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茨城南部に鉄道が少ない理由は何でしょう?
https://roote.ekispert.net/ja/rmap/fullscreen
で確認すると,栗橋ー土浦,土浦ー佐原間あたりに一本ずつぐらい路線があってもよさそうな気がします.


なお,なるべくお礼はしたいとは思っていますが,無関係な回答をした場合にはスルーする予定です.

質問者からの補足コメント

  • 時系列順間違えました.
    1883年 東北本線開通
    1886年 常磐線開通
    1890年 利根運河開通
    1894年 総武本線開通
    1890年 利根運河最盛期終了
    1897年 成田線開通
    1911年 千葉県営鉄道の野田町駅(現在の野田市駅)開業
    1929年 東武野田線開通
    1947年 新京成電鉄新京成線開通
    1979年 北総線開通

      補足日時:2021/03/11 12:39
  • 時系列順,再訂正と追加
    1883年 東北本線開通
    1886年 常磐線開通
    1890年 利根運河開通
    1894年 総武本線開通
    1897年 成田線開通
    1899年 東武伊勢崎線開通
    1910年 利根運河最盛期終了
    1911年 千葉県営鉄道の野田町駅(現在の野田市駅)開業
    1929年 東武野田線開通
    1947年 新京成電鉄新京成線開通
    1979年 北総線開通

      補足日時:2021/03/11 12:44
  • 地盤,確認してみたんですが,
    https://xtech.nikkei.com/kn/article/building/new …
    https://www.j-shis.bosai.go.jp/map/
    むしろ埼玉・群馬南部・栃木南部のほうが地盤弱いように見えるんですが.

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/03/11 21:50
  • No.13さん,失礼いたしました.

    以下の路線は成田空港とは関係ないですよ,と言ってるんですね.
    北総線
    千葉県営鉄道(未成線)
    新京成線
    東武野田線

    うち,千葉県営鉄道と東武野田線,新京成線が関係ないのは明らかですが,
    北総線は成田空港と関係ないですかね?
    成田空港の場所決定は1966年,開港は1978年
    北総線の答申は1972年,着工が1974年
    これで無関係ってことはないんではないかと
    あと成田新幹線計画とかありましたね

      補足日時:2021/03/12 21:29
  • No.13さんへの補足追加,

    >あと成田新幹線計画とかありましたね

    だから,千葉北部の鉄道普及と成田空港開港は無関係とはいい難いと思いますが,いかがでしょうか?

    ※「ほら,茨城南部の話でなくて千葉の話をしているではないですか」と
    ※ツッコまれるかもしれませんが,
    ※相対的に茨城南部に鉄道が少ないのはなぜかを聞いています.
    ※なので,「千葉にこーんなに需要があるからだよ」でも回答としてありです.
    ※ただし,歴史的事情を考慮してください.
    ※単に「需要がないから」という回答では,
    ※「鉄道が引かれなかったから需要も生まれなかったのでは?」
    ※「当時,他の地域には需要があったの?」と再度聞くことになります.

      補足日時:2021/03/12 21:39
  • No.15さんへ

    >ご自身で図書館でも行って勉強してください。

    では参考になる書籍を教えてください.
    手近の図書館で探してみます.

      補足日時:2021/03/12 23:04
  • No.15さんへ

    >では参考になる書籍を教えてください.

    いや,やはり結構です.自力で文献を見つけましたので.
    それに議論したくないという方にわざわざ紹介していただくのは忍びません.

      補足日時:2021/03/13 00:40
gooドクター

A 回答 (18件中1~10件)

土浦以東は戦前(特に明治・大正)は水運があったので鉄道整備の必要性が薄かったのではと思います。



明治時代の鉄道のメインは貨物でした。
明治・大正時代は霞ヶ浦や北浦、利根川に水運があり、土浦から沿岸各地や佐原、銚子、栗橋、東京にも航路があったそうです。
水戸以南、常磐線以東の地域は輸送を水運が担っておりあえて鉄道を敷く必要が薄かったのではと思います。
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この回答へのお礼

水運ですか!それは今まで考えてなかった論点ですね.

まず,wikipedia霞ヶ浦の歴史#水運によると,

明治に入ると利根川水系に蒸気船が就航し、霞ヶ浦にもまもなく航路が開設されるようになる。航路には10社以上の船会社が参入したため会社間の競争は激しく(中略)当時は土浦や高浜、鉾田などから銚子、銚子から東京に船で行くルートなどがあったが、1886年12月に日本鉄道土浦線(現在の常磐線)が土浦駅-田端駅間で開通。それまで、都心まで一泊二日かかったところが2時間の所要時間に短縮された。また、1897年に本所駅-銚子駅間で総武鉄道(今の総武本線)が開通すると長距離航路は急速に減衰していき、水運は霞ヶ浦と利根川下流域を結ぶ短・中距離航路へと性格を変えていった

・・・となると,千葉県北部は現在の茨城南部並みの駅過疎地帯となっていてもよさそうです.

と思って改めて千葉北部の路線図を眺めると,北総線は1979年開業でかなり遅く,これは成田空港ができたせいでしょう.

それと,成田線の開業は1897年で総武線と同時期(常磐線よりやや遅い)のようです.

また,利根運河の開通は1890年で「運河の最盛期は、開通から1910年(明治43年)頃までのわずか20年程度」(wikipedia「利根運河」による)ということなので,この地域の水運はこの時代には終了していたでしょう.

時系列まとめ(いずれも全線開通というより一部区間供与開始時期)
1883年 東北本線開通
1886年 常磐線開通
1890年 利根運河開通
1894年 総武本線開通
1897年 成田線開通
1890年 利根運河最盛期終了
1911年 千葉県営鉄道の野田町駅(現在の野田市駅)開業
1929年 東武野田線開通
1947年 新京成電鉄新京成線開通
1979年 北総線開通

こうしてみると,千葉県北部(武蔵野線の外側)に鉄道が来たのは,水運最盛期終了後ですね.
つまり,水運が利用されなくなり始めた頃,千葉北部と茨城南部に鉄道を引くとしたとき,より東京に近い千葉北部が優先された.
なるほど.

お礼日時:2021/03/11 12:34

こんばんは、No.9です。



では,「水運が発達していたおかげで茨城南部の鉄道需要がなかった」「柿岡で地磁気観測開始」「利根川架橋困難」といった影響はほぼ無いということでよいですか?

⚪水運に代わっての鉄道ですね。水運の発達のお陰でというより。
⚪柿岡の地磁気は電化する際の問題なので、線路敷設するしないの時代の話じゃないですね。蒸気機関車じゃ地磁気関係ありませんから。
⚪利根川架橋に限らずこの時代の架橋工事はどこも大変ですよ、群馬でも栃木でも。
ただ、群馬、栃木、茨城の運ぶ荷物と、その送り先の違いによる差異はありますね。後は地形とか、昭和近い時代だと軍とか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます.

お礼日時:2021/03/12 23:17

成田空港が出来たおかげで出来た駅は


・成田湯川
・東成田
・芝山千代田
ぐらいですね。

印旛日本医大は元々北総線の2期工事の終点でここまでが北総線が運行主体、印旛日本医大から成田空港線分岐点までは「成田高速鉄道アクセス株式会社」が保有する別路線です。

さて、千葉北部と茨城を比較しながら、茨城南部の話に戻ります。

様々な回答を踏まえて言えば「茨城南部には、東西連絡路線のための需要が無かった」ということです。貨物輸送の必要性と需要がなかったので八高線とか秩父鉄道のような路線は引かれなかったわけです(秩父鉄道は秩父のセメント原料を運ぶための路線開発です)

で、唯一有った「海運代替需要」は千葉県側に作られてしまったので、利根川をはさんで反対側に作る必要性が無くなってしまった、わけです。

となると関西の宝塚線や東急の田園調布のように「住居を先に開発して需要を創出する」という点ができたかどうか?に絞られます。

結論からいえば「そのような需要は都心から30キロが限度」なんです。
実際大阪梅田駅から宝塚までは直進距離で20キロ、路線距離で25キロ、東横線は渋谷-横浜間で30キロ、しかも住宅地はその中間で、宝塚はレジャーランド、横浜-渋谷はどちらも通勤需要だったわけです。

東京から茨城の県境、つまり利根川を超えるには、どうしても40キロ以上になります。千葉ニュータウンも多摩ニュータウンも30キロぐらい都心から30キロぐらいなので、高度成長期でもこれぐらいが限度だったと言えます。

なので、都心に向かう路線需要が茨城県にはないのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます.

お礼日時:2021/03/12 23:07

No.9です。



>なるほど,では,成田空港のおかげで新設されたと思われる駅は
成田空港至近の駅を除くと
印西牧の原〜成田湯川の3駅
京成本線のいくつかの駅
ぐらいでしょうか?

元々、京成本線は京成成田駅まで伸びていました。
京成成田駅から空港線を伸ばしての成田空港駅です(紆余曲折あり)。
印西牧の原駅と印旛日本医大駅は千葉ニュータウン構想の結果。
成田湯川駅は、
⚪近くにショッピングモールがある。
⚪バス車庫が近くにあり、小さいながらも拠点であった。
⚪ダイヤ上、待避設備が欲しかった。
……これで出来た駅。旅客動向もそうですが、どちらかというとスカイライナー速達性維持の意味もあります。成田空港のお陰というのは言いすぎかなと思います。

成田空港のお陰と言うのなら、空港建設の見返りで出来た「芝山鉄道」と芝山千代田駅。
需要の観点では、まずは建設できなかった路線。

後は、新空港道や東関東自動車道が片側3車線で、しっかり照明もある点でしょうね。成田空港のお陰でと言うのなら。
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この回答へのお礼

ありがとうございます.

お礼日時:2021/03/12 22:57

こんばんは、No.9です。



>No.13さんへの補足追加,

>あと成田新幹線計画とかありましたね

だから,千葉北部の鉄道普及と成田空港開港は無関係とはいい難いと思いますが,いかがでしょうか?

※「ほら,茨城南部の話でなくて千葉の話をしているではないですか」と
※ツッコまれるかもしれませんが,
※相対的に茨城南部に鉄道が少ないのはなぜかを聞いています.
※なので,「千葉にこーんなに需要があるからだよ」でも回答としてありです.
※ただし,歴史的事情を考慮してください.
※単に「需要がないから」という回答では,
※「鉄道が引かれなかったから需要も生まれなかったのでは?」
※「当時,他の地域には需要があったの?」と再度聞くことになります.

これを読んでガッカリしました。
何だ、ただ議論を吹っ掛けたかっただけだったのかと。

ココは質問に対して回答する場であり、議論の場ではありません。
議論したいのなら、ご自身で図書館でも行って勉強してください。
私はあくまでも回答しかしません。

相対的に茨城南部の鉄道が少ないのは、重ねてのお話なのですが、
⚪予算
⚪目的
……ここに尽きます。

今の時代から見てではなく、当時の情勢ですが、
⚪群馬は養蚕業・製糸業が盛んでそれを港(横浜港)に運ぶ手段
⚪栃木は石灰やセメント、ドロマイトの輸送
生産物を東京や横浜に持っていきたい。それで日本鉄道や東武といった鉄道が出来てきたのです。
そして、これらの地域にも小私鉄はあり、東武などに吸収され今日に至るのです。

そういう背景から、

>栗橋ー土浦,土浦ー佐原間あたりに一本ずつぐらい路線があってもよさそうな気がします.

これが有ってどうするんだという話に至るのです。
それは他の回答者様も、同じ事を内心は思って回答していますね。
何にために敷設するのか?
……そこに尽きるのです。
目的があっても予算が集まらなくて計画倒れになってしまった鉄道や、経営が巧く行かなくて廃線になってしまった路線があるなかで。

群馬や栃木は産業があったのですが、茨城は鉄道が必要で運ぶ産業は何だったか、
敷設が少ない理由はソコになりますし、東京から見て環状の路線が少ない理由でもあります。
水戸線くらいに、県と県の中心地近くを結ぶくらいしか発想に至らない。
ソコになるのです。

千葉は、
⚪東京↔️県都千葉市中心部のアクセス。
⚪成田山新勝寺へのアクセス(京成)
……これを線路敷設の始まりで、そこから県内でも住民が多い銚子や房総半島の内外で線路を伸ばした経緯があります。

成田空港は皇室の御料牧場が関係しています。
空港作るに土地が必要です。
土地の確保手段、そして成田山新勝寺があり、
既存路線が近くに有る関係で東京の第2空港が成田になった経緯があります。

成田空港は遠い→それで成田新幹線。
成田新幹線が頓挫→既に出来上がっていた成田新幹線の路盤活用で、成田線の支線を敷設。
更に、第2案として速達性を求めての京成成田スカイアクセス線です。
元々は千葉ニュータウンとは別の話です。

第一、北総線自体は小室駅止まりの路線で考えていて、小室~印旛日本医大の間は、千葉県営鉄道(北千葉線)、都営新宿線延伸で考えていました。北総線も千葉県営鉄道も、千葉ニュータウンの為の路線です。

成田空港アクセスは、成田新幹線が頓挫し代案で進めた結果ですから。
線路を一から引くのは大変です。なるだけ既存の設備を活用したい。

成田周辺の鉄道は計画が巧く行かなかった(千葉ニュータウンも巧く行っていない)経緯もあり、線路が多いとか、北総線の経営にも影響しています。
具体的で身近な場面だと運賃がそうですね。

計画変更が重なって、千葉は茨城南部より鉄道が多く見えてしまうのかもしれませんね。経営が成り立っているとは言いにくい現状ではありますが。
成田空港や千葉ニュータウンの話がなければ、もう少し少なかったでしょう。
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この回答へのお礼

>議論したいのなら、ご自身で図書館でも行って勉強してください。

議論したいなら図書館では無理でしょう.
まぁ図書館行ってもよく分からなかったんですけど
というか,図書館で分かるぐらいならここで聞くまでもないですね


>⚪群馬は養蚕業・製糸業が盛んでそれを港(横浜港)に運ぶ手段
>⚪栃木は石灰やセメント、ドロマイトの輸送
>生産物を東京や横浜に持っていきたい。それで日本鉄道や東武といった鉄道が出来てきたのです。

では,「水運が発達していたおかげで茨城南部の鉄道需要がなかった」「柿岡で地磁気観測開始」「利根川架橋困難」といった影響はほぼ無いということでよいですか?
ただし,これらの複合説は個人的にはしっくり来たんですが,
議論したくないということであれば,どうでもいいことかと思いますので,無視してください.

お礼日時:2021/03/12 22:56

>北総線は成田空港と関係ないですかね?


元々北総線は成田空港と関係はありませんでした。

北総線は千葉ニュータウンと都心を結ぶ路線で、成田空港と都心は成田新幹線で結ぶ予定だったからです。ただし、千葉ニュータウンを造成する時に、新幹線と北総線が並んで走るように造成していました。今でも新幹線用の用地は北総線の横に空き地として存在しています。(一部ソーラー発電に使っています。

でも成田空港が過激派の反対運動で開港が遅れたうえに、土地収用委員長が襲われて、土地収用のめどがつかなくなって新幹線構想はダメになりました。

その後JRの乗り入れ、京成本線の乗り入れの後、北総線の延長工事に「成田空港までのルートを入れて、アクセス特急を走らせる」という内容が追加されたのです。
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この回答へのお礼

なるほど,では,成田空港のおかげで新設されたと思われる駅は
成田空港至近の駅を除くと
印西牧の原〜成田湯川の3駅
京成本線のいくつかの駅
ぐらいでしょうか?

まぁ確かにこれぐらいでは「成田空港のおかげで駅が増えた」という主張は微妙ですかね?

お礼日時:2021/03/12 22:03

こんばんは、No.9です。



茨城南部の質問だったのが、いつの間にか千葉の話になっていて困惑しています。
何を知りたかったのでしょうか?

さて、
茨城でも千葉でもそうなのですが、鉄道敷設の理由は、
⚪潤沢な予算
⚪目的
……これは変わりません。

当時は千葉も茨城も畑や雑木林でいっぱい。人口希薄でしたから、旅客輸送より貨物輸送のウェートが高くなる。

自家用車の普及と道路の整備で、
貨物輸送メインで、でも旅客輸送が弱い路線や軽便鉄道は零細鉄道会社が無くなっていく。

東京の人口増加(東京に限らず人口は増加傾向に)。
ニュータウン構想が持ち上がる。
多摩ニュータウン、港北ニュータウン、千葉ニュータウンはもとより、東急による多摩田園都市計画も。

東京のベッドタウンですから、当たり前ですが東京に近いところから開発が始まる。
その一環で出来たのが北総線(あと、未成線で千葉県営鉄道)。
改良が進んだのは新京成。
東武野田線は他社乗換駅から近いところから沿線開発が進む(逆に言うと、他社乗換駅から離れると単線が多いのも上記理由。)
成田空港は関係ありません。

東京に限らず、人口増加傾向でしたから、これらのニュータウン構想以外も開発は進みます。
今の「つくば市」辺り、関鉄の守谷や水海道周辺。
常磐線沿線も開発されますから、混んできます。
筑波万博やりましたからなおのこと。
常磐線も15両に、そしてつくばエクスプレスも(当時は常磐新線。つまり第2常磐線)。

ここで大事なのは、需要は増えてきたけど、その需要は「対東京」。
だから、東京に対して放射状の路線の整備が進みましたし、偏りも表れてきたので、それらの放射線を繋ぐ路線の設備改良(つまり武蔵野線や東武野田線)で解決しようと動いたのですね。
あくまでも整備ではなく改良。それは、やはり対東京がメインだから。

古の筑波鉄道なり、鹿島鉄道なり、
生き残るには東京から離れすぎ。関鉄常総線との違いもココで、関鉄常総線はギリギリ東京のベッドタウンとして家を買う人が居たから開発も進められたけど、筑波鉄道なり鹿島鉄道は東京から遠すぎた。あれだけ遠いとなかなか家を買おうとは思わない。常磐線も土浦折り返しが多いのも、そういう理由。
廃線になり、結果今の姿なのですよ。
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この回答へのお礼

>茨城南部の質問だったのが、いつの間にか千葉の話になっていて困惑しています。
>何を知りたかったのでしょうか?

群馬・栃木・千葉(最初は確かに入れてませんでしたね,申し訳ないです)あたりと比較して,茨城南部が鉄道が発展してない理由ですが,何かおかしかったですか?


>東武野田線は他社乗換駅から近いところから沿線開発が進む(逆に言うと、他社乗換駅から離れると単線が多いのも上記理由。)
>成田空港は関係ありません。

それは関係ないと思いますよ.東武野田線全線開通は1930年ですから,流石に成田空港ができることを見越して野田線作ったんだ,は無いでしょう.

お礼日時:2021/03/12 21:10

千葉県北部出身者です。


埼玉・神奈川などにも住んでいたことがあります。

もう少し視野を広げてみましょう。つまり「都心から50キロ圏より遠い場所の鉄道敷設」です。

東京駅あたりを中心に50キロ圏というと
・千葉県 大網白里・成田
・茨城県 牛久市・つくば市
・埼玉県 加須市・鴻巣市・東松山市・飯能市
・東京都 青梅市
・神奈川県 厚木市・平塚市
あたりです。

地域は鉄道路線が走っている場所を選びました。
で、埼玉・東京・神奈川は東京から放射状にのびる路線だけでなく、放射路線を50キロ圏でつなぐ鉄道路線があります。
いま残っているのは秩父鉄道とJR八高線・相模線などです。

ところが茨城に向かってはこれらの路線が全く無いし、東京から直進する路線も常磐線ぐらいしかない、わけです。

その理由の一つはたしかに海運です。東武野田線は野田の醤油を運ぶために船輸送が大変という理由で作られた者ですので、千葉県北部から茨城県の南西部に鉄道が引かれにくかった理由は「旅客需要がなく、さらに物流需要も少なかった」からだといえます。

で、ここで逆に考えてみます「なぜ埼玉・東京・神奈川には50キロ圏に放射路線連絡の路線があるのか?」です。
その理由は
・東京からの放射路線が日本の物流・経済・軍事の重要路線で早くから整備されたこと
・都心を通らずに、関東の南北物流をスムーズにつなげること
です。

残念ながら茨城県は常磐線と鹿島線があれば軍事と物流の需要は充分に賄えたわけです。実際、質問者様が例示している常南電気鉄道は海軍基地のための路線だったわけですが、しかし基地は戦後まで残ったのに、路線は昭和13年に廃止されています。

また千葉県も常磐線と総武線で「需要は賄える」状況だったといえます。なので成田線は都心にむかって直接引かれず、我孫子で常磐線に接続する形を取っています。これは鹿島方面につなげる総武線の代替路線という性格ももつわけで、これがあることで茨城南部に東西に移動する路線が必要無くなってしまった、ともいえます。

ようするに分かりやすく言えば「成田線が茨城県側を通っていれば、土浦ー佐原間だった」だろうと思います。

栗橋-土浦間は難しいでしょう。関東北部から太平洋に向かって物資輸送する需要はあまりないからです。鹿島のコンビナートに物資輸送するなら海運のほうが有利です。

後は、質問者様もご指摘の通り≪成田空港が茨城南部だったら東京直通路線ができていたでしょう。今後茨城空港の需要が増えれば、鉄道路線が引かれるかもしれませんが、霞が関を迂回することをかんがえると常磐線の分岐路線になるのはほぼ確実ですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます.

お礼日時:2021/03/12 17:58

「石岡市立ふるさと資料館」で以前に行われた企画展「第9回企画展 鉄道の時代に描いた夢 ―明治~昭和初期の鉄道計画と石岡の先人たち―」の解説書を読むと、現在の水戸線を敷設する際にもっと南寄りのルート(下妻や土浦を経由するルート、まだ常磐線の計画も無い頃なので)も検討されていたことがわかります。


https://www.city.ishioka.lg.jp/page/page003619.h …
https://www.city.ishioka.lg.jp/data/doc/14835778 …(PDF直リンクに付き注意)
また、鹿島参宮鉄道(->関東鉄道鉾田線->鹿島鉄道、現在は廃線)は文字通り鹿島神宮方面への延伸計画がありましたし、竜崎鉄道(現在の関東鉄道竜ヶ崎線)は稲敷市方面への延伸計画がありましたが、費用面などの諸事情で実現に至っていません。

石岡市柿岡に気象庁の地磁気観測所があるため、その30km圏内では鉄道の電化は大幅な制約を受ける(現在では、交流電化など地磁気観測に悪影響を及ぼさない方式なら可能ではあるが、費用が嵩む)ことも関連があるかもしれません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E8%B1%A1 …

茨城県などの北関東は日本三大河川の一つである利根川で東京方面と分断されているため、これに架橋して東京方面へ直結するのは多大な建設費用を要します。東武鉄道ですら、2つ目は作れませんでした(東武小泉線を南進させて熊谷に結ぶ計画だったが、利根川を渡れなかった)。
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この回答へのお礼

南線か常総鉄道が開通していて,成田空港がつくばあたりにできていたら,茨城南部にも駅がたくさんできていたかもしれないですね.

ちなみに地磁気観測所が柿岡に移転してきたのは,1912年でした.
1883年 東北本線開通
1886年 常磐線開通
1890年 利根運河開通
1894年 総武本線開通
1897年 成田線開通
1899年 東武伊勢崎線開通
1910年 利根運河最盛期終了
1911年 千葉県営鉄道の野田町駅(現在の野田市駅)開業
1912年 柿岡で地磁気観測開始
1929年 東武野田線開通
1947年 新京成電鉄新京成線開通
1979年 北総線開通

以上まとめると,次のようなストーリーが描けます.
1. 明治初期,各地に鉄道が伸び始める.しかし,茨城南部や千葉北部は水運が強い.
2. 東武伊勢崎線が群馬南部目指して伸び始める(ただし当時はまだ久喜まで.伊勢崎までの全通は1910年).需要は貨物中心でなんとか会社存続.
3. 明治後期,水運の時代が終了し,千葉北部で鉄道が伸び始める.しかし,茨城南部は,同時期,柿岡で地磁気観測開始や利根川架橋困難 ⇒ 茨城南部地域で鉄道受難の時代が続く
4. 戦後,成田空港の完成により,千葉北部に鉄道も新設されるが,モータリゼーションも進み,茨城南部に新しい鉄道が来るのはつくばエクスプレスまで待たなければならなかった.

お礼日時:2021/03/11 19:30

こんにちは、No.8です。



>「3つの理由」は東武線には当てはまらないのでしょうか?

そうですね。
幸運だったのかも知れません。

⚪設立するにお金が集められた。
⚪貨物輸送で収支が取れていた。
⚪東武に吸収された。
⚪そして貨物輸送が衰退する代わりに、沿線開発など東武の投資で経営が成り立った。

もし、東武が吸収していなかったら果たしてとは思います。
勿論、沿線開発が進まなかったでしょうし、設備投資も捗らなかったでしょう。
貨物輸送の衰退と共に収支がおかしくなっていたでしょう。

盛況ならば独立路線で、東武野田線にはなっていなかったのですから。

やはり東京と結んでいると言うのは大きい。
関東鉄道も、東京と直結していないから、今日の姿なのです。

筑波に勢力を確保したかった京成電鉄の意図で、京成グループゆえに関東鉄道も経営守られているという点もあると思います。
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この回答へのお礼

>⚪貨物輸送で収支が取れていた。

なるほど,裏を取ってみました.
伊勢崎線は東武でももっとも早く開業したらしいですが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%AD%A6 …
この当時、東武鉄道は経営難に陥っていた。(中略)1907年(明治40年)に足利町駅(現・足利市駅)まで開業した。これ以降は貨物輸送によって経営難から逃れ、

とあります.ちょっと面白くなってきました.

お礼日時:2021/03/10 11:31

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