【お題】引っかけ問題(締め切り10月27日(日)23時)

質問です。
当時、軍部の「統制派」と「皇道派」は、国家社会主義の中でも、どういう違いがあったのでしょうか。

※当時の革新官僚は、ソ連のボルシェビキ(社会民主労働党の左派)寄りでした。

簡単に言うと、
「統制派」、、、親ソ連
「皇道派」、、、親中国

↑でしょうか?

国家社会主義が生まれた背景は貧困でしたよね?

二二六事件
世界恐慌から昭和恐慌に入り、企業が倒産し失業者が溢れ、農村では農作物価格が下落。そこへ都市の失業者が農村に押し寄せ、農村恐慌に突入。
政治家は汚職事件ばかり起こし、民衆の人気は、満州で勢力を拡大する軍部に集まり、軍部が力を持ち始め、右翼と協力して、犬養毅首相を暗殺(五・一五事件)し、一人一殺を掲げて、財界人を殺害していた「皇道派」の右翼革命。
対立する「統制派」とも殺し合いをしていた。


昭和天皇は、皇道派に激怒し、彼らを「賊徒」(反逆者)と見なし、将校は自害、死刑。

質問者からの補足コメント

  • 軍部の中で、共産主義と社会主義との対立があったと見て、まちがいないでしょうか?

      補足日時:2022/08/27 01:45
  • 軍部に貧困層が多かった事は承知してます。

      補足日時:2022/08/27 01:58

A 回答 (4件)

軍部が社会主義、共産主義であるはずがない。


そもそもの原因は旧帝国憲法の構造上の欠陥である。
シビリアンコントロールの概念の欠如。
内閣が天皇を輔弼?
あり得ない古い時代の概念で憲法を作った連中の責任。
軍部の「統制派」?「皇道派」?
異夢同床と言うべき、所詮コップの中の争いでした。
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この回答へのお礼

第2インターが社会主義と共産主義で分裂した後だから。

お礼日時:2022/08/27 13:10

マルコによる福音書:12章:17節 するとイエスは言われた、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。

彼らはイエスに驚嘆した。

ヨハネの黙示録:18章: 1節 この後、わたしは、もうひとりの御使が、大いなる権威を持って、天から降りて来るのを見た。地は彼の栄光によって明るくされた。
2節 彼は力強い声で叫んで言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。
3節 すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである」。
4節 わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。
5節 彼女の罪は積り積って天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。
6節 彼女がしたとおりに彼女にし返し、そのしわざに応じて二倍に報復をし、彼女が混ぜて入れた杯の中に、その倍の量を、入れてやれ。
7節 彼女が自ら高ぶり、ぜいたくをほしいままにしたので、それに対して、同じほどの苦しみと悲しみとを味わわせてやれ。彼女は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。
8節 それゆえ、さまざまの災害が、死と悲しみとききんとが、一日のうちに彼女を襲い、そして、彼女は火で焼かれてしまう。彼女をさばく主なる神は、力強いかたなのである。
9節 彼女と姦淫を行い、ぜいたくをほしいままにしていた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のために胸を打って泣き悲しみ、
10節 彼女の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、一瞬にしてきた』。
11節 また、地の商人たちも彼女のために泣き悲しむ。もはや、彼らの商品を買う者が、ひとりもないからである。
12節 その商品は、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、各種の香木、各種の象牙細工、高価な木材、銅、鉄、大理石などの器、
13節 肉桂、香料、香、におい油、乳香、ぶどう酒、オリブ油、麦粉、麦、牛、羊、馬、車、奴隷、そして人身などである。
14節 おまえの心の喜びであったくだものはなくなり、あらゆるはでな、はなやかな物はおまえから消え去った。それらのものはもはや見られない。
15節 これらの品々を売って、彼女から富を得た商人は、彼女の苦しみに恐れをいだいて遠くに立ち、泣き悲しんで言う、
16節 『ああ、わざわいだ、麻布と紫布と緋布をまとい、金や宝石や真珠で身を飾っていた大いなる都は、わざわいだ。
17節 これほどの富が、一瞬にして無に帰してしまうとは』。また、すべての船長、航海者、水夫、すべて海で働いている人たちは、遠くに立ち、
18節 彼女が焼かれる火の煙を見て、叫んで言う、『これほどの大いなる都は、どこにあろう』。
 http://words.kirisuto.info/02_27.html
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魏志倭人伝#
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97 …
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 どのような荷、負荷、サークル研究が流されたのか等は、ほとんど外交、内政、帆掛け舟かもしれないですね。

 世界のお天気なのだか、時差なのだか、季でも違うのか、西か、南風か、南無 .. 、そんな世界模様、世界状況、時節説明会、烏合の衆、どこの風教、どこの情報、どこの動向、皆目知れず、皆の衆、そんな風見鶏の世界があるだけ、札付きの世襲日程羽振り世を襲うに追われ走るだけのイカサマ社会に今日も日が昇る、季節はめぐる、そんなところでしょうか。

 世界覇権のうわさ、それに浮つく港町、封建、帝国、そして、国家桜を見る会、雛壇日程行事従来、そんな、2局面かも、しれないですね。

omake.1



omake.2
 遠い過去、遣唐使廃止 - 菅原道真公太宰府天満宮 - 源平合戦の種落ちる
 https://www.youtube.com/watch?v=n78KIJVjTG8

omake.3
 https://www.youtube.com/watch?v=jAcZRq-f-_o

omake.4
 https://www.youtube.com/watch?v=PihNqg8VRUM
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議会と協調し権力を握ろうという志向が統制派。

直接行動で権力を握ろうという志向が皇道派。
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> 軍部の中で、共産主義と社会主義との対立があったと見て、まちがいないでしょうか?



間違いです。

反共思想の強いドイツと組んでいた事からも分かるように、大日本帝国の軍部は反共でした。

統制派も皇道派も、共に軍部が国の舵取りをしようとしていた点において似たりよったりで、皇道派は軍事クーデターも選択肢としていました。

統制派はあくまで法治の範囲内で軍の利権を拡大しようとしていました。敗色濃厚の日本では、軍部大臣現役武官制という法制度によって内閣が組閣できず、政治的に混乱して停戦タイミングがズルズルと先延ばしになってしまった事は、現在から振り返って痛恨の極みでしょう。
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