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平安時代について。
平安時代で、女性が芝居小屋などで舞を舞う…なんてことはあったのですか? 
また、平安時代にはすでに遊郭などはあったのですか?

A 回答 (5件)

日本には古代から「巫女舞」があった。


平安時代には、方々を渡り歩く巫女が存在し、芸能とともに遊女化する一団も現れる。その発展形が源義経の愛妾・静御前で有名な白拍子だ。
当時は芝居小屋というものはなく、屋敷や神社などで舞っていた。

また、専門的な遊郭はないが、港町など人の出入りが激しい場所の宿には遊女がいたことは知られている。江戸時代で云う飯盛女だろうか。
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多数の人が踊ったりしたことは古代の時代からあったでしょうが、芝居小屋というのは平安時代にはありません。

あってもせいぜい能舞台です。歌舞伎の創始者と言われる阿国も能舞台で踊ったとの記録があります。
芝居小屋が一般的になったのは江戸時代です。だって戦乱が続く時代には芝居小屋など建てる余裕はないですしね。

遊郭については、豊臣政権が、私娼を一箇所に集め、柵などで囲った小さな家に住まわせ、そこを「傾城町」や「色里」と呼んだのが最初だそうです。本格的な遊郭は江戸時代になってからですね。これも戦乱の時代だったら遊郭などで遊んでいられないです。
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芝居小屋自体がありません


従ってそれに伴う物はありません
奈良時代は神前やお寺の儀式としての舞しかありません
平安の末期になると 武士達の宴席に白拍子という
祝い事を歌いながら舞い踊る集団が出てきましたが
町中ではしていません
性は自由なので そんな場所必要ないのです
神社が出来た 巫女が舞を奉納する 巫女が年を取る
神社に参拝客が多く来る。 お茶屋食べものを出す店が増える
歳の行った巫女が働く お酒を出す 
 遊郭になる
という構造ですから
昔から大きな神社には 必ず遊郭が存在しています。
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芝居小屋というのはまだなかったでしょうが、白拍子という歌って踊る芸能はありました。

源義経の静御前が有名ですね。

遊郭という形をとっていたかどうかは分かりませんが、遊女は間違いなくいたでしょう。
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遊郭はあったような


平安京の地図に記載があったような、、

有史依頼、遊女は一番古い職業であった
と、きいたことがあります。
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