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大学生です。倫理学の授業で
「道徳と自由との両立は難しい。その理由は道徳が強化されれば、自由の領域は狭められてしまうから」
「仮に自由だけだったら、秩序が消えて、最終的には自由さえもなくなってしまう。」と教わりました。
これはどのような意味か分かりません。具体的に分かりやすく説明し、回答してください。

質問者からの補足コメント

  • すみませんが、「自由と道徳は対立しない」の意見について理由でもよろしいのでもう少し説明してください。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/07/08 23:57

A 回答 (13件中1~10件)

以下補足 


とても難しいのですが、近代の「エゴの解放」を是とするリベラリズムに対し古代では「エゴのコントロール」による自由主義がありました。

これは自らの欲望などを道徳や知性で制御する事で、自らすらも自由になる事を目指したものです。
欲望のままに生きれば自らを見失い、そのような人が増えると余計な法律が増え逆に自由が抑圧されてしまう。

ここでいう道徳とは「社会的な法律」ではなく、お天道様のような「誰しもが持つべき最低限の良心」の事なのです。
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道徳が強化されたら 勝手なことは出来ません



不法投棄も、見るだけショッピングも?母の日には母親が居る人は

母のためだけにその日を開け お母さんに恩を返さなければなりません

下手すると墓参りも義務化されるかもしれません

道徳と言っても多岐に渡りますから 人からしてもらいたくないことを人にはするな 

人にしてほしいように人にもせよ

とう言う感じになるのでしょうか

自分がしたいようにやって則を越えずとなれば何でしたか 講師の教えですねえ

自由と道徳は対立しない 道徳が身について何の苦もなくなたら上がりです

自由は手に在るのです。
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自由は存在しません。


完全な自由が存在したならば、目の前の人を殺しても良い筈です。
ある基準の下で、行動している時に不快で無い為に、これを自由と錯覚しています。
同様に、平等も存在しません。
ある合意の下で、特定の条件範囲内で、不満の無い状態で等しく活動出来ているだけです。
従って、自由・平等を声高に叫ぶ事は、この基準を破壊する事になりますので、現状の体制破壊を叫んでいる事と同じです。
道徳は、徳と言う基準に従った、行動をする事です。
徳とは、社会一般に認められた、善や正義や良心を指します。
殺人、強姦、強盗等の徳に反する事を、自由から排除規制する事で、道徳は成立します。従って、自由と道徳は矛盾します。
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通常、道徳は行為を縛りますから自由は制限されるでしょう。



自由は不自由があってこそ認識できます。この世界がすべて白色ならば白色が認識できないのと同じです。

多分こういう感じなんじゃないでしょうか。
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誰の講義か知らんが


自由は与えられるもの、と言う事が前提になっている
自由と自分勝手と同じレベルで語るとそうなる

高い、目線で見ると
道徳と自由は両立するのです

自由の反対は不自由で、その象徴が奴隷です
奴隷は自由がない代わりに「責任」もないのです
不自由でも道徳など必要ありません

「自由」とはイコール「責任」と言う事なのです
責任には「道徳」が絶対の条件なのです
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皆さんの「自由と道徳は対立しない」に概ね同意します。


サルトルではないですが、自由であることに縛られたらそれは自由ではありません。
自分の感情や欲望(あるいは執着してる理屈)に振り回されているようでは本当の自由とは言えない。

言いたいことを言い、やりたいことをしてる人は実は自由ではないのかもしれません。

道徳などによって自らを律する事で、自分で自分をコントロール出来ることこそ本当の自由なのかもしれません。
この回答への補足あり
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自由の名目で女を強姦する男について良く思索すれば理解できるでしょう。

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道徳とは自由の総和を最大化するための手段

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道徳というのは社会の事


社会がなければ道徳は必要ないし存在意味すらない

自由というのは自然の事
何をしようが自由
弱肉強食が唯一全ての世界です

社会である限りルールが存在します
ルールのない社会は社会が維持されない
ルールは自由を制約するシステム

従って道徳と自由とは相反するのです
道徳があれば自由が維持できない
自由奔放だと道徳が通用しない
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完全なる自由とは何か。


究極的には他人の自由を奪う自由もあることになる。
自分の自由と他人の自由の重複部分をどうするのか。他人の自由を侵害する自由を認めるのかどうか。認めるとしたらどこまで認めるのか。

その辺のせめぎ合いの対処法を明文化したものが、違反者に罰を科す法律であり、戒律であり、法的罰則はない道徳だ。

道徳が強化されると、戒律で自由が制限される宗教となり、法律で自由が制限される法治国家となる。極端に至れば、監獄なり強制収容所に送られ、一切の自由を奪われることになる。
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