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文学研究の卒論の場合、自分の好きな作家の何度も読んだ作品か、それともまだ読んだことのない作家であれば後者の方が発見することが多く研究の意義があるのでしょうか。
ちなみに好きな作家の場合書簡集まで読んでいるのですが

A 回答 (3件)

自分の好きな作家の方が深く研究出来ると思います。

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「天才とは新事実に気づく人間のことでなく、当たり前すぎて誰も注目しなかったことに気づく人間のことである」



小6のときから何十回何百回も読んでいる本があるけど、いまだに「そういうことだったのか」という発見があるよ。
題材はなく、研究者の目の高さだと思う。
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>自分の好きな作家の何度も読んだ作品か、それともまだ読んだことのない作家であれば後者の方が発見することが多く研究の意義があるのでしょうか。



その場合の「研究の意義」って、「文学研究における意義」じゃなくて、「自分だけの個人的な意義」ですよね。「まだ読んだことのない作家」というのは、あくまでも自分にとってのことであって、他の人にはたくさん読まれているし研究もされている。自分にとっては未知のことでも、その作家の作品の研究をしている人からすれば周知の話。
卒論で「自分は知らない作家だったので、初めて知ることばかりで面白かったです」という内容で、それで「研究の意義」があると思いますか?
古典文学で例えるなら、もう散々研究されている『源氏物語』とかを、「自分はちゃんと読んだことがないから、卒論で取り組むと発見することが多くて研究の意義がある」という発想が成り立つかどうか、考えてみてください。

なお、文学作品の卒論は、作家の作品や書簡集などを「読む」だけでは、書けません。どれだけ読み込んだとしても、独りよがりの「感想文」では卒論とは言えません。その作家や作品についての研究にすべて目を通し、どのような議論がなされているかを俯瞰し、それに対して自分はどのような「論」を展開するのか、ということを考えなければなりません。
「知らない作家ならば発見がある」というのは、論を立てる以前の、「知らなかった知識を得ました」という「学修・勉強」レベルのお話しですよ。
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この回答へのお礼

なるほど
先行研究に対する自分の論が大切なのですね

お礼日時:2023/10/14 20:40

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