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源頼朝が弟達を幽閉、殺害した原因と、一夫多妻制度の歪んだ縺れについて。

平安時代は複數の妻たちがいたので妻同士が男子を産むために歪みあっていたとか、夫と同居する(正妻)を勝ち取るために女同士が競い合っていたとか、色々な話を聞きます。

妾には、遊女や出自不明の女は沢山出てきます。
一見すると、平安時代はどんな身分の女でも妻になれる機会があったかのように見えもしますが、当時貴族の中では、正妻と側室(妾)には越えられない高い壁が、暗黙のルールの内にあったのではないでしょうか。

そうでなければ、腹違いの子供間で諍いになりかねません。

例えば義経の母はもともと平清盛の妾(白拍子=遊女?)でした。戦利品だったのです。
義経は、「正室の子ではない=頼朝の家臣になる事」だと分かっていなかったから、頼朝(異母兄弟)と権力対立を起こしたのではないでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 義経が、「静御前」(白拍子=遊女)に惹かれたのも、母親が白拍子だったからですか?

      補足日時:2022/08/09 13:35

A 回答 (3件)

「蜻蛉日記」は、美人の誉れが高く、詩歌にも才能を発揮した、才女の


筆者が側室で味わった、嘆きを日記として、書いたものです。
打ち壊しの話も出て来ます。

白拍子と遊女は違いますよ、遊女は身体さえ健康ならば、誰でも成れて
女性の職業として最古の物です。
白拍子は、美人で歌舞音曲、詩歌に優れていないと、貴族から声が
掛りません。
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この回答へのお礼

男を魅了する方法が違うだけですね。

どちらも娼婦。

時代の移り変わりはこんな感じでしょうか?
白拍子→芸妓→女優(枕営業)
遊女→花魁→風俗嬢

お礼日時:2022/08/10 09:18

訂正。


遊女の子は長男義平ですね。あと範頼も。
朝長は波多野氏の娘が母でした。
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常盤は宮仕えしていた宮女です。

家が貴族ではなかったので下働き程度ですが、美人として有名で、源義朝に見染められて側室になったのです。
義朝の子で遊女が母なのは次男の朝長ですね。
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この回答へのお礼

出自不明の下女だったことには変わりないでしょう。
それに平清盛の愛人までしたいのですから、公娼(娼婦)じゃないですか。

お礼日時:2022/08/10 14:51

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