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華族制度に、公爵や伯爵、男爵などがいますが、貴族を気取っています。偽物です。

質問者からの補足コメント

  • だいたい天皇家の縁戚でもなかった馬の骨に、貴族の称号を与えたのは、末代までの面汚し。国家の恥です。

      補足日時:2022/02/02 13:54

A 回答 (2件)

「本物の貴族」とは、なんですか。


「本物の貴族」の認定法がどうであれ、「平安時代にいた本物の貴族」は、江戸時代になるよりも前に全員亡くなっています。
「華族制度」というのが明治時代の制度のことならば、「平安時代にいた本物の貴族」を含めるわけがないです。 当然除外します。

明治時代の華族制度は
http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/mod …
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E6%97%8F …

明治2年6月17日(1869年7月25日)、岩倉具視の政策による版籍奉還と同日の太政官達54号「公卿諸侯ノ称ヲ廃シ華族ト改ム」により、従来の身分制度の公卿・諸侯の称を廃し、これらの家は華族となることが定められた[4]。公家137家・諸侯270家[注釈 1]・明治維新後に公家となった家5家[注釈 2]・維新後に諸侯となった家15家[注釈 3]の合計427家[注釈 4]は新しい身分層である「華族」に組み入れられた。
当初は華族に等級はなかったが、本人一代限りの華族である終身華族と、子孫も華族となる永世華族があった。
またこの後も新たな華族が加えられた。奈良興福寺の門跡や院家だった公家の子弟が還俗して新たな華族となった26家は奈良華族と総称された。また、大久保利通の功により大久保家が、木戸孝允の功により木戸家が[注釈 5]、広沢真臣の功により広沢家が[注釈 6]、それぞれ明治天皇の特旨によって華族になったが、華族令以前に華族に列した元勲の家系はこの3家のみである。さらに歴史上天皇に対して忠節を尽くした者の子孫[注釈 7]も天皇の特旨によりこの時代に華族となっている。

華族の名称
華族という名称が採用された経緯ははっきりとしない。華族制度の策定にあたった伊藤博文は「公卿」、広沢真臣・大久保利通・副島種臣は「貴族」、岩倉具視は「勲家」・「名族」・「公族」・「卿家」などの案を持っていた。討議の結果「貴族」と「名族」が候補に残ったが、決定したのは「華族」だった。

明治以前までは華族といえば公家の家格を表す名称で、摂家に次ぐ第2位の家格である清華家の別称だった。
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「華族制度」ができたときにはすでに「平安時代」は遠い過去. つまり「平安時代にいた本物の貴族」は, 「華族制度」ができたときには全

員草葉の陰の住人.
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