10秒目をつむったら…

豊臣秀吉が朝鮮出兵した真相が分かりません。宜しくお願い致します。

A 回答 (7件)

日本列島が簡単に平定できたので、その勢いで。



信長が生きていたら、日本統一の後、朝鮮から中国、インドまで攻め込む予定だった・秀吉はその通りに実行した。かなり眉唾説。
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ヨーロッパのアジア侵略の驚異を取り除く為です。

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褒章確保のためです


天下が統一された
という事はこれ以上領土拡大が出来ない
家臣に褒美が出せない
新たな土地に進出するしかない
こうなります

信長はこの問題を解決するため、茶文化を強引に根付かせ、茶器を与える事で褒章にしました
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作り話だね。

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色々な説がありますが自分はそれらが複合的にだと思ってます。


まあイケイケドンドンてのもあったでしょうね
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朝鮮はただの通り道です、勿論最初から従属させる気ではあっったけど、秀吉の目標は明の征服


朝鮮に関しては戦争せず服属させる予定だったんだけど、小西行長とか、配下の色々な嘘や秀吉の勘違い、お互いの面子などがからんで結局戦争に
っていうか明軍が出てくるまでは秀吉軍が一方的に蹂躙しながら進んだだけですけどね、たった三週間で漢城は陥落ですから
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直接的なキッカケは、日明貿易交渉の決裂。



信長の明国(当時の中国の国号)征服構想を継承したとか、日本統一の勢いとかいう要因もあったかもしれないが、当初の秀吉の構想は、当時は原則的に民の海洋渡航を禁じ、倭寇の影響から、日本とは国交断絶状態にあった明国との国交回復と、日明貿易の開始を狙っていた。

当時の秀吉は、朱印船貿易という名の海外貿易で収益を上げていたのだ。
周辺国では、当然、大国で大文明国である中国(当時は「明」)が、最大の貿易相手国となる。

明は、海洋渡航を禁じていた国家方針と、一向に終息しない倭寇を理由に貿易を応じなかったが、ついに明国も倭寇問題の終結を狙って動き出す。

当時の倭寇は、台湾を拠点とする中国人倭寇に九州の日本海賊が協力するという図式だった。
そこで、明は、台湾倭寇の征伐に乗り出し、秀吉には日本海賊を取り締まるように要請した。それで倭寇撲滅に成功したら、日明貿易を本格的に検討しましょう。ということだ。

それではと秀吉は「海賊取締令」を発して日本側の倭寇を禁止し、明は台湾征伐を成功させて倭寇は首尾よく終息となった。

そこで秀吉は、喜び勇んで約束された日明対等の朱印船貿易の履行を明に迫った。おそらく明側は、倭寇退治成功の暁には、朝貢貿易ではなく、対等貿易を認めるような雰囲気を漂わせていたのだろう。

しかし、明は、一転して貿易は認めるが、対等なんてトンデモナイ。朝貢貿易なら認めてあげよう。という態度を頑なに崩さなかった。

秀吉はさぞかし激怒しただろう。
それで「唐入り」を決定し、朝鮮に道案内を命じたが拒絶されたので、先ずは朝鮮を征服して、それから明国征服に乗り出そうとした。

そういう経緯だから、明国征服というよりも、秀吉の武力に驚いて、明が頭を下げて対等貿易を認めるまで戦争を継続するつもりだったのかもしれない。
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