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7歳の娘からの質問です:「どうして昔話には、おじいさん、おばあさんがいっぱい出てくるの?つるのおんがえしとか、かさじぞうとか、かぐや姫とか、桃太郎だってそう。どうして?」....わかるようで明確な答えが見つからず、返答に窮しました。きっと歴史的とうか文化的にみても論理的な根拠があると思いますが、どなたか教えてください。私も興味があるテーマなんです。よろしくお願いします。

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A 回答 (10件)

いい質問ですよね


今まで仕事に生活に追われて考えた事もありませんが、根拠はありませんが私は次のように考えます。
昔も今もですが語り部は年寄りであった。
昔話の主要テーマは「生まれてきた子供が周りから見ていかに大切な対象であるか」を切々と語ってますよね、その生まれてきたきっかけは
こうの鳥であったり桃からであったり竹からといろいろに夢をふくらませていますが、
昔話を聞いてる子供も主人公と自分をダブラせて幸せな気分になったと思います。聞いてる子供の幸せな気分にさせているのは語り部である自分でありたい。
自分が孫のあなたを祝福してるよとのメッセージでは?
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民話があるのは殆ど農漁村ですよね。

親は朝から晩まで働かないと食べて行けないから、自然幼児の世話はおじいさん・おばあさんの仕事になるが、おじいさん・おばあさんは自分の小さい頃からの経験と知識の中からしかお話をしてあげられないからでは?その頃江戸城では、お世話係が神君家康公からのお話を聞かせていた?現在は、可哀想に電気箱の前に一人でほっぽらかされてる!?
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聞いたことのある解説ですと…



児童文学の研究をなさっている方が
 『むかし、むかし、あるところに…』
これは、何時でもなく何処でもない と言う意味。

だと仰っていました。
つまり、語り部たる高齢者が
 『おじいさんとおばあさんが…』
と語ることで誰でもない と言う意味なのではないでしょうか?

何故、こう曖昧にしたかというと、
子どもにこれは非現実なんだよ。と知らせる為なんだとか。
語り聞かせるというのはそれ自体よりも相乗効果を狙う部分が多々あります。
 愛情を感じたり、疑似体験をしたり…。

さて、お子さんへの回答ですが…
『お爺さんとお婆さんは長く生きて色々なことを知っているから』
『もし、○○ちゃんが主人公だとどうしていいか分からなくなって、
お話が進まないから』

そんなところで分かってくれないかなぁ。
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この回答へのお礼

納得しました。こどもにも説明します。ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/28 11:44

どなたか忘れましたが、ある作家さんが同じ疑問を持たれて、老人は社会的にはもう引退してしまっていて、活躍する場があまりないので、自分たちのような年代の者を主人公(あるいは主要人物)にして、夜子ども達に聞かせ、自分たちも楽しい気持ちになっていたのでは、とおっしゃってました。



いつの時代も、老いると若い者に疎まれたり、厄介者扱いされることが往々にしてありますよね。
若い者に対して、
「老人も、そんな捨てたもんじゃないぞ。知恵や経験じゃ、負けないぞ!」
なんていう、ちょっとした反発というか、おちゃめな意味での復讐みたいな気持ちもあったのでは、と(笑)。

昔は子どもを寝かしつけるのは老人の役目、みたいな所があったようなので、毎日お話をする間に、いろいろ老人が主人公の話が出来ていって、定着したのかも知れませんね。
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外国の昔話でも、グリムやアンデルセン、あるいはイソップやジャータカといった物語には、あまりおじいさんやおばあさんが主人公のものは見当たらないかもしれませんね。

とすると、儒教的な思想風土に覆われたアジアや日本の昔話とは成り立ちが違うことが関係しているのかもしれません。特に日本の場合、炉辺で夜なべ仕事をしながら子どもたちに語り聞かせるというような形態で伝承され、練り上げられてきた成立過程を考えると、日本の昔の家族のありようが関係しているといえるのではないでしょうか。今と違って、家族の中に当たり前におじいさんやおばあさんが同居していた時代は、おばあさんは子どもたちにとっても、現代よりもっと当たり前の存在だったと思います。
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この回答へのお礼

アンデルセンは個人の創作ですが、グリムは説話・民話の集大成なので、西洋の昔話との比較という点から考えると、おもしろい視点が見つかりそうです。祖父母と同居、大家族などは日本のほうがずっと当たり前が続いていたことは要因のひとつかもしれません。

お礼日時:2005/05/08 17:28

No.4です。


「どっとはらい」は民話や昔話の語り終わりに「これでおしまい。」「めでたし、めでたし」「これにて一件落着。」
などのニュアンスをとりまぜたような、決まり文句です。

縁側で(なくてもいいけどイメージ)、昔語りをしていたおばあさんが「どっとはらい」と言って話を終えると、聞き入っていた近所の子供たちが「ああ、これで話が終わったんだ」とわかって、家路につく。
という雰囲気のものだと思います。
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この回答へのお礼

一つ賢くなりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/02 10:43

私も回答が知りたいので便乗させてください。



私の何の根拠もない推測といたしまして、
「昔、昔、あるところにおにいさんとおねえさんが住んでいました。」
だとナマナマしい・・・・・。

というのは冗談ですが、民話や伝承はもともと口説で受け継がれたものですから、語り部は高齢者が多くなる(あの世に行く前に誰かに伝えなくちゃ)と思います。
語る側としては、自分と同年代のキャラを設定したほうが感情移入なども容易で、語りやすいのではないかと思います。
さらに、語り終わりに「どっとはらい」などと決まり文句で締めることがあることから、「昔、昔あるところにおじいさんと・・・」のくだりも、これからお話が始まりますよという決まり文句で、特に意味はないのではと推察いたします。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
なまなましいといえば「桃太郎」。あれはおじいさんとおばあさんが桃を食べて若返り、その「結果」こどもができたとい話が本筋だそうです。中国では桃は長寿の象徴ですしね。娘はその事も知っていましたが、ではなぜ「若返ると子どもが生まれるの?」という質問には、まったく真顔で無視でした。
ところで、「どっとはらい」ってどういう意味ですか?恥ずかしながら初耳です。

お礼日時:2005/04/29 16:20

う~ん。

素晴らしい質問ですね。
真の回答ができるわけじゃないので恐縮ですが、私も今まで考えたことがなかったので、ちょっと寄せてください。

笠地蔵、かぐや姫、桃太郎。
たにし長者、一寸法師、なんかも同類かな。
これらに共通するのは、ず~っと子供が欲しかったのに「もはや自然妊娠で子供を持つことが不可能になった」カップルですよね。
つまり、高齢であることが前提となるわけです。
しかし、歳をとっても子供が欲しいという気持ちは変わらない。
「子供」と呼べるものを得ることができるなら、なりふりかまわない。異形の者であっても、素性不明のワケありの者であっても、受け入れることができる。

つまり、宇宙人だろうが何だろうが、その者(主人公)の保護者に自らすすんでなることができるカップルとして「不自然でない存在」が、そんな老夫婦=おじいさん&おばあさん、ということになるんじゃないでしょうか。

で、これを7歳の子供にどう説明するか?
難しいですね(笑)
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この回答へのお礼

速攻のお返事、ありがとうございました!
私が最初に考えたおは;「その昔は夫婦に子どもがいない」=その家は断絶する+村から阻害されるなど、現在以上に過酷な現実があったため(農作業などの労働条件などが理由で)、子どものいない夫婦というのは想像以上に辛い人生を強いられていた。そういう歴史背景が多くの民話にはあるという研究者の話でした。なかなか深みのある課題なので、みなさんのご意見を参考にしながら、私もじっくりと考えていきたいと思います。

お礼日時:2005/04/29 16:13

いちばんわかりやすいとか?


「おにいさんおねえさん」だとイメージが特定しづらいような気がします。年齢の幅というか。
「おじいさんおばあさん」なら、白髪で・・・思い浮かびます。
でも、物語の構成から、自然にできたものでしょうね。
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この回答へのお礼

確かに、民話・説話は諸説があって、今日最も流通している形態は、畢竟、現在の我々に一番受け入れられやすいものということになります。むかしーおじいさん+おばんさんの話、というのも自然なことなので、正しい解釈かと思います。

お礼日時:2005/04/29 16:16

いい質問ですね。


すばらしいお子さんだと思います。

ちょっと考えてみました。

若いもん(おじいさん。おばあさんの子供)は出稼ぎに出ていたのではないでしょうかね。
(うーむ、苦しい回答)

もも太郎は、おじいさん、おばあさんの子供として育てられましたが、孫として育てられたわけではないのに違和感なく読んでいましたが、どう考えても孫ですよねぇ。

この回答への補足

桃太郎、浦島太郎の太郎シリーズは非常に興味深い話だと思いませんか?なんだか深く探ってみたくなりました。これも娘の質問がきっかけです。うれしい質問でした。

補足日時:2005/04/29 16:21
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この回答へのお礼

速攻の回答、ありがとうございます。上記の指摘、納得ですね。昔は平均寿命も短かったし、ふけるのも早かっただろうし、いろいろと現実が異なっていたと思うので、想像力を働かせて読み解いていくとどんどんおもしろくなるような気がします。

お礼日時:2005/04/29 16:26

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 日本昔話に出てくるおじいさん、おばあさんはなぜ子供がいないのか知っている人、いましたら教えてください。

Aベストアンサー

物によっては息子(娘)が登場する話も有ります。
大半の物語ではお話として不要だったからでは無いですか?
老夫婦は基本的に『無欲』の象徴です。だから何かいい事がある…。

例えば『桃太郎』等は、この夫婦の家庭に若者が居た場合、若者の立場、描き方からすると桃太郎の存在意義が『子供の変わりにかわいがる』と言う物から『不可思議な存在、居てもいなくてもよい。また、未来や生活に向上を求める若者ならばこの不思議な物を何がしか自分たちの為に役立てようとして無垢な物語では無くなってしまう』と言う方向に流れてしまうでしょう。
 逆に、『竹取物語』は、無欲な老夫婦が娘が機を織っている姿を『見たい』と言う、若者にありがちな欲望に負けて不幸を招いています。
 物語が、『善人たる登場人物の善意が、思いもかけぬ自らの幸せに繋がる』と言う方向へ持ってゆきたいとき、やはり未来の有る、有る意味で『生きる事に貪欲な若者』よりは、もう『人生も終わりに近づき無欲な年寄り』の方が適当でしょう。
 また、『はなさかじいさん』『舌切り雀』等には主人公に対してのアンチテーゼで強欲な年寄りが出てきますが、これらの物語の類もはっきりと善なる老主人公に対しての悪役として描かれています。実際の価値観からして、『善たる年寄り』に対して悪意を持ち、攻撃すると言った事は若者に担わせる役柄としては『モラルが低下する』事を無意識で恐れたのではないかと思います。
 つまり、『無欲な年寄りが自らの善人振りによって良い思いをする』と言う物語には『若者(成人した子供)は登場させずらいのでしょう。
 これらの物語の範疇に含まれない物には『若者』が多く出てきています。
 しかしながら『若者』と『年寄り』は価値観など違う為に『若者』が主人公の場合、話に深く絡ませる事は難しいでしょう。だから『若者と年寄り』はあまり物語で同居できません。
 これに含まれない物としては『養老の滝』『姥捨て山』等の、『親孝行物』になります。
 
 飽く迄も推測なので確証は有りませんが。

 また、ご質問がテレビの『まんが日本昔ばなし』に関する物であるならば、やはり上記の理由で『原作がそうであるから』と言ったことだと思われます。
 飽く迄も原作によってです。『舌切り雀』や『姥捨て山』等も作品化されていますから。

物によっては息子(娘)が登場する話も有ります。
大半の物語ではお話として不要だったからでは無いですか?
老夫婦は基本的に『無欲』の象徴です。だから何かいい事がある…。

例えば『桃太郎』等は、この夫婦の家庭に若者が居た場合、若者の立場、描き方からすると桃太郎の存在意義が『子供の変わりにかわいがる』と言う物から『不可思議な存在、居てもいなくてもよい。また、未来や生活に向上を求める若者ならばこの不思議な物を何がしか自分たちの為に役立てようとして無垢な物語では無くなってしまう』と...続きを読む

Q創価学会の人かどうかの見分け方を教えてください。

事情で、創価学会の人とできるだけ関わりたくありません。
(詳しくは書きませんが、かなり迷惑を被っています。)
これからいろいろな人と知り合いになると思いますが、
創価学会の人かどうか見分け方がありましたら、
知っておきたいです。

ちなみに自分なりに考えたのが、
・どこの新聞をとっているか聞く
・どんなスタイルの結婚式を挙げたかを聞く
(神式、キリスト教式だと大丈夫かも)  です。
最近知り合った人には、さりげなく聞いてみて一安心でした。

たまたま私の知り合った人が熱心すぎる人だっただけで、
学会の人全てを否定しているわけではありませんが、
この事にかなりナーバスになっていますので、
学会の方はお気を悪くされないで下さいませ。
あと、学会の批判ではなくて、見分け方のみご回答願います。

Aベストアンサー

学会会員です。比較的簡単な見分け方は.

1.死者がいないのに(紙製の)仏壇を持っている
2.木製の仏壇の場合は.つくりが派手(他の宗派の場合には.分家したときに作った仏壇をいつまでも使いつづけるので.結構古い物が転がっています)。
3.お守り.破魔矢.熊手.達磨等の縁起物を持たない・買わない(私のような例外もいますが)
4.命日など家族で遠距離の墓参りに行く。(近所の宗派の方は.命日の近くの都合のよい日に出かけます。)
5.若い人のばあいには.「宗教の話をする」。今の若い方々は.宗教関係に興味を持たないのが大多数ですから。
6.夕方特定の遊びまわるわけでもないのに集まる(勉強買いです)。若い方の場合には.酒飲んでカラオケで騒ぐのが普通ですが.これをしない場合です。
7.宗教(日蓮)関係のわけのわからない本がある。


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