お寺には、よく六角堂や八角堂というのがありますよね。
多角形のお堂にするのは、意味があるのですか?
角が多ければ良いのなら、十や、十二角形などが出てもいいと思うのですが。
6、または8という数字に意味があるのですか?

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A 回答 (3件)

 六角堂や八角堂は総称して「円堂」といいます。

日本建築は木造のため、円形平面を造るのが困難なため、六角・八角で円形を象りました。主に故人の冥福を祈るために建立されることが多いので、廟建築の影響を受けているとも考えられています。
 法隆寺夢殿や興福寺南円堂・北円堂、京都市の頂法寺六角堂などが有名です。

参考
『岩波 仏教辞典』(岩波書店)
『仏教美術事典』(東京書籍)
『週刊朝日百科 日本の国宝』「奈良/法隆寺2」(朝日新聞社)
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この回答へのお礼

なるほどー
文献のご紹介ありがとうございます。

四天王寺のお庭にある緑の六角堂も気になります。
重要文化財らしいです。

お礼日時:2005/04/24 09:19

法隆寺の夢殿は境内の東にあるのですが、


西側にも同じ八角形の西円堂という建物があります。

円堂というだけに、本当は円に作りたかったが、
円に近い八角形にしたとか

そういえば、中国には円形のお堂があったような
それを目指したのではないでしょうか

参考URL:http://www.horyuji.or.jp/kedaizu.htm
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十二角堂なら存在するようですが・・・。



参考URL:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/ …

この回答への補足

回答ありがとうございます。
ほんとだ!あるんですねー
八角や六角よりも多角にしたかったんでしょうか?

補足日時:2005/04/15 14:59
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Q八角墳や八角形の建物がつくられた理由は?

みなさん、こんにちわ。
このところ、数字の8に悩まされています。

法隆寺の夢殿は八角円堂、

奈良の西大寺の東塔の跡の基壇は四角ですが、
称徳天皇は八角七重塔を建てるつもりだったようです。
(何かの祟りでダメになったそうです。)
京都吉田神社の斎場所大元宮は八角形の本殿に六角の後房を付けた建物ですね。

明日香村の野口王墓(天武持統陵)など八角墳もたくさんあります。

茶寿といって108歳のお祝いをすることもあります。
(草冠が二つの十、下は八十八に分解できるので20+88=108だそうです。)

8という数字には何か意味があるのでしょうか。
また、他のそれぞれの数字にも何らかの意味があるのでしょうか?

陰陽道では奇数を陽の数字、偶数を陰の数字と考えるそうですが・・・

このままではユメの中に8が出てきそうです~

Aベストアンサー

仏教では八に深い意味があります。
お釈迦様が亡くなり荼毘に付したのち、遺骨(佛舎利)は八分され八方に送られ祀られました。   四方八方ですね。
仏教では八大菩薩、八大竜王、八功徳、八解脱(げだつ)ほか多くの八のついた言葉があります。
それは別として佛舎利はさらに分けられ、多くの舎利塔に納められ信仰の対象になりました。   余談ですが佛舎利は限られた量です。   多くの舎利塔には換わりに水晶などの貴石が納められています。
初期の舎利塔はどこからでも拝めるよう円形でしたが、木造になるにつれ円形に近くより作りやすい、八角塔に変わって行ったといいます。   さらに六角、四角となり現在主流の四角の五重塔(これは舎利塔です)になりました。   八角三重塔などもかなり残っています。   八角円堂などのほか、仏教以外の建物にも応用されました。

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q安岡正篤氏と細木数子さんについて

私は学生の頃から安岡氏の本を読んできましたが、最近、テレビに露出の多くなった細木数子さんと以前結婚していたというのを小耳に挟みました。男女間は他人には、はかり知れないとはいうものの、想像が難しいというか、にわかに信じがたいのですが‥。氏の立命という考えに占いというものは合わないと思うのです。当時の詳しい経緯とか、御存知の方がいらっしゃいましたら御教え下さい。

Aベストアンサー

はじめまして。

細木数子と安岡氏が結婚していたのは事実です(1983年10月~12月)。とはいえ、この結婚は普通とはかなり違います。

まず異常なのは、細木数子が1983年8月29日に安岡氏に「結婚誓約書」を書かせていること。普通こんなもの書かせません。

その後、9月6日から安岡氏は体の不調を訴え始め、10月4日に療養のため高野山に移されます。

焦った細木数子は、10月15日に文京区役所へ「婚姻届」を提出。受理されます。
実は同じ日に、安岡家側も同区役所に「婚姻届不受理」の手続きを行ったのですが、わずか10分の差で不受理となってしまいます。

納得のいかない安岡家側は、11月18日に東京地裁へ「婚姻無効」の調停申し立てを行います。

結局12月13日、安岡家と細木数子との争いが続く中、安岡氏は亡くなってしまいます。
婚姻期間はわずか2ヶ月。しかも当時の安岡氏は、同じ内容の電話を10分間に2度かけるなど、痴呆の兆候があったと言われています。

細木数子と安岡家側は、その後も訴訟合戦を繰り広げますが、結局一番得をしたのは細木数子だったでしょう。

あの常軌を逸した婚姻騒動のため、安岡氏と結婚していたとは言わなくなりましたが、「安岡正篤」という名前は現在でも存分に利用しています。
自らの著書では必ずと言っていいほど名前を出しますし、プロフィールでも「故・安岡正篤氏と出会い、六星占術は単なる占いの域を越えた“人間学”にまで高められた」と書いています。

ただ、東京の神楽坂にある細木事務所に「財団法人 安岡正篤顕彰記念」という“架空の”財団法人を、さも存在するかのように書いてハクづけに利用しているのは、度が過ぎた行いだと思っています。

はじめまして。

細木数子と安岡氏が結婚していたのは事実です(1983年10月~12月)。とはいえ、この結婚は普通とはかなり違います。

まず異常なのは、細木数子が1983年8月29日に安岡氏に「結婚誓約書」を書かせていること。普通こんなもの書かせません。

その後、9月6日から安岡氏は体の不調を訴え始め、10月4日に療養のため高野山に移されます。

焦った細木数子は、10月15日に文京区役所へ「婚姻届」を提出。受理されます。
実は同じ日に、安岡家側も同区役所に「婚姻届不受理」の手続きを行ったので...続きを読む

Qお寺の名称の「山」と「院」と「寺」はどういう意味ですか

 お寺の「山」と「院」と「寺」はどういう意味ですか。
先日、千葉県の重俊院というお寺に行きました。重俊院というのは通称で、正しくは森川山重俊院出羽寺というそうです。森川出羽守重俊の菩提寺なのでそこから名をとったそうです。そのまんまやんか・・・。さて、お寺の名称には○○院と○○寺と○○山がありますが、どうちがいますか。すべての寺には○○山○○院○○寺という「山」「院」「寺」がセットになった「正式名称」のようなものがあるのでしょうか。でも法隆寺には「山」も「院」も聞いたことがないです。

Aベストアンサー

○○山○○院○○寺というな名前をそれぞれ山号、院号、寺号と言います。この中で実は院号だけは少し別枠で考えていただくとして、普通は寺の正式名称は○○山○○寺という形で表します。

#2の方の言う通りですが
寺号はその寺の名前です。建立者や開祖が名前をつけるのが普通で、その寺を造るにあたっての気持ちがこめられます。

山号はその寺院のある場所を示すことが原型です。昔の中国では仏教寺院は山の中に立てられるのが普通で、その山の名前をとって山号としました。やがて平地に建てられた寺院も山号をつけるようになります。

で、山号+寺号が正式名称となる場合が多いのです。しかしまあ、日本では成田山など特別な場合を除いて寺号だけで寺を表すのが普通ですし、法隆寺・興福寺・東大寺など奈良時代以前に建立された寺に山号はありません。

さて、院号ですが、「院」というのは大きな寺などの中にある付属した施設や建物の名前です。本山など大きな寺だとその寺の系列の末寺があったりするわけですが、その中で本山と同じ境内の中にあるものを普通は院と言います。その寺の住職などが引退したあとに暮らすためのものであったりするわけで、山号+寺号+院号とするか、寺号+院号でその院を示します(ご質問の場合は人の名前を元にしているので順番が少し異なるようですね)。

なお、法隆寺については上にも書いたように山号はなく、#1の方のお答えになっている
「聖徳宗総本山」というのは山号ではありません。

○○山○○院○○寺というな名前をそれぞれ山号、院号、寺号と言います。この中で実は院号だけは少し別枠で考えていただくとして、普通は寺の正式名称は○○山○○寺という形で表します。

#2の方の言う通りですが
寺号はその寺の名前です。建立者や開祖が名前をつけるのが普通で、その寺を造るにあたっての気持ちがこめられます。

山号はその寺院のある場所を示すことが原型です。昔の中国では仏教寺院は山の中に立てられるのが普通で、その山の名前をとって山号としました。やがて平地に建てられた寺院も山号をつ...続きを読む

QGmailアドレス変更方法

Gmailのアドレスを変更したいと考えているのですが、どのようにして変更すればよいのでしょうか?

Aベストアンサー

Gmailアドレスの変更はできません。

今使っているものと違うGmailアドレスを使いたいのならば、新規にGmailアドレスを取得してください。

そして従来のアドレスが必要ないならばそのまま放置しておけばOK。確か半年アクセスしなければそのアカウントは削除されるはずです。

なお、もし古いアドレスに配信されるメールもチェックする必要があるならば、新しいアドレスに転送設定しておきましょう。

Q天台宗の本尊は

天台智ぎ、妙楽、最澄は同じ本尊に同じお経を唱えていたのでしょうか

また本尊は仏像だと思うのですがどのような仏像でしょうか

よろしくお願いいたします

Aベストアンサー

「本尊」の定義とは、

ある宗派によって、本師・本仏として供養・礼拝する尊像のことであり、
一堂・一宇において供養される尊像の中心的なもの

であろうと思います。

ANo.2さまの回答は、このうちの「本仏として供養・礼拝する」対象という意味で「釈迦牟尼仏」とおっしゃったのだと思います。
たしかに広い意味では、各宗派の“本尊”は釈迦牟尼仏だとは思います。お釈迦様がいなければ、仏教はなかったわけですから、お釈迦様を尊崇しない宗派は仏教ではあり得ないとは思います。
が、“「釈迦牟尼仏」以外は本尊はいない”と言ってしまっては、各宗派が立てている教義がおかしくなってしまいます。

また、質問者さまが言われている「本尊」とは、延暦寺というお寺に祀られている本尊(実際に安置されている仏像)のことを聞いておられると思いますので、“「釈迦牟尼仏」以外は本尊はいない”などと言ってしまうと、質問の意味からはずれてしまうと思います。

東大寺は華厳宗で、『華厳経』の教主は毘盧遮那仏で、それを本尊として華厳宗という宗派を立て、高野山や東寺が本山の真言宗は、『金剛経』『大日経』を中心に、大日如来を本尊として教義を広めているのです。
東大寺や東寺その他、各宗派の本山と呼ばれるお寺でも、塔頭はたくさんあり、塔頭によって祀られている本尊は違いますが、本山の中心的なお堂(本堂なり金堂なり)には、その宗派が依りどころとしている仏さまが本尊として祀られています。

そこで、本題の天台宗ですが、ANo.1さまがおっしゃっているように、天台宗では特定の本尊を定めていません。
天台宗の中にはいろいろな教義(円教や密教、浄土など)があり、塔頭によって中心とする教義が違い、それによって本尊が決まっているようです。
ただ、その中でも、天台宗総本山比叡山延暦寺の中心といわれるお堂は「根本中堂」です。その根本中堂には最澄が手ずから彫ったといわれる「薬師瑠璃光如来」が秘仏として祀られています。
天台宗の密教では、薬師如来を重要視した、真言宗とは少し違った教義を持っているようです。

先にも言いましたように、天台宗は特定の本尊を立てていないので、あくまで、根本中堂に祀られている本尊が薬師如来であって、天台宗の本尊という位置づけではないのですが。


智[豈頁]や荊渓湛然が中国の天台山でどのような本尊に向かってどのようなお経を唱えていたかは、専門家ではないのでよく分かりませんでした。

「本尊」の定義とは、

ある宗派によって、本師・本仏として供養・礼拝する尊像のことであり、
一堂・一宇において供養される尊像の中心的なもの

であろうと思います。

ANo.2さまの回答は、このうちの「本仏として供養・礼拝する」対象という意味で「釈迦牟尼仏」とおっしゃったのだと思います。
たしかに広い意味では、各宗派の“本尊”は釈迦牟尼仏だとは思います。お釈迦様がいなければ、仏教はなかったわけですから、お釈迦様を尊崇しない宗派は仏教ではあり得ないとは思います。
が、“「釈迦牟尼仏...続きを読む

Q堂宇とお堂の違い

寺院の説明などを読んでいると、私たちが一般にいうお堂のことを「堂宇」と記載されていることがありますが、違いがあるのでしょうか?
お教え下さい。

Aベストアンサー

どちらも同じ「堂の建物」を指します。
ただし、「お堂」は堂に「お」をつけて丁寧に言った言葉ですので外部の人間が使います。
お寺の関係者は自分自身のところに丁寧語は使わないので、「堂宇」と言うと思います。


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