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バッハ、ベートーヴェン、ブラームスはドイツ音楽の〇〇と言われていますが、丸に入る答えはなんですか?

A 回答 (5件)

No.3&4 です。



蛇足ながら、「ドイツ音楽の3大B」とか「ドイツ音楽の3B」の「B」とは

 Bach
 Beethoven
 Brahms

の頭文字です。
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No.3 です。

すみません、一部誤記がありました。

ブラームスの交響曲第1番は「1876年」ですね。
そうでないと、ハンス・フォン・ビューローが異常に持ち上げた歴史的背景が相前後していまいます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF …
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一般には「3大B」、2文字なら「3B」なんでしょうね。



それを名付けたのはドイツの指揮者ハンス・フォン・ビューロー(1830~1894)です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3 …

ビューローはブラームスの交響曲第1番(1867年作曲)を「ベートーヴェンの交響曲第10番である」とまで賞賛し、またブラームスの交響曲第2番を「ブラームスの田園交響曲」と呼んでいます。
つまり、ブラームスこそ、バッハ、ベートーヴェンが築いたドイツ音楽の正当な後継者と呼んだわけです。

もともと、ビューローは作曲家フランツ・リストやワーグナーに心酔し、1857年にリストの娘コジマと結婚するとともに、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の初演(1865年)、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の初演(1868年)を指揮しています。
リストにしてもワーグナーにしても、「自分こそがベートーヴェンの後継者である」と自負していました。

ところが、ビューローの妻であったコジマもワーグナーに心酔し、あろうことかビューローと別居して1865年にはワーグナーとの間に長女イゾルデをもうけ、1866年にはワーグナーと同棲を始め、1867年には次女エーファ、1869年には長男ジークフリートをもうけます。その既成事実の上で1870年にビューローと正式に離婚し、ワーグナーの妻となります。(その年のコジマの誕生日に、ワーグナーはコジマに「ジークフリート牧歌」を贈っている)

そんないきさつもあって、ビューローはワーグナーと決別して当時ワーグナーの対抗馬とされていたブラームスを熱狂的に支持し、持ち上げるようになったわけです。
その結果が「ブラームスこそがベートーヴェンの正統な後継者である」という「ドイツ3大B」発言であり「ベートーヴェンの10番」発言になるわけです。
「ドイツ3大B」という呼称は、そういったハンス・フォン・ビューローの個人的なやっかみも含まれているという背景を知った上で使わないといけません。
決して「公式な音楽史的呼称」ではないのですから。
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3B

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