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なぜでしょうか?
昔の人は同性愛者が多かったのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

当時の同性愛は男色家という意味よりも、主従の関係を


色強く反映しています。
ですから、主=主とか個=個の関係で男色に走ることは
少ない事例だったと言えます。

主従の関係と書きましたが、大名と家臣、親分と子分という
関係よりも、輩として信義を誓い合う関係の証明といった趣です。

戦国の当時は、友情,友人という概念は存在しませんでした。
殺伐としていたからというよりも、そうした観念が無かったのです。
ですから、大名と家臣とはいえ利害関係が行動の最優先の基準でした。
実際、武田家も縁戚から見捨てられ途絶えるわけですから。
そうした利害関係によらない結びつきをもつ人間を作ることが、
男色行為と見做されていると思ってよいです。

男色の話を聞きますが、その大きな理由はお互いが裏切らないよう
ある意味で握り合う行為です。
動物としての性なのか、一度そういう関係を結んでしまうと
相手に対して強く出たりできないもののようです。
例えばの話ですが、ヤクザ同士の一番てっとり早いケンカの方法は
相手の親分のオカマを掘ることです。
次に面と向かったときに、掘られたほうというのは、どんな強面でも
強く出ることができなくなってしまうので、ケンカをぶり返すことはないし
違う交渉を持ち出しても、既に精神的にも屈してしまっているために
すんなりと話がまとまるので「最善の策」と、お偉い方に伺いました。
その話を聞いたときに、戦国時代のそれ(例えば、信玄と高坂)も
同じような感情があったのだろうと思います。
ちなみに信玄と高坂は信玄が上位者ですが、なぜか信玄は高坂に
頭が上がらなかったようです。
あの信玄が高坂に、浮気のお詫び状を出しているくらいですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!
信玄のうんちくもおもしろかったです。

お礼日時:2005/06/22 23:36

#7の方の回答が当を得ていると考えます。


男色1本と言う武将は少なく、大体は両方いける者が普通で、肉体関係を結んだ者が側近として仕え、戦でも生死を共にしますから、友情と言う概念だったと思います。
男女の仲も、肉体関係が無いとどうも信用できないと言いますが、男同士でも同じと思います。
時代が下がって徳川3代将軍家光も若い頃は男色1本、中年に達してから子孫を作る必要に目覚め女性にも手を出しますが、彼の周囲にはホモ達が側近として仕え、亡くなると殉死したものもいますから、結びつきは強かったのでしょう。
確かに武将は縁起を担ぐので、戦場に女を引き連れると縁起が悪いと考えた面もありますが、木曽義仲は巴を引き連れてますし、豊臣秀吉も小田原攻めには淀殿を呼び寄せたり、それ以外でも長対陣になるとこうした武者たちを目当てに芸人や娼婦も集まるので、そこそこ身分のある(お金のある)武者なら女に不自由はしないと考えられるので、やはり友情を確認すると言う意味が大きいと考えます。
完全な男色家も上杉謙信など数人いますが、家という単位で家臣は仕えますから、大抵後継ぎで揉めるので、子供を作るのが義務とされ、趣味としては男色でも妻子がいる武将は多かったと思います。

因みに毛利元就の次男の吉川元春には結婚に関して有名なエピソードがあり、彼の希望で不美人で近隣に聞こえた熊谷信直の娘の新庄局を指名し、当時の武将としては珍しく側室を置かずに、妻との間に数人の子供が生まれました。
彼はブス専という趣味なのかと言う意見もありますが、私はそもそも女性に興味が無く、子孫ができれば敢えて他の女性にまで手を広げる要もなしと考えた、隠れホモと見ています。
彼自身は当時の美的センスでは美男子だったとか。
夫婦仲はよかったようですが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!
歴史にお詳しいですね。

お礼日時:2005/06/22 23:39

まず、戦場に女性は連れて行けないことが挙げられます。

これは、女性は体力的に男性に劣り行軍に耐えられないこと、さらには、子育てに勤しむのもこの当時の女性の仕事だったからだと思います。と同時に、男性は、性的欲求がすぐに貯まる生き物なのです。戦国時代、明日をも知れない生活の中では、本能として性行為を欲するのでしょう。この二つの条件から、同性愛ともとれる行為が発達していったのだと推測されます。このことから導かれる結論は、同性愛が多かったのではなく、女性を側に置けない中で女性の代わりとして男性を求めたと言うところが本当のところだと思います。特に、歴史に名を残す大名という存在は、とかくこれらの記録が伝承されるので、際だっているように見えますが、実際には、ごくありふれた日常の一こまであったろうと想像されます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!
そういえば刑務所の中で男どおしで。。。という話を思い出しました。

お礼日時:2005/06/22 23:38

戦国大名といえば子供を作ることが、しかもなるべく多く作ることが義務みたいな感じでしたので、回りに多くの女性を侍らせていたことでしょう。



ということで、飽きもあったのではないでしょうか。(^ ^;

ところで、「信長公記」首巻に岩室長門のことを「上総介殿御若衆にまいられ候」と表現しています(「御久地惣構破る丶の事」より)。若衆というのを例の母衣衆と同義語なのか、それもと意味深長な言葉なのか…判断付きません。

なお「信長公記」に森乱(欄丸)のことをこのような表現で表している部分はありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2005/06/22 23:37

同性愛というより、両性愛でしょうね。



現代人の「常識」で考えるならば、明治時代以前の日本は、キリスト教公認以前の古代ローマに匹敵するほど、性に関してはおおらかだったと言っていいでしょう。

キリスト教(及びユダヤ教)において、性行為は聖書にもあるとおり「生めよ殖やせよ地に満てよ」という行為です。そのため同性愛は「ソドムの罪」として、神との契約に反する大悪行とみなされます。

一方、キリスト教の影響がほとんど無かった東アジアでは、中国のレン童(レンは「変」の旧字体の上部に女)や戦国武将のように、主従関係の一端として男性同性愛は当たり前だったようです。

江戸時代になると、陰間趣味として、同性愛は大勢を占めないまでも、普通に聞くものになります。江戸の陰間茶屋が芝居小屋の多い葺屋町・木挽町に多いのも、歌舞伎の初期において「若衆歌舞伎」との関連があったためです。ただ、戦国時代の「主従関係」とは関係の無いものになってきますが……

とりあえず、戦国以前の同性愛は、単純に「性欲に基づくもの」ということではないと考えたほうがいいでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2005/06/22 23:36

同性愛は、若い頃の遊びの一種であり、大人になってもその趣味をやっている人がいました。



仏教の影響が大きいのでしょうか?

昔女性とSEXしてはいけない坊さん達は、同性愛しかなかったわけです。

男女がSEXすることは、仏教的に性欲に汚れるというイメージがありますから、若い男性とSEXすることは、どちらかというと清らかなイメージがあったように思います。

今でも、宝塚やジャニーズなど、独特の性的倒錯の世界が支持されています。
あまり変わっていないようにも思いますがいかがでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!
少女マンガなどでもこの種のネタは脈々と続いているようですね。

お礼日時:2005/06/21 12:27

うーん。

絵空事と言い切れるでしょうか・・・。
考古学や歴史学の分野で最も難しいとされるのは、゛この事は無かった"と言うことを証明する事だと言いますよ。
数々の文献などを散見するに、あった事を示す状況証拠が多いのに対して、否定する有力な根拠は無いように思われますが・・・。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2005/06/21 12:25

 小説家がそんなのがあったと書いて以降、それが広まっただけにすぎません、さもそのような事があったと事実っぽく述べる文献が多いだけの

絵空事なんです(^^;
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2005/06/21 12:24

 こんばんは。



 織田信長、上杉謙信、武田信玄、戦国の武将たちの多くはいわゆる「少年愛」を普通のことのようにしていたそうです。つまり、現在のように人に隠れてするのではなくて、日本古来の文化(あるいは習慣)だったんですね。

http://www.geocities.co.jp/Berkeley/9559/gayhist …

参考URL:http://www.geocities.co.jp/Berkeley/9559/gayhist …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!
参考URL、面白かったです。

お礼日時:2005/06/21 12:23

まず、戦場には女性が連れて行けなかったこと。


当然その場合そっちの欲望は現地調達か手近で済ませることになります。
当時の日本にはヨーロッパと違ってキリスト教が広まっていずに「同性愛は神の教えに反する」という考え方そのものがなかったから余計に絶対数の少ない現地調達よりも手近ですませる事が多かったんでしょう。

そうして昔の殿様のお取り巻きというのは彼らが少年時代の頃から始まります。その頃にこう、殿様の手がついた人々は大人になってからも殿様に対してお互いに特別に親密な感情を抱くので裏切ったりせずに最後まで殿様の為に働く確立が高くなる、と。

あの自体は特に「男同士の世界」で「命のやりとり」が日常茶飯事だったので友情が一気に愛情に偏りやすい時代だったのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2005/06/21 12:23

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