アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

人生は素晴らしいものだ なんて言いますが、素晴らしい未来が待っていると思わないと生きていけないから、そう思い込んで人間は生きているのですかね?

A 回答 (10件)

素晴らしい人生だと思う時期もありますねえ。

その逆だと思う時期もあります。

しかし悲観的に生きてもいい事はあまりないので

分かってはいても 人生は素晴らしい と思っていた方が元気が出るのでしょう

もうどっぷり漬かってる人はどうしようもありませんけどねえ。
    • good
    • 0

人それぞれの考え方でしょうけど


私は
今日が楽しければ明日も楽しい
それの継続が未来だと思って生きています
人生妥協じゃないもの
    • good
    • 0

素晴らしい未来を描く。


それが人間のみに与えられた特長であり、特権でもあるのです。
 人間だけが「希望」という未来への「光」を自ら生み、
わが人生を創造することができるのです

どんな財宝を持ち、どんな権勢を持ち、どんな名声を持とうが
未来に希望を見失った人生は、早々と挫折していくに違いありません
未来に希望を見いだせない人は、人生の敗残者です
死刑囚の考えです
何をしても無駄、死刑を施行される、その日を待つだけ

未来は無限だ。未来は希望だ。未来は夢だ。未来は大活躍の劇場だ。未来は後悔 がない。輝く希望がある。未来のない人は死である。未来を考えない人は愚者である。 未来があれば幸福もある。勝利もある。
無量無数の成功がある、感激がある 喜びの乾杯がある
そう思える人は幸せだ。
    • good
    • 0

何もしなくても、素晴らしく


なるものではありません。

素晴らしい人生にするためには
それなりの能力が必要なのです。

能力を持つ為には、勉強するしか
無いでしょう。

人生は素晴らしいものではなく、
いかにして
素晴らしいモノにするかだ、と
思います。
    • good
    • 1

自分の愚かさを正した時に、つまり目覚めた時に、その度に、過去の情けなかったこと、後悔は、成長の果報となってその人に降り注ぐ。


苦しいこと、辛いこと、悲しいこと、怒ること、沢山あるけれど、それらを転じて身にした時に、"人生は素晴らしいものだ"となるのだと思います。
    • good
    • 0



人生はこんなものですよ。
    • good
    • 1

かつては、人間なり人生なりを、なにか尊いものであるとして、尊くあれと努力して生きてきた人は多かったと思う。



しかし、近頃はヴァーチャルな世界で生きてしまうことを人類は覚えてしまったので、大した努力をせずに、素晴らしい世界に生きることができるようになった。

あいつはアホで、こいつはタコで、自分は神ってる、と。文明の退廃です。
    • good
    • 0



これかな。
    • good
    • 0

まあ今日1日無事に終わった。


また正月来るかと
病床にあった父がいっていたなあ。
そして父は正月は20日で昇天。
母も同じで子供のことを
心配しながらわずか17日で昇天。

さぞや心残りだったろうなあ。

だから、
今日1日無事に終わった。
家をでて帰れたら、ああ家にたどり着いた。無事に感謝しよう。
家を出れば人生は戦場。7人の敵あり。生き抜けたことに感謝。

こんなものでしょう。今は家を出たら交通事故が
起きなくて無事に帰れてよかったねか。
安倍さんみたいに殺されたらみじめだものね。
    • good
    • 0

自分の人生が素晴らしいと気づいたのは、60歳を過ぎてからですので、その前に人生が素晴らしいと思う一瞬があったとして、それは幻想にすぎず間違いです。



人生の素晴らしさにを表現する適切な言葉は、「人生万事塞翁が馬」だと思います。

あなたが50歳未満の若造だとしたら、「お前暇やな。俺が若いころはそんなことを考えることはなかった。そんなくだらんことを考える暇があったら、毎日必死で仕事しろや!」と言います。

あなたは、人生を損得で考えているように感じますし、最近は、この種の質問が多いとも感じていますが、つまらない質問だし、若くしてそういう質問をする人は可哀そうな人生とも思います。

若い連中が、目の前の物事を損得で考えるのは悪いことではありませんが、人生とか哲学とか高尚なことを損得で考えていることが気に食わないのです。

私は、59歳の時に25才の我が子が病気になり、それからの一年間の闘病の経験で、それまでの自分の人生がとてつもなくちっぽけで、なにもわかっていなかったことを思い知らされ、その後の私の生き方に大きな影響を与えました。
そして、60歳になる直前の我が子が社会復帰する直前に、遭遇した不思議な経験もまた、私に人生の素晴らしさを教えてくれました。

新型コロナとウクライナ戦争は、多くの日本人に当たり前の日常があたりまえではなかったことを思い知らせたと思いますし、多くの人の希望を奪い去ったと思いますが、私は新型コロナの一年前に長いこと務めた会社をやめて、新しい人生を踏み出していましたので、全く影響ありませんでした。

あなたの質問に対する答えは、
60歳を過ぎて生きた時に、初めて、人生は素晴らしいと気づきますので、それまでは、先の事をあれこれと悩まずに、今を一所懸命に生きましょう。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す