ショボ短歌会

どんな善人であっても、一人くらいはその人(善人)のことを殺したいほど憎んでいたりする人がいるものだと思いますか?

質問者からの補足コメント

  • その言葉について調べてみました。

    調べると「善人はお互いに自分が正義だと思っているから正義と正義がぶつかる」というようなもので、それに対して悪人は自分を悪人と自覚している為、お互いに「自分が悪かった」となり、争い事がないというものでした。

    けれど、自分だけが善だということを確信し相手の意見を聞こうともしない人や、人の意見を尊重しない人は善人と言えるのでしょうか。
    善人というより、「他者を認めない人」=「ある意味善人ではあるけれども真の意味では善人でない善人もどき(半善人)」に思えます。

    私の質問文が説明不足でした。
    私の考える善人は「自分なりの譲れないもの(芯)は持っていながらも、他人の意見を尊重する思いやりをもった人間」です。

    こういう人間である場合もアンチは出現するのでしょうか?

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/24 01:50
  • 他の回答者様が善人の家に争い事絶えず…という言葉を教えてくださったので、その言葉の意味を調べてみた所、私の考えている善人の意味と違っていたようなので捕捉いたしました。

    私の質問は「善人ども一人にくらいは殺したいくらい憎まれることもあるのか」です。

    その善人というのは捕捉で書いた通りの人柄です。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/02/24 18:10

A 回答 (9件)

更に、追加です。



結論としては、
 「自分なりの譲れないもの(芯)は持っていながらも、他人の意見を尊重する思いやりをもった人間」
  ↑
 こういう方は、恨まれたり憎まれたりすることはないが、恨んだり憎んだりする、です。

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しかし、問題なのは、その後。

 稲盛さんは、必ず、毎日、反省をされます。

少しでも、そういうことを思ったりしたら、鏡に向かって「このバカモンが!!」と、自分を叱ります。 そして、そういうネガティブなことは忘れてしまい、先へ進まれます。


 いつまでも、根に持ってしまうと、まずいのではないでしょうか。



 恨んだり憎んだりすることはある。しかし、すぐさま反省をして、そういうことは考えない。

 いつまでも、根に持ってしまうのが、悪でしょう。


道元様には、申し訳ないですが、悪人の家は、途絶えます。(当然の理)
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更に、追加です。



善・悪、は、寺というか東洋の思想。
 (いわゆる、儒学 「師曰く、、」)

 ただ、人間の本性は、善でも悪でもない(陽明学)というのが、本当のようですが。
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>私の考える善人は「自分なりの譲れないもの(芯)は持っていながらも、他人の意見を尊重する思いやりをもった人間」です。



 もちろん、あります!

有名な例が、アインシュタイン博士です。

 この方、質問者様の思い描いている善人そのものです。
しかし、何と、奥様と息子からは、憎まれていました。
(奥様も息子さんも、精神障碍者です)

特に、息子さんからは、死ぬまで、憎まれぬかれたそうです。


※かなり独断と偏見が入ってしまうかもしれませんが、私は、うつ病といった精神病は、こういった”恨む””憎む”といった方々が、かかりやすいのではないか、と痛感しております。



もう一例)
 松下幸之助・本田宗一郎に並ぶ、実業家と称される、京セラの創業者である稲盛和夫氏。
 この方も、質問者様の考える善人です。
しかし、これくらいの人物ともなると、憎まれるなんてレベルではないのではないでしょうか。(大物になればなるほど、憎まれる人数も多くなるかと)


 行き着く先は、No.6様の回答の通りではないかと思うのですが。

善人同士だから上手くいくか、というと、そうはいかない。
 善人を感じる方ほど、恨んだり憎んだり。


 稲盛氏の著作物を読んでいると、もう、露骨に恨んだり憎んだりしています。(御丁寧に、会社名や個人名が書かれていたりします。 汗;)


 ひょっとしたら、アインシュタイン博士も、悪人だったのかもしれません。
(ナチス・ドイツから逃亡していますし。「皆で犯罪を行えば、刑務所が足らず、成立しない」とか言い残していますし。 ただ、ナチス・ドイツの場合、収容所で処分されるので、刑務所は不要なのですが。あと、アメリカには、善・悪という概念が、ありませんし。キリスト教なので、すべて、悪人。)



 
結論としては、
 「自分なりの譲れないもの(芯)は持っていながらも、他人の意見を尊重する思いやりをもった人間」
  ↑
 こういう方は、恨まれたり憎まれたりすることはないが、恨んだり憎んだりする、です。


 (参考)↓
  





※ちなみに、「軽いヤリ(矛)」の反対は、「思いタテ(盾)」


                       <(_ _)>
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無人島で自給自足の生活してたら


大丈夫だとは思いますよ

社会で生活すると
良くも悪くも
アンチは発生しますもんね

善人だろうが!
悪人だろうが!

陽キャだろうが!
陰キャだろうが!

相性ってありますもんね
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>善人はお互いに自分が正義だと思っているから正義と正義がぶつかる



 善の世界に、正義は無い

正義には、武力が伴う

>自分だけが善だということを確信し相手の意見を聞こうともしない

   これは、善ではなく”独善”


 相手の意見を聞こうともしないのが「悪」
相手の意見を尊重したら「善」

 ただ、相手が「悪」だったら、どうしたらいいのか(修行を積む)




 質問者様が、疑問を抱いているのは”独善の方”ではないでしょうか。

    独善は、「悪」
この回答への補足あり
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ただ善人=迷惑なひと



ではないと思います。
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下の方のご意見、参考になりますφ(・ω・`)

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そもそも善人とは、最も迷惑な人の事です。

「どんな善人にもアンチはいますか?」の回答画像2
この回答への補足あり
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殺したいほど憎まれるのかどうかは分かりませんが、善人ほど悪人から妬まれたりするので そう言った事はあると思います。

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