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ヒトラーはユンカーを憎み、自らをプロレタリアートと言った。

共産主義を憎んで、金持ちのユダヤ人を殺した。



全てに矛盾があり、ますで被支配者が暴力を使って、支配車から逃れようとしているようでもある。
ヒトラーは何かを恐れていたのだろうか?

分裂症にしかみえない。

A 回答 (4件)

1914年、ドイツ帝国は第一次世界大戦勃発後に金本位制から離脱、マネーサプライは戦時中4倍に膨れ上がった[15]。



第一次世界大戦後、ドイツ経済は戦時体制と長らく続いたドイツ封鎖によって疲弊していた。さらに連合国のヴェルサイユ条約によって、1320億金マルクの賠償金支払いが課された。これはドイツの支払い能力を大きく上回っており、また外貨で支払うことが要求されていたため、賠償金の支払いは滞った。

1923年1月11日、フランス・ベルギーはイギリスの反対を押し切り、ドイツ屈指の工業地帯であり地下資源が豊富なルール地方を占領した。占領に対しドイツ政府は受動的な抵抗運動を呼びかけ、ストライキに参加した労働者の賃金は政府が保証した。既に第一次世界大戦中よりドイツではインフレーションが進行していたが、抵抗運動に伴う財政破綻によって致命的な状況へと導かれ、ルール工業地帯の供給能力を失ったために、空前のハイパーインフレが発生した。

同年6月までに、マネーサプライは大戦前の2000倍に増加し、一般物価水準は25000倍を超えていた。マルクは1年間で対ドルレートで7ケタ以上も下落するインフレーションとなり、パン1個が1兆マルクとなるほどの状況下で、100兆マルク紙幣も発行されるほどであった。このため、この時期のマルクは「パピエルマルク(紙屑のマルク)」と呼ばれる。紙幣が額面ではなく重さで取引(事実上秤量貨幣化)されたり、紙幣の印刷を急ぐために片面印刷にしたり、既に流通している紙幣の額面を証紙やゴム印などで修正するなど、通常の状態では考えられないような事態が発生した。

またこのハイパーインフレを「ユダヤの紙吹雪」と呼ぶ反ユダヤ主義的な陰謀論も流行り、アドルフ・ヒトラーらがミュンヘン一揆を起こしたのもハイパーインフレの危機が収束するかしないかという時期であり(1923年11月8日)、左派による地方政府掌握が発生するなど、混乱はドイツ中に広がっていた。

第一次世界大戦後のドイツのハイパーインフレでは、酒場の客は、値段が上がらないまだ早い時間のうちに、数杯のビールを一度に注文したとされる。

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ナチスは表裏の二面性が非常に強く出ていた。



表には共産主義と同じ全体主義を非常に効率的に運営しようとしたことだ。
再軍備とアウトバーン建設という超大規模公共投資で、国民を大不況から救出を図り、国民車フォルクスワーゲンを開発して国民に買ってもらい、経済を回そうとした。

しかし、先行投資が巨額過ぎて、借金返済が不可能になった。
そこで裏技が出てくる。
まずは国民の預貯金など資産を、一時的に国民に無断で拝借して借金返済に充てる。それだけは足りなかったので、多くの国民が恨んでいたユダヤ人を罰して財産を没収して借金返済に充てる。

それでも足りないので、再軍備した軍事力を使って周辺国を脅し、領土を得ては借金返済に充てた。
それでも財政の火の車は収まらない。そこでソ連が持つ大油田などの地下資源を狙いを定めた。共産主義を憎んでいたというよりもソ連の資源が欲しくてしょうがなかったのだ。

以上のように、ヒトラーは借金に追いまくられ、国民にバレたら殺されかねないという恐怖に追いまくられていた。
それが分裂症のように見えたのでしょう。
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背後からの一突き



てな言葉をご存知でしょうか?

(  ̄▽ ̄)にっこり
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ただの吉街だった。

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