戦場では死体を扱うのは勿論、糞小便など垂れ流しです。
 汚れ仕事に、それほど抵抗は無かったものと
 思われます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
現代の日本を見る限り職人さんが重んじられているとは思えませんが、中韓よりかはその様な風土は元々あったのですね。
ドイツの様な感じでしょうか。

やはり私も同意見ですが、富国強兵の為に工学技術が嫌でも必須になったというのはやはりデカいですね。
西洋列強に追いつけ追い越せの当時の武士達は見栄もプライドも捨てて全力だったのでしょうね。

お礼日時:2020/12/13 01:25

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