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決して諦めなければ夢は叶うと思いますか?

A 回答 (27件中1~10件)

自分で描く『夢』なんてのはね、


叶えるのは簡単なことなんですよ。

自分でもう良いわ。と言うほどに、
持続させる方が100倍難しいのです。
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まずは夢を持てないとダメですよ。

夢を持ってない人の夢が叶うことはありませんよね。では誰もが夢を持ったことがるあるのかと言うとそうでは無いと思います。殆どの人は未体験であると思います。

以下は長いので興味があればお読みください。

私の子供のころの夢はどこかの企業に勤めて会社員になる事でした。この夢は叶いましたが、入社して何年かは実感が湧きませんでしたね。なのでドブネズミだとか社畜だとか言う表現は好きではありません。

夢を持ったことが無い人の方が多いだろうと冒頭で述べました。これは恋に近い感覚です。夢と言うのは持った瞬間に分りますよ。逆に言えば「切ない。苦しい」という感覚がないものは夢じゃないです。

その気持ちを解説すると、

「他の人にとっては普通で当たり前なんだろうなあ。
 でも自分には縁が無いと思えたね。
 関係ないものだと思って興味も無かった。
 なまじ、その気になって後でがっかりするのが怖かった。
 でもある時突然、頑張れば自分にもできる、手に入る
 と感じられたんだ。イケルかも・・・と。
 その後はその考えがずっと消えなくなって強くなった。
 真剣に調べたら色々とハードルがあったね。
 こりゃ無理だと思えたよ。
 だからまた諦めたんだよ。
 でもある時、そのハードルを越られる方法が見つかった。
 これも他の人には当たり前の知識だった。
 僕だけが知らなかったんだ。
 諦めていたから調べなかった。だから知識も他の人より
 少なかったんだ。なので余計に無理だと思ってたんだよ。
 でもね。知識が手に入ったら急に元気が出て来てね。

 『最後はダメかもしれない。
  だけど、こんなに努力をしてもダメだったんだと自分
  に言い聞かせられるところまでやらないと行けない』

 と思った。
 もうコリゴリだとトラウマになるくらいの辛い経験をし
 ないとね。この憧れの気持ちは消えないだろうと。
 叶わない恋を背負って生きるのはキツスギル。
 前に進めなくなるだろう?
 ずっと苦しいままだと気が付いたんだ。
 だから、夢が冷めるような凄い壁にあたるまでは、やろ
 うと思ったんだよ」

こんな感じですかね。つまり、他の人の価値観と同じわけじゃないんですよ。「諦めていたのに・・・もしかしたら自分にも?」と言うのが始まりじゃないでしょうか。またそこから何年かたって実現可能な道筋(細いけど)が見えてしまう。この瞬間から「夢を見る」という状態に突入するのだと思います。

そして誰もが経験する「諦めそうな壁」と言うのは他の人にとってはかなりショボい話でしょう。それでもその人の手札には無かったんです。他の人にとって簡単であっても、その時のその人にとって「いま持ってない」という現実はどうにもできないんです。この不条理に遭遇したとき、足元から崩れ落ちるような凄まじい喪失感が襲い掛かってくるはずです。

これに精神力で抵抗するのは殆ど不可能ですよ。

例え話をしますね。

「僕にはずっと恋している僕のマドンナ(死語)がい
 たんだよね。中学の時からずっと好きだったんだ。
 高校も同じになってさ。ずっと陰から見てた。
 でもね・・・。
 最近、お互いがそうなのかもしれないと気づいた。
 舞い上がったよ。もしかしたらって・・ね?
 それでも怖かった。
 だから告白しようと思って色々と勇気を振り絞った。
 だけどさ・・・この前、彼女が他の男の人とデート
 をしたことを知ったんだ。
 僕の勘違いだった。消えたい」

「何を言ってるんだ。諦めてどうする。
 諦めなければ何とかなるさ!」

さて、この「諦めなければ何とかなるさ」と言う言葉は、失恋を確信した少年にとって現実感があるでしょうか? 彼にとっての現実は「自分の勘違い」でしかなく「あれは何もかも勘違いだったのか?・・・どうしてそんな風に思ったんだ。俺の馬鹿」みたいな気持ちのほうです。頭の中は期待した自分を辱めて、自分を諦めさせる気持ちで一杯のはずですよね。

ところが実際は、

「ああ。男欲しい~。彼氏作って甘え捲りたい」

「抱きつくんじゃない。
 そんなんだから男に引かれる。
 あんた黙ってれば外身はいいんだけどなあ」

とマドンナは友人に評されているかも知れませんよね。つまり叶うか否かであるならば、それはもう確定して叶う。と言うか元々叶う事が決まっている時に持つのが夢なんでしょう。後は、自分の中にいる何かが意地悪をして諦めさせようとするわけですよ。

夢がかなった人は振り返って必ず思うはずです。

「しかしまあ。今となってはの話だけど。
 どうしてあの程度の事で諦めようとか悩んだんだ。
 恐ろしいなあ。そういう妨害をする何かが自分の
 中にいるんだなあ。諦めさせようとする。
 これに勝つところが試練なのだろうなあ」

夢には一定の法則があります。

・自分以外の誰も助けられない
・誰かが簡単にくれるものではない
 (また誰かに貰う事に価値がない=台無し)
・かなり昔に諦めた内容である
・今の自分なら出来るかもしれないと思う根拠がある
・今の自分でも無理だと思える障害がある
・情熱に押されてやろうと決めたときがある
 (しかし長期戦となってしまい情熱もある程度冷える)

こういう時(情熱から決意、そして長期戦)に夢があると語るものです。

誰かに与えて貰おうと思う物は夢ではなく「おねだり」です。子供だって母親を説得するときに何でもしますよ。こういう諦めの悪さは見苦しいと言われます。恋愛ものであっても催眠術とか媚薬で成し遂げる話が入れば一気に猟奇物になってしまいます。

次に先ほど述べた自分の(心の)中にいる妨害者の存在について語ります。これが「諦めなければ夢は叶う」という真意になります。妨害者は自分の中にいて「勘違い」と「諦め」上手に使ってくると言う事です。この妨害者に気づけと言う警告が「諦めなければ・・・」と言う話ですね。

ではこの妨害者は何故同じ自分なのに自分を苦しめるのか?

「こいつは不遜な態度を取った。
 幸せに成るべきではないからだ」

ほぼこの一点に尽きます。

人間の脳には人類全体を反映させるための監視者がいると思えます。これらは自分個人(個体)の都合を無視して、人類のために自分を間引こうとするようにみえます。実際は罪の意識とか脳の疲労から起きる現象でしょう。たまたまそれが人類種族を守る機能として働いて居るんでしょう。

錯覚や思い込み、勘違いや誤解、これによる想定外の敗北。そのショックから「諦め」へ繋げてきます。

その一連の不可避な流れを言葉にすると、

「この人物のスペックならば当然手に入るべき幸福。
 それを与える事を辞める。本人に無理だと思い込ませる」

であり、これが”罰”というものの本来の概念です。

例えば若者が突然犯罪を犯して未来を失いますよね。殆どの大人には理由が分かりません。しかし、本人にとっては「他人から見たら順当に手に入れられるだろう幸福」であっても「絶対手に入らない幸福」に見えているんです。その様に錯覚させられて破滅に誘われているんですよ。こうなると誰も助けることは出来ません。

一度でも人類全体を現す概念を馬鹿にしたり挑発したりすると、この監視者が動き出して本人の未来を取り上げるんです。そして何度もこれが繰り返されます。「普通に大人になって社畜になるくらいは出来ると思っていた」子供が、家から出られず家族といがみ合い、まともな精神状態も得られなくなる。それは親や他者を馬鹿にして挑発した回数分、この監視者(妨害者)に幸福の段階を落とされていたという事です。

「夢を追う人は何故か皆真面目でひたむきである。
 その上で礼儀正しい」

ここに着眼してください。これは夢を追う人が真面目なのではなく、すこしは真摯な態度を取ったので監視者が手を緩めただけです。以前取り上げた未来を少し返そうと思ってくれた。そのため「俺でも行けるかも?」と感じたというだけなんです。

先ほどのマドンナに恋をした少年も、どこかで親や先生など馬鹿にする発言をしていたんです。その罪として本来なら順当にカップルに成れた未来を取り上げられた(諦める様に仕向けられた)んです。その後、何かの拍子で少しだけ真面目に成った。そこで元に戻れそうな手ごたえを感じたって事です。

「諦めなければ夢が叶う」というのは本当でしょう。何故かというと本来手に入れていた未来なのですから。スペックは足りているんです。しかし、監視者に誘導された後に「どうせ無理だと思う気持ち」に抵抗できる人など居ません。

「諦めなかった」というのは結果でしかありません。

ではその結果(諦めない自分という状態)を得るための手段は?

・他者や社会(人類全体を現す概念=目上と言う)を馬鹿に
 したり挑発したりしない
・礼を大事にする。ふざけない。真面目な気持ちを維持する

と言うのが大事であり、これの逆をするとどんどん幸福度を下げられてしまう(勝手に諦める自分に抵抗できない)という事です。安パイだと思っていたものほど失います。

夢をかなえた人は次の夢へと進みます。そういう人ほど成功の秘訣が真摯な態度、失礼の無い自分だと知っています(自分の中の監視者を刺激しないこと)。なので誰かを馬鹿にしたり挑発するような行動に対して肯定的では無いのです。子供が「良い事」「悪い事」程度の感覚で述べるのと訳が違います。自分の未来が掛かっているからです。

逆にどこまでも落ちて行く人ほど誰かを馬鹿にしたり挑発する行為を辞めれていないのですよ。

以上、ご参考になれば。
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少なくとも夢を叶えようと努力していれば仮に最終的に目的を叶えられず挫折の連続だったとしてもその過程で多くのことが学べます。

人間は自らの失敗(挫折)にしか学ぶことができません。その学んだことが本来の目的を達成するよりその人のその後の人生にとって糧になる場合もあります。
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夢の内容次第、もしくは、ご自身の結論の在り方次第だと思います。

ここまで来れたから十分だ、という形もあるでしょうし。


落ち着いて状況を観た時に、夢が叶ったといえることもあるでしょうし。


自分の納得で収まらない夢に関しては、責任も生じると思うので、自分がすべてを背負える夢であれば、叶うまで続けるという姿勢もあると思います。
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そうですね。

でも困難と艱難辛苦の道が待っています。
壁だらけ。向かい風と豹が襲います。
大風が吹いて被った帽子を飛ばす。
紐を付けたので背中に掛かる。
逃がさないわよです。

夢ですか。
小生は文筆家。
親の生きていた頃はよく怒られた。注文少なく、
心配のどん底で昇天させた。
その親は亡くなる時、
枕の下に貯金通帳を
置いて去った。
貯めたお金で
強く生きてが
遺言。

ある馬鹿者集会幹事が叫ぶ。
君の本要らぬから安心して俺の開く会にお出でとね。
何が安心なものか。
人の望みを踏みつぶして望みをかなえぬから
安心して僕の所に来てね。
馬鹿野郎、そういう言い方あるかです。
其処へ届く、注文の電話とお金。
世の中はそういう物です。
あなたの本買います。
そういわれた時の言葉、
天から金が降る。
そういう気分に浸ります。

その時を目指して目の前の困難と
一つ一つ対決してください。
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そんなことはない


叶わないことばかり
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多くの人々が、目標に向けて努力を続け、決して諦めなければ夢を叶えることができると信じています。


ただし、夢が叶うかどうかは、様々な要因によって左右されるため、成功するためには計画的な行動や、他者の助けを得ることも重要です。
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そうとは限らない‼️(-o-)/

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夢と現実の見分けがつかないくらいに呆けたら、叶ったと思うのかもしれません。



苦労して得られる喜びは、普通に得られるような喜びでも、違った事に感じるものですから。
メディアなどの洗脳に注意しましょう。
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夢は夢ですから叶うものではないと思います。

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