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渋沢栄一や徳川慶喜など近代的な視点
を持った人達がたくさんいたのに、日本が軍事国家になってしまったのはなぜですか?

A 回答 (7件)

1853年、浦賀に4隻の黒船が出現した。


北の方ではロシアの挙動が怪しい。
これらにより、外国侵略の危機感が、急速に日本の各層に広がった。

以降、日露戦争までの日本の歴史は
「いかに欧米列強の植民地になるのを防ぐか」
に集約できる。

徳川慶喜は、内乱で日本人同士が殺し合い国力が低下するのを恐れ江戸城無血開城に同意した、という見方がある。
現にあるイギリス人の武器商人は「付け入るスキがなくなりがっかりした」というような報告書を本国に送っている。

渋沢栄一も、富国強兵の一環として経済振興にまい進したに過ぎない。
ドラマではどう描かれているか知らないが。
現に富国強兵が達成できなければ、日清戦争にも日露戦争にも勝つことはできなかった。
そうなれば不平等条約も改正できなかった。
欧米が不平等条約の改正に同意したのは、日本がこの2つの戦争に勝ったからである。
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この回答へのお礼

慶喜の開城もむしろ、国を国外から守るためだったのですね。

お礼日時:2021/12/07 09:16

渋沢栄一や徳川慶喜にしても、富国強兵を否定していたわけではない。


むしろ欧米列強に匹敵する国防力を持つことには積極的だった。
当時の政治家や大企業家で、軍事力増強を否定していた日本人は一人もいない。皆が皆、無力だった幕末を反省していた。

ある程度、軍事力増強に歯止めがかかったのは、軍縮時代だった豊かな大正デモクラシー時代になってからだが、それも世界恐慌で吹っ飛び、政治家による政治に不信感を持った陸軍青年将校たちのテロや命令違反が続発して、軍事国家へと舞い戻っていくことになる。
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この回答へのお礼

勉強になりなります。ありがとうございます。

お礼日時:2021/12/07 09:14

欧米列強の侵略に対抗するためです。




高杉晋作等が、上海に出かけ、そこで
欧米の奴隷と化している中国を目にし
危機感を抱いて、明治維新に
なった訳です。

それ以降は、列強の殖民地侵略に対する
抵抗の連続でした。

日清日ロ戦争は、朝鮮半島に清国やロシア
の軍隊が駐留するようになったら
ヤバいからです。

半島と日本は眼と鼻の先です。

元寇も、半島経由で日本を侵略
して来ました。

軍国化しなかったアジア諸国は次々と
欧米の殖民地にされていきました。

アジアで、欧米列強と戦ったのは
日本ぐらいでしょう。

日本は武士が支配していたので
危機意識が強かったのです。
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この回答へのお礼

一番しっくりしました。ありがとうございました。

お礼日時:2021/12/07 09:17

第2次大戦まで、帝国主義運動の最中、国富を豊かにする目的は、戦争に勝つためです。

渋沢は金融産業の基盤づくりと国富への貢献をした。と言うことは、当然、戦争での勝利可能な帝国づくりが、念頭にあったはずです。
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この回答へのお礼

戦争ありきだったのですね。ありがとうございます。

お礼日時:2021/12/07 09:18

「軍事国家」をどの様に定義しているのでしょう。


戦争をした、あるいは(退役)軍人が首相になったことを言っているのなら余りにも拙い定義ですね。
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自治会や町内会を見て下さい。

現実には納税力のない、現役時代サシテ社会的地位のない人間がイジメ、脅しのような(某大学似)行動して黙らせソレが力の様になってしまって居る処があると思う。配下を自由にさせたり、組織が大きくなったりするとモンスターに育ちコントロールが効かなくなっていると思います。ヨーロッパなどは善悪含め歴史が長く地続き地獄を何度も経験すると国民の政治に対する意思の持ち方が日本人とは違うような気がします。そして日本は政治と言う勉強も無いまま政治家になりますよね。
日本の立ち位置が見えない人間が多い時代だったのかもしれませんし。

小近衛文麿氏の御母堂様はGHQが来たら即死ねるように帯に毒を挟んでいたと聞きました。(サザエさんに出てくる三河屋さんの御ばあちゃまに)
餓死、狂い死にして遺骨もない、特高警察が居る暮らし、人間魚雷、特攻体で死ぬ‥原子爆弾と地獄が戦争ですかね・・
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近代は、どこの国も好戦的でしたけど?



大抵は徴兵制引いていたし
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