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阿弥陀仏に謝れば極楽浄土に行けると思って罪を犯すと極楽浄土にいけないと言っていた人がいたのですが、本当ですか?
そういう人は救われないのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

何かの話で、観音様を念じれば怖れは無くなると言って観音様を念じながら宝物を盗んだ泥棒がいたとか。

結局、自分の罪に気がついて宝物を返した。と言う話ですが、本気で回答を得たいと思うならば、近くのお寺さんの門を叩いてみては如何ですか?そこには真理を目指している人達がいると思います。
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阿弥陀仏に祈ったら、何をしようと極楽浄土には行けません。



そこを法然は誤魔化して、『南無阿弥陀仏』(浄土宗)を説いた。

弟子の親鸞しかり。親鸞こそ何の悟りも得ていない。
浄土宗の法然の教えと、浄土真宗の親鸞の教え(教義)が違うのであれば、
もはや親鸞は法然の弟子ではない。
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仏教に懺悔のようなものは無いので、仏に謝ると言う行為自体が無いですよ。

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悪い事をした人は阿弥陀仏に謝っても極楽浄土には、いけません地獄に行きます、そう言う人は、生まれ変わる時に人間の場合は、知的障害者や

視覚障害者や耳が聞こえなかったり、足が動かなかったりします、罪が出来るからなのです、
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自分としては、浄土宗徒ではないですし、浄土系(浄土宗、浄土真宗、時宗)の各宗派によって「阿弥陀如来」「誓願」「極楽浄土」の関係性の解釈が異なりますので、宗徒の方から見たら噴飯ものでしょうが、これから書くこと内容をお許しください。



阿弥陀如来様は「第十八誓願」において『たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。』という誓願を立てており、それが成就したから「極楽浄土」が存在しています。
なので、少なくとも五逆罪を犯したたままで何も反省していないのに念仏だけを唱えている人間は極楽浄土に行くことはできない。
 →四番さまの回答と同意見と考えてください。

なお、多くの方が唱えている念仏(南無阿弥陀仏)は、「阿弥陀如来様、私たちが転生する極楽浄土を作って下さり有難うございました」という意味合いだと、言い回しは違いますがある仏教学者や高僧の方がそれぞれ書かれていました。
これはキリスト教系文学が何かで読んだ『主(キリスト)は我々の原罪をすべて背負われて、父なる神に対して贖罪を果たした。我々の罪が許されるのは、罪なき主が磔刑に処せられたおかげです。主よ有難うございました』というキリスト教におけるキリストへの感謝の仕方と同じような気がいたします。
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悪事を働いて


それを心から悔い
阿弥陀さまを信じればいいんじゃないですか?
「心から悔い」ているなら
これからは悪いことは
しないように努力するはずですから…
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これは現実からのがれるための人間の作り上げた空想です!死ねば完全に無の世界に入ります。

つまり生まれる前の世界にもどります。意識は消されます。
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神主さんが言ってたんですけど



親鸞は悪人正機と言ったけど
悪人というのは
「自分は悪いことをした」と
自覚し後悔している人だ、と

「自分は悪くない」と思ってるひとは
神でも仏でも救えないだそうです

それで言うと
「自分は阿弥陀さまが救ってくれるから何しても大丈夫!」
というのは
「自分が悪い」と思っていない人
になりますよね?

そもそも、親鸞の教えとしたら
阿弥陀さまに心から帰依する決意が大切なのではなかったですか?
阿弥陀さまに心から帰依していたら
「極楽浄土に行けるから大丈夫」と
安心して悪事をはたらく、ということなど
できないと思うのですが?
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この回答へのお礼

なら手遅れですか?

お礼日時:2018/08/15 15:40

何か悩みを抱えていますか。

そういうものがあるとこういう見解になるのかもね。
人生上の悩みを気にするかどうかでしょうな。
死後のことは分かりません。自分がいま精一杯生きればいいのでは?
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大丈夫、宗教なんてどれも幻想です。


人間、死ねば無になります。
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