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頼朝が嫌いだったのは?
①平氏 ②奥州藤原氏 ③朝廷 ④義経

A 回答 (2件)

No1です。

頼朝の父は「義朝」でした。
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他人様に聞くのにタメ口で要求かよ。


ここは薄薄ら寒い友情ごっこの馴れ合いSNSではありません。
公の場で使う文章位は身に着けてから来い。


なぜ、どれかを嫌いでなければならないのだろう。

戦争は利益の対立によって起きます。
まともな指導者なら私怨で国力を消耗する戦争はしません。
(少なくとも頼朝クラスなら・・・と思います)

よくある誤解。
頼朝(というか義経)が滅ぼしたのは、
平氏の中の「清盛を中心とした家族集団(=平家)」
源平の合戦記が「平家物語」となっているのはその意味もあります。

そもそも、関東で頼朝に従った者の多くは、平家の増長を快く思っていない他の「平氏」です。
例:畠山、三浦、千葉、上総広常、和田、大庭、梶原(景時)
  北条も平氏です。源氏は新田と足利くらいでしょうか。

「平家」もそこまで嫌っていたとも思えません。
頼朝は保元・平治の乱についての知識はあったと思うので、一方的に平家を恨むようなことはないと思います。
父(義為)の勢力下だった関東への配流自体が清盛の温情ですし。

頼朝が蜂起したのは当初は平家への恨みではなく、自分の勢力基盤としての関東の朝廷からの(半)独立で、平家と日本を東西に分けて治めようとしたのだと思います。
(義経が平家を滅ぼしてしまうとは思っていなかった。)


奥州藤原氏は、頼朝以前から関東全体にとって脅威でした。
頼朝によって関東が纏まり兵を動員できるようになった為に滅ぼされました。
これは安全保障の為であり、好き嫌いで語るのは幼稚過ぎると思います。


朝廷ですが、そもそもあなたの言う「朝廷」って何ですか?
後白河上皇?、安徳天皇?、藤原氏?、政治のシステム?

私は、頼朝はそれらの鎌倉や武士に対する影響力を減らそうとしてはいましたが、消滅させようとはしていないと思います。
彼らの権威を利用しつつ協力して混乱を治めて、新しい秩序を構築しよ用途していたと思います。


義経については、自分の政略を理解できない困った奴 くらいは思っていたかもしれません。(義経も同様)
彼らの手紙のやりとりを見ると、お互いの目的や思考を誤解し合っているように思います。
(お互い、なんでそう考えるんだ と思っていたと思います)
しかし、憎むまで言ったかは疑問です。
頼朝は頼家の補佐にするつもりでしたし。


>頼朝が嫌いだったのは?
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