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bragellene様が、<すべてのヤマヒは ウソ・イツハリから>とおしゃっています。
ひとがウソ・イツハリを使い始めたのは、意識などが目覚めた、おそらく数万年前か数千年前からだと思います。
そうすると、数万年か数千年以前は、ヤマヒが無かったことになります。

質問は、数万年か数千年以前は、ヤマヒが無かった、というエビデンス(証拠)はありますか?
(無いということは実証が難しいので、そのころすでに有った、でもよろしいです)

A 回答 (7件)

あったと思います。


ミイラを調べて、色々な疾患が見つかっていますから。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<ミイラを調べて、色々な疾患>なのですね。

お礼日時:2022/04/22 18:27

隕石が落ちて来て 当たって死んだ――こういった悪しき仕合わせも すべてのヤマヒに入るか?



気候変動は 人為的な活動にかかわって広義のヤマヒに関係すると思うけれど 太陽が燃え尽き地球もほろぶというとき その不仕合わせは 人類の――ウソに淵源するところの――ヤマヒなのか?



すなわち ひとの幸不幸のすべてが ウソ発ヤマヒ行きの仕合わせ( happening )か?


それとも 宇宙の側に 潜在的にはウソがあった・・・という意味で神が 初めからウソを仕掛けたのだろうか?


――ひとこと おぎないました。お疲れさまでした。
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この回答へのお礼

度々の御回答ありがとうございます。
私にとっては、難しくて分からないですね。

お礼日時:2022/04/25 16:22

★ (№5お礼欄) <伝承というよわいエビデンス>のみで、


すべてのヤマヒは・・・を言い切れる蛮勇には、敬意を表します。

☆ 世界と未分化で一体であったという原始心性 これについて 現代人もその内容や実態をかなり想像してとらえることが出来ると思うからです。


また 〈伝承というよわいエビデンス〉ですが それをくつがえす資料や推理は 出て来ていないと思われるからです。



経験知ないしそれを想像して認識し得たことがらが 物証には及ばないということでしたら・すなわち 原始心性の生活体験について人は把握出来ないというご見解でしたら わたしの蛮勇になります。
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この回答へのお礼

たびたびの御回答ありがとうございました。

お礼日時:2022/04/24 17:53

コメントをありがとうございます。



★ (№3お礼欄)
この命題は、現実と突き合わせが無い、ように思います。

☆ ですから アイヌのウタとしての自己表現が 何がしかの現実を映しているかと思いました。

木々などの生物および風や山などの無生物と 人びとは未分化で一体であったというその程度の現実ですが。

ヤマシサ反応やヤマヒも そのような世界の一体感の中に持たれていたのではないかと。



               *



参考にですが 広く《共通感覚 sensus communis / common sense 》とよぶべき人と人との関係性を この宇宙の中で持っていると考えられる現象が見受けられます。その昔 アイヌの間でこういうことが起こったそうです。

 一人のアイヌの男が 山で遭難した。戻って来ない。
 巫女が占なった。この山のどこそこあたりに倒れていると言う。
 果たしてその通りであったが そのわけは こうだと説明した。

  ――わたしが からだ全体で 山になる。その山の全体に 
   わたしの体を重ねてみる。
    そうすると 体の一部が 痛くなる。その部分が 山
   のどこにあたるかを考えてみれば そこに男は遭難して
   いるはずだ。



☆ ヤマヒを社会の中で人びとは互いに支えあっていたかも知れない。

伝承というよわいエビデンスですが。
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございました。
<伝承というよわいエビデンス>のみで、
すべてのヤマヒは・・・を言い切れる蛮勇には、敬意を表します。

お礼日時:2022/04/24 08:52

約30億年前にウイルスが誕生したとされているので約30億年前にウイルス感染があったと考えられますね

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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<約30億年前にウイルス>ですね。

お礼日時:2022/04/24 08:47

1. 


まづ大昔に無文字社会であった頃からつたわったアイヌのウタ(ユーカラのたぐいです)を掲げます。

piwki kamuy-maw ・・・・・怒り襲う神風が
kan-toy kar-pe      大地を打つと
ko-humumatki,      そこに轟々たる音がまきおこり
ni-tay kar-pe      森の樹々を打つと
ko-sepepatki.      はたはたとざわめきわたる
ne-hi korachi      それと同時に
awa-kina・・・・・・・・・・・・坐っていた草
kina-chinkew-sut     草の足のつけ根を
kamuy-maw puni・・・・・・神風が持ちあげ
kuttek nis ne      真黒な雲となって
kamuy nis ka・・・・・・・・大空をさして
chi-e-rikinka.      昇っていった。
sir-kor-kamuy・・・・・・・立ち木の神々を
maw kar humi       風が打つその音        
ko-siwiwatki,      シュウシュウと鳴りわたり
kay rusuy-pe       折れたくなった木は
sup-tom-orke       幹の中央から
chi-ko-e-kekke,     いっせいに折れくだけ
kay niwkes-pe      折れるものかと思う木は
tu-si-maw-utur      烈風が襲って来ると見れば
riten has kunne     しなやかな小枝のように
e-u-ko-has-kur・・・・・・枝をならべて
turpa kane,       がっぱと身を伏せ
tu-si-maw-utur      烈風が行きすぎると見れば
riten has kunnne     しなやかな小枝のように   
ko-hepitapa       身をはじかせて立ち上がる       
cha-etoko        樹々の梢には       
ruy mawsiro       はげしい口笛が
chi-e-kotpakar      ピュウピュウと鳴り
ni kay rukumi      樹々の折れた破片は
yapkin-ni ne       投げ棒のように
u-ko-tutturse,      しげく飛び交い
echiw-op kunne      投げ槍のように
u-ko-tutturse.      飛びちがった。
(知里真志保:『アイヌ語入門―とくに地名研究者のために』)


2. 
ここでは 《風 maw / 木 ni / 草 kina 》あるいは《樹々の折れた破片 ni kay rukumi 》さえもが 生き物である。

風は 《神風 kamuy-maw 》である。大空( kamuy-nis ) は 字義として《神‐雲》であるし 木は《立ち木の神々 sir-kor-kamuy (山を持つ神)》である。
 
神風は《怒り襲う piwki 》《大地を打つ‐者 kan-toy kar-pe 》で 草は《坐っている awa 》のであり 木は 《折れたくなる者 kay rusuy-pe 》であったり《折れることを欲しない者 kay niwkes-pe 》であったりし すべてのことがらが 人間と同じような生き物として その動きが描かれている。



3.
こういった無文字社会では 現代人がウソ・イツハリと言う場合のウソなどは なかったかも知れない。また あっても――感覚として推理するに過ぎないけれど―― ウソはウソでも別の体裁を持っていたかも知れない。

つまり ヤマシサ反応は 良心による覚醒を受けるというよりは まだ良心といったものの自覚を模索している段階であったかも知れない。


4.
ならば ヘソが曲がるというほどに・ウソに対して作動するヤマシサ反応による神経繊維のねぢれは 薄かったかも知れない。

だから ヤマヒがまだなかった・・・と見ようとは思わない。自由意志による自由度は おのれの心にさからった思いや振る舞いを指向したと思われる。

ただし そういったヤマヒがすでに生じていたとしても おそらく人びとはそのヤマヒを あたかも世界と未分化な感性や知性の状態において 自分の意識や存在とやはり未分化で一体のものとして捉えていたかも知れない。

わたしは ヤマヒ〔が起きたならそれ〕をわたしみづからの内におさめていた。



5.
そういった段階にある人類の存在様式があったかも知れないし だとしたら ヤマヒについても 単純に言って 無かった初めの段階が想定され得ないとも限らない。

あるいは ヤマヒをヤマヒとしては知らなかった人間の状態ないし社会のあり方があったかも。

エビデンスではなく 思弁的な弁明ですが。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<思弁的>な展開は有意義で重要ですが、折々に現実と突き合わせ、チエックし、展開を進めてゆくことが不可欠だと、私は思います。
この命題は、現実と突き合わせが無い、ように思います。

お礼日時:2022/04/23 10:59

> <ミイラを調べて、色々な疾患>なのですね。



なにが分かったのでしょうか。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12898995.html
*** すべてのヤマヒは ウソ・イツハリから
**** つまり天罰が下るのだ。 因果応報ということね。
***** そうだと思います。 自業自得そして同時に 連帯責任であるかのごとく相互業相互得としても。 この相互業相互得という側面および過程については 他業自得ないし自業他得にもなるかと見ます。 因果応報のかたちが 乱反射するかっこうです。

{すべてのヤマヒは ウソ・イツハリから}と、{因果応報・自業自得}とを、同義・類例と思う人は、かなりおかしいです。

乳児や胎児でも、疾患や治療を要する状態になることはあります。 {ウソ・イツハリを使い始めた}とは、時期的に無関係です。

言葉を使用する人間ではない、豚、鳥でも、野菜や果実でも、病気にはなります。
[ヤマヒ]などの表現で、何かを特定・限定しているのであれば、『すべてのヤマヒは ウソ・イツハリから』は、命題の真偽を問うことも出来ないです。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<乳児や胎児でも、疾患や治療を要する状態になる>ですね。
この命題の真偽が気になります。

お礼日時:2022/04/23 10:51

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