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先日<この世に生まれてきたことは奇跡的な幸運だと思いますか?>という質問がありましたが、
私は「奇跡」が気になりました。

水がワインBに変わることは、奇跡だと思います。
処女が子を産むことも、奇跡だと思います。
死人が3日後に生き返ることも、奇跡だと思います。
以上は、因果律に従っていないことですから、奇跡とみなしても良い、と思います。

ひとがこの世に生まれてくることは、因果律に沿って、受精するだけであるから、奇跡とは言えない、と思いますが、如何?

A 回答 (13件中1~10件)

妊娠は、すればするというものでは無く、そのタイミングが重要です。


なので、
妊活者にとっては、なかなか妊娠しない、妊娠は奇跡だ、なのです。
しかし、そうではない方には、
妊娠という恐怖が常に付きまう、と言う、全く逆な現象です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<なかなか妊娠しない、妊娠は奇跡だ>ですね。
しかし、妊娠しようが、しまいが、たんに因果律に従っているのであるから、奇跡とはいえない、と思いますが。

お礼日時:2021/09/11 17:50

1回のが射精で数億?の精子が出ます


その中のたったひとつが受精する訳で、1回のセックスで受精までできたとして(受精=妊娠、出産ではありませんよね)も、数億分の1の確率で受精する→奇跡的な確率=この世に産まれるのは奇跡
で合ってるのでは
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<数億分の1の確率で受精する→奇跡的な確率=この世に産まれるのは奇跡>ですね。
しかし、因果律に従って<受精する>のであるから、奇跡ではない、と思います。受精の確率が0ならば奇跡でしょうね。

お礼日時:2021/09/11 17:54

例えば、宝くじの1等は誰かに当たるんだから、当選者が出るのは当たり前のこと。

しかし、それが自分である可能性は0に近い。
仮に自分が1等を当てた場合、それを奇跡というかという話でしょ?
一般論としては、幸運とはいうが奇跡とは言わない。
この世に生まれたことを幸福であるとするなら、受精した精子を擬人化するなら幸運ということになるでしょうけど、いずれかの精子が受精するという観点からすれば特に珍しいこともでもないでしょう。
結局、どういうスタンスで考えるかによる話だし、幸運を奇跡と呼ぶことに違和感がないかという話になる。
あなたは個々の精子の立場から見ないから「因果律」と言っているが、数ある精子の中のどれが受精するかまではコントロールできない以上、因果律は言えない面もある。
立場の異なる議論はすれ違いにしかなりません。
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この回答へのお礼

早速のご祈祷ありがとうございます。
精子にとっても、因果律に従って受精すれば奇跡でないし、因果律に従って受精しなければ奇跡でない、と思いますが。

お礼日時:2021/09/11 17:58

量子論によって「因果律」は否定されています。

これは不確定性原理によって未来が確定出来ない事によって過去も画定できなくなるからです
具体的に説明します
AからB・C・Dにいずれかに変わるとしても不確定性原理によってどれに変わるか確定しません
仮に現在の状態がBであるとしたらその前の状態がAと確定出来ません
何故なら同様にA・C・Dから不確定性原理にBに変わる場合があるからです
このことから
AからBに変わると確定出来ない
Bの前がAであると確定出来ない
となりよって因果律は否定されます
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2021/09/11 17:59

故に因果律沿って受精するとするのが不確定性原理によって否定されます


受精するかどうかが偶然ですから
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2021/09/11 18:21

No.1です。



> しかし、…、奇跡とはいえない、と思いますが。
その少ないチャンスを手にした、それを奇跡と言っているだけです。
当然、起こりうる結果なので、「奇跡」ではありませんが…

宝くじで超高額当選したら、皆さん「奇跡だ!」と思いますよね。
誰も「当たり前だ」なんて言いません。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
<誰も「当たり前だ」なんて言いません。>ですね。
だからと言って、奇跡と表現するのは僭越だと思いますが。

お礼日時:2021/09/11 18:23

そもそも、あなたの言う因果律って何?


原因があって結果があるというのなら、全てがそうだと言えるわけで、サイコロでどの目が出るかは手から離れた時の運動の状態などから必然的に決まる。しかし、普通の人はそれをコントロールできない。コントロールできないことまで因果律で決まると言ってしまうのは勝手だが、それを言い出すなら、因果律という言葉自体が意味をなさないし、意味をなさないものについて意味のある議論はできません。
水がワインに変わることがあるとするなら、それにも原因があるはずで、だとすれば奇跡ではない。
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2021/09/12 08:24

偶然をどう捕らえるかの問題ですね


奇跡とは偶然を特別視して捉えた表現ですし生命は特別視されうる事から生まれてきた事実を偶然と表現せず奇跡と表現するの漏らしたアリでしょう
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2021/09/12 08:25

訂正です


表現するの漏らした→☓
表現も→○
です
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2021/09/12 08:24

「奇跡」という語彙の選択が、正しいかどうかは、


「主観」の問題があるので、微妙ですが、「奇跡的」と
いうことであれば、否定する程のことはない、と思います。

仕組みは「因果律」かも知れませんが、
「何故、お母さんがこの人なの?」「何故、お父さんがこの人なの?」
と考えれば、その出会いは「奇跡的」だと思いますし、
或いは、多くの地域で、幼児の死亡率が多いことを考えれば、
誕生するまでの「ハードル」は、無数にあったろうと思います。

誕生とは、そういう幾多の、途中の障害を回避しての結果で
しょうから、「因果律」という乱暴な区切りでは、無理がある
ように思います。
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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございます。
処女の場合の場合の出産は、受精という因果律にのっていないので奇跡、と思います。
しかし、<誕生するまでの「ハードル」は、無数にあったろう>と思われましても、受精して誕生するのは、因果律に則しているので、奇跡ではない、と思います。(無数のハードルといえども、通常は因果律に則しています)

お礼日時:2021/09/12 09:53

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