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日本にドイツ軍のSTG 44の情報はどれだけ来たのでしょうか?
アジ歴で調べたいです

質問者からの補足コメント

  • 当時の日本軍での呼称が知りたいです

      補足日時:2021/04/06 10:01

A 回答 (2件)

情報は来ていたのかもしれませんが


「そこらに銃弾をばらまく」という思想が日本軍にはなくって「一発必中」しか考えてませんから 採用しないですね。
もちろん小隊の中の一人は機関銃を持ってたりしますが...

沖縄特攻の義烈空てい隊では サブマシンガンを構えた人も多いので
 やっとこのころに「そこらに撃ちまくる」ということになったようです。
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StG44は、購入記録が無いようですが・・・MP44(1944年春に、StG44と改称される前の呼称)なら、6丁購入した記録があります。


https://img01.militaryblog.jp/usr/e/i/s/eisenman …
https://img01.militaryblog.jp/usr/e/i/s/eisenman …

>当時の日本軍での呼称が知りたいです

 この書類では、『自動短銃MP四四』と書かれています。
 ちなみに、軍の評価記録は残っていない様で、『商取引は完了していたが、日本に届かなかった』とも言われています。

 ところで余談ですが。

 帝国陸軍はかなり早い時期から自動短銃や自動小銃の研究を始めており、例えば拳銃弾を使う短機関銃だと、1923年には陸軍造兵廠火工廠東京工廠で試製自動短銃の設計・開発が開始され、1927年に完成しています。これは、『サブマシンガンの代名詞』トンプソンM1928が米陸軍に採用される1年前の話です。
 またライフル弾を使う自動小銃(アサルトライフルの直接の先祖)も、1930年には開発が開始されます。
 帝国陸軍でも、『タマを連射する』射撃の必要性には早くから気付いていた一派があり、研究開発費が付いていたということは、軍上層部でもそれなりの支持があったと思われます。
 どちらも大戦末期まで採用が見送られていたのは、当時の軍部の要求性能を満足しなかったとされており(自動短銃の方は、1930年には試作品の他、MP18やトンプソンを含む複数のサブマシンガンをテストして、全て落第しています)、この要求性能が近代戦闘に沿っていなかったと考えられます。
 決して、『一発必中』『連射は不要』が陸軍の方針ではなかったということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
とてもわかりやすい説明ですね

お礼日時:2021/04/07 23:01

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