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聖書には「汝、殺すなかれ」とあるのに、どうして、ユダヤ=キリスト教は、侵略戦争や紛争、虐殺、暴力行為を後押ししてきたのですか?

質問者からの補足コメント

  • ユダヤ=キリスト教は、正義の戦いや、聖戦という考え方がありますが、宗教が世界に争いを作り出しているのですか?

      補足日時:2022/03/31 18:13
  • ユダヤ=キリスト教は、真理なのですか?

      補足日時:2022/03/31 18:15
  • 「信じる者だけが救われる」という教えもありますよね?宗教対立起こさせる目的でも、隠されているんでしょうか?

      補足日時:2022/03/31 18:20

A 回答 (6件)

「汝、殺すなかれ」



「汝」はキリスト教の信者のことです。異教徒は含まれません。
「殺すなかれ」の対象もキリスト教の信者のことです。異教徒は含まれません。

つまり、これはキリスト教徒同士で殺し合ってはいけないという意味で、それ以外の人を殺してはいけないという話ではありません。

後にはキリスト教も色々な教派に分裂しますが、どの教派も「我らこそ真のキリスト教でそれ以外は異端だ」と主張し合います。そうなると教派が違えばキリスト教徒ではないという理屈が生じ、キリスト教徒同士でも殺し合いが始まることになります。
その代表例が、魔女狩りと魔女裁判であり、カソリックとプロテスタントの殺し合いということになります。
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キリスト教の露骨な暴力は、 


たまたまクリスチャンの中にも暴力的な人がいることに由来するものではなく、キリスト教の根幹たる救済論そのものに内在する暴力(エゴイズム)の顕在化であると言えるのです。
 その暴力はイエスな弟子たちが作り上げたキリスト神話にすでに内包されていたものであるが、パウロはそれを倫理主義という形に確立したと言えます。

「汝の敵を愛せよ」とか「汝、殺すなかれ」とありますが
口から出まかせか、寝言か、二重人格者の、うっかり発言でしょう

(マタイ 5:9)
「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためではなく、
剣をもたらすために来たのだ。敵対させるために来たのだ。」

マルコ福音書( 新共同訳
信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は
滅びの宣告を受ける。


キリスト教の歴史 ・・・参考
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage5.html
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ゾロアスターの教義から繋がる、光と闇の相克:善悪二元論が異教徒(異端者)討伐に絡み"聖戦"と化した。



本来聖戦とは人間の心の中の葛藤を乗り越える(解決する)過程を指す言葉。他人に剣を向ける事ではない。
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多くの人間が勘違いしているが、モーゼの十戒は最終目標である。


入信していきなりできるわけではない。

入信していきなり聖人になれるなら質問者のような人間も現れない。
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これって 多分 訳し方の違い・・



翻訳の仕方で 日本訳聖書って 色々違った部分がある・・
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人間は悪いことをする動物だから戒律があるんです。


守れないとわかってるけど、少しでも減らそうと
戒律や法律を作るんです。
戒律を守れなくて普通なんです
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