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政所と問注所というのは、鎌倉時代と室町時代の政務機関だったそうですが、逆に平安時代までの時代と、安土桃山時代以降の時代は、これらの機関はなんで必要とされなかったんでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • その豊臣政権以降との違いが興味深いですね。普通は社会制度という大きすぎる仕組みは、どんな権力者でもゼロリセットしてイチから作り直すのは大変だし、効率も良くないはず。中身はほとんど一緒なんだけど、名前を付け替えただけ、とか、その程度の話ではなかったんでしょうか?

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/11/29 12:05

A 回答 (3件)

もともと政所とは、三位以上の公卿の家政機関の事。

平安時代の三位以上の公卿も政所を設置していて、荘園の管理とかしていました。
頼朝が公卿に昇進すると、頼朝も家政機関として政所を設置して、知行国や荘園の管理を行ったのです。やがて、「鎌倉幕府」が朝廷を圧倒すると、単なる将軍家の家政機関が国政を牛耳るようになり、実質的な国政機関になったのです。
また、平安時代までは訴訟制度は無いようなものだったのですが、頼朝は配下の御家人間でのトラブル解決の為に問注所を設けて訴訟を取り扱わせ、最後は自分で決済しました。頼朝の死後は、幕府官僚が判決文まで作成して将軍は署名するだけになりました。
室町幕府は、新しい幕府ではなく鎌倉幕府の正統な継承機関として成立したので、機構が鎌倉幕府と似ていたのです。
しかし、豊臣政権は、その都度「奉行」を任命して問題に対処しました。
江戸幕府は、「幕府」ではありますが室町幕府とは完全に断絶して、豊臣政権に似た奉行に仕事をさせ、老中がそれを管理しました。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2022/11/30 13:22

平安時代までの時代は、利害対立するほどの利害がなく横暴があっても泣き寝入りが当たり前。

そんなだから自分の権利を守る為に武士が歴史に登場することになったのです。現代なら、いいねをクリックしただけで名誉毀損裁判だから、現代人には歴史を理解するのは難しい。
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