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日本史 前九年の役

九年の役とは結局なんなのですか?
暴走していた安倍氏を懲らしめるために、陸奥守の藤原登任が挙兵したがぼろ負け。一時休戦。
朝廷は安倍氏に対抗できるように、源頼義を陸奥守に任命。安倍氏は源頼義には適わぬと考え、平服。
それをよしとしなかったのが、陸奥守に任命された源頼義。あと少しで、任期が終わる頼義は陸奥守を自分のものにしたかったから、部下が襲われるという嘘をでっち上げて、前九年の役を再開させた。いくつかの戦いの後、安倍頼時は死亡。源頼義軍は兵力を失い、朝廷からも褒美を貰えなかった。そこで、隣の国に近ずき、兵力を確保して、安倍氏(貞任[息子])を討伐。朝廷側から寝返った藤原経清を斬首。これにより安倍氏は滅亡。
源頼義は朝廷褒美として、伊予守を任ぜられる。
隣の国であり、軍を出した清原氏はさらに上の位を与えられた。

朝廷側から寝返った藤原経清の妻と子が、清原氏に入る。これが後三年の役の原因となる。

藤原経清の子、藤原清衡が後の奥州藤原氏の祖となる。

源頼義、頼家の子孫?血縁?には源頼朝や、足利尊氏がいる。

という認識であってますか?違っている箇所があれば訂正して頂きたいです。

頼義の陰謀説はあくまで、後世の想像ということは知っています。陰謀説を前提にしているので、陰謀説ありきの訂正でお願いします。

前提として、
陸奥の国奥六郡を収めていた安倍頼時の滞納?に怒り、当時の陸奥守(国司)であった藤原登任が挙兵した。で合ってますか?奥六郡in陸奥の国であり、安倍氏は陸奥の国の一部を統治していた豪族?ということでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • すみません。合戦ですね。

      補足日時:2022/04/05 23:15

A 回答 (4件)

当時の奥州は、金、名馬、鷹の羽、海獣の毛皮の産地で、貴族や武士からは垂涎の土地でした。


源頼義・義家父子は、奥州を自分の勢力下に置くために陰謀を巡らせて前九年の役・後三年の役を引き起こしたのです。
両合戦の間に、延久蝦夷合戦という外征がありました。後三条天皇が計画し、大和源氏で陸奥守であった源頼俊が実施しました。義家は、部下に陸奥守の国印を盗ませて、「頼俊が紛失した国印を自分が見つけた」と告発し、頼俊を失脚させました。頼俊が陸奥に勢力を植え付けるのを阻止するためとみられています。
結局、頼義・義家父子の陰謀は実を結ばずに奥州藤原氏に全取りされてしまいました。河内源氏が悲願であった奥州を勢力下に置けたのは頼朝の時となったのです。
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前九年の役は、半独立の豪族安倍氏の反乱が鎮圧されて滅んだだけの話。


安倍氏はたわば!!ひでぶっ!!あべし!!と叫んだと言われている。
一口でいえばそれだけの話なんだか細かく見ればどろどろしていて簡単に鎮圧できず話がややこしいので細かいところには踏み込みたくない。
なんせ陸奥なので安倍氏の正体もよくわからない。藤原登任は国司なのだから反乱を鎮圧するのは当然の職務であって、わざわざ挙兵とはいわないだろう。まあ質問者さんの理解は大筋では合っているとは思う。
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○○の役(エキ)というときは、戦争を意味します。

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手っ取り早く言えば、平安後期陸奥の勢力争いで、結果的に奥州藤原氏が覇権を手にした、ということでしょう。

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