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以前 たまたまネットで読んだ下記URLの講演記事(USAスタッフォード大学教授アニル・セス氏)によれば、『生命の意識は広大な宇宙意識の一部』であり「死を恐れる必要はまったくない」と最後の部分で述べています。

https://lifeskills.amebaownd.com/posts/3771556

『 個々人の意識はこの広大な宇宙意識のわずかな一部分を占めているにすぎない。人間以外の生物も、すべてが宇宙意識の構成要素となっている。これは、宇宙と個人の意識のどちらが主従ということもなく、あくまでも宇宙の構成要素であり、その意味で死を恐れる必要はまったくない。たとえ生物学的な死が訪れようと、すでに我々は宇宙の一部分であることに変わりはないからだ』と。

自分はこの話を読んで 或る宗教家の話を思い出しました。その宗教家は『我々個々の生命は大海の中で小さな盃に汲み取られたいっぱいの海水のようなものであって この器が壊れて中の海水が大海にこぼれ落ちれば 我々の生命はこの広大な大海の一部となって宇宙の大生命とともに永遠に生き続けるのだから 死は全く恐れるものではない。』という意味の内容でした。

その時思った私の感想はこの教授に対して持った感想と同じです。“宇宙意識の一部”となり“大海の一部”となるからといって どうしてそれで死が恐ろしいものではなくなるでしょうか。少なくとも自分はそんなことはない。当たり前のことではありませんか。我々が死を恐れるのは 個の意識の消滅なのではあり大脳意識の滅落なのではあって 私は当然の事ながら そこにこだわる。一体、この優秀な大学教授は その重大な“あまりにあたりまえな重大な部分”を何と説得しているのでしょうか。

真摯で率直かつ丁寧なご返事をお待ちします。

ps:
“死後の世界”などのスピリチュアル方面は(自分も長年、相当数の書籍は何度も読み 検討を加えてきましたが)今はほぼ信じておりません。

ps2:
«教えてgoo» ■講演『意識とは何か』 質問日時:2022/02/23 関連

A 回答 (11件中11~11件)

「恐れる必要はない」というより「恐れる意味がない」でしょう。


どんなに恐れても死から逃れることはできないんですから。
それは「諦め」よりもっと遠い「無我」の境地です。
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この回答へのお礼

早速のご返事、ありがとうございます。「恐れる意味がない」___「諦め」よりもっと遠い「無我」の境地__初めて接する言葉ですが よく考えてみたいと思います。ありがとうございます。

お礼日時:2022/05/22 08:47

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