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浄土宗の開祖法然の遷化は、1月25日ですが、知恩院は4月に御忌会を行っておりました。
金戒光明寺では、1月25日でした。
調べてみると、明治時代に知恩院は変えたとか。
理由をご存知の方、お教えください。

A 回答 (1件)

https://www.chion-in.or.jp/event/event/1417/
御忌は勅会(ちょくえ)として定められ、1月18日よりご命日の25日まで、法要が営まれることになりました。以来、天皇の忌日法要を指す「御忌」が、法然上人に対しても用いられることになったのです。
明治10年(1877)より、多くの人々に参詣いただけるよう、旧暦の1月から、時候の良い新暦の4月に御忌が勤められるようになりました。

https://jodo.or.jp/everyday/event/gyokie/
明治期に知恩院が日程を4月に変更してから、とくに大本山などではこの時期に勤める寺院が多くなりました(現在も1月25日またはその前後に勤めている寺院もあります)。

https://www.kacho.ed.jp/%E6%9C%AC%E5%B1%B1%E5%8F …
明治10年からは、遠方からの参拝者の便宜なども考えて、寒さの厳しい
旧暦の1月から現在の太陽暦4月に行われています。

明治になって、宗教政策が大きくかわり、仏寺の多くが存立の危機にたち、浄土宗でも波が押し寄せ、明治9年には分裂して、20年には四本山になります。 知恩院としても、古くからの仕来りを維持するというだけでなく、信徒に歩み寄るという「本義」を重視したのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとう

やはり廃仏毀釈と太陽暦の太政官布告第337号が影響したのですね。初詣が約30日前に行き、立春の前の大寒時期に御忌となると不都合な事もあったかも?
ゆく年くる年には、知恩院の鐘が定番でした。御忌にも鐘を突くとか。
明日は、旧暦の大晦日。そんな事を考えながら貴回答を拝見いたしました。

お礼日時:2022/01/30 18:41

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