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欧米人の一部から、禅宗は、神秘主義だと解釈されているそうですが、なぜでしょうか?

A 回答 (10件)

たぶん park123さんは、これを見たのでしょう。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%85%E5%AE%97

近年において
現在[いつ?]、ベルギーではセクト(カルト)に関する報告書政府文書により禅が浄土真宗や上座部仏教と同時にセクト(カルト)の一つとして分類されている。1997年にフランス、ドイツ、オーストリアに続き、セクト(カルト)に対する政策を作るためベルギー代議院の社会正義委員会で審理委員会が設けられた。同委員会が作成した、670ページにわたる報告書に取り上げられた189の運動の中に禅も含まれている。ただし、「このリストに載っている事実は、公訴の調査中であったとしても、当委員会がその運動をカルトと見做しているとは意味しない」とも記されている。
「政府の文書によってセクトと分類された団体一覧」を参照

この最後の行のリンク先は見ましたか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%BA%9C …

154. Shin Boedhisme (Jodo Shinso) [ 浄土真宗 ]
155. Shri Ram Chandra Mission
156. Siddha Shiva Yoga [Siddha Yoga]
157. Sierra 21
158. Sint Egidiusgemeenschap [Community of Sant'Egidio | The Community of Saint Giles]
159. Soefi Beweging [ スーフィズム ]
160. Soka Gakkai [ 創価学会 ]
161. Ster van David (Huis Maria van Bethlehem) [Star of David (Mary of Bethlehem House)]
162. Stromen van Kracht [Streams of Power]
163. Sûkyô Mahikari [ 崇教真光 ]
164. Summit Light House
165. Sunnatarem Belgium Natural Dubdist Meditation Center
166. Szatmar
167. Tai Chi [太極拳]
168. Tao Yoga
169. Teblig
170. Témoins de Jehovah [ エホバの証人 ]
171. Terre d'Enneille
172. The Elijah Mohammed Foundation
173. Theosofie V.Z.W. (Geüniëerde loge van Theosofen) [ 神智学 非営利団体 (United Lodge of Theosophists)]
175. Theravada (上座部仏教)
176. Trans-Mutations
177. Trois Saints Cœurs [The Three Holy Hearts]
178. Vahali (I Am)
179. Thérapeute Yvo Van Orshoven (A.S.B.L. Esse) [The therapist Yvo Van Orshoven (Esse non-profit organisation)]
180. Verbond van Vlaamse Pinkstergemeenten [フランダースペンテコステ教会連合]
181. Vibration Cœur [Vibrating Heart]
182. Vrij Evangelische Kerkgemeente [Free Evangelical Church Community]
183. Wat Asokaran [Wat Asokaram]
184. World Federation For Spiritual Healing
185. Young Women's Christian Association (YWCA)
186. YSS [ Yogoda Satsanga Society of India ]
187. Zen (禅)
188. Zida Yoga

委員会はリストの説明として、該当の189の団体をセクト(カルト)であると認定しているのではなく、不法行為や危険な行為が継続されていないか監視する必要があるというリストであると説明している。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
たぶん、park123さんがみた、wikiの編集?作成者の勘違いで「欧米人の一部から、禅宗は、神秘主義だと解釈されている」と思われたのでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
じつは、私はWikiの神秘主義をみて疑問に思い投稿いたしました。
ベルギーでは、セクト(カルト)に該当しているかもしれない、ということで禅があげられたのですね。(私には、禅がカルトに該当とは思いませんが)
Wiki編集者がこの書類により、欧米人の一部から禅を神秘主義とみられている、と勘違いしたのですね。

お礼日時:2024/02/02 18:31

禅のからくりをもう少し分かり易く書いてみたくなりましたので書いてみます、それは禅問答と云うものです。

これは左脳の自我意識では理解不能な事です、何故ならば左脳の機能には出来ない事が沢山あるからです。

現実的に今の精神医学の方向性で説明すると分かり易いかも知れません、精神疾患の一つに挙げられているものに『神経症』というものが在りますが、それに近いものもあります、難治性の腸の疾患等もです。

そう云ったものの特徴は、かなり詳しく医学的な精密な検査をした処で全て『異常無し』となっている事です。

ですがそういったものに見え隠れしているものが『心の矛盾』に端を発している症状です。例えば『吃音』を例に挙げて説明するなら、意識した事が原因で発症が始まっていますが、医学的には治す事は難しいようです。

簡単にその裏側を説明するなら、自我意識で話をしようとしている事が大いなる誤りだからです。不眠症も同じ誤りをしています。

自我意識単体では出来ない事、つまり右脳の機能=無意識の機能を使う事が出来なくなった事が、症状の発症を招いているからですが、今の精神医学では全くと言って良い程、気が付いていないからです。

恐怖症と云うものが在りますが、これも同じです。死に対する恐怖症と云う世界中で最も恐れられている恐怖症と云うものが在りますが、これのメカニズムを説明すると分かり易いです。

人間の大いなる希望と云ったものが在りますが、こう云った事にも関係しています。人間の脳内の二つの機能とは『意識する顕在意識』とその意識では気付く事が出来ない『無意識の自分』と云った二つの意識があります。この無意識の自分が右脳の意識です。

この無意識の意識は、自分の命そのものを司っている意識です。処が思春期頃から無意識の底に隠れてしまって、表に出る事は無くなっていますが、自意識の背後から『指示を出しています。』

腹が減ったら飯を探させています、寒かったら温かい処を探すように指示を出しています。自意識が感じている事は右脳の意識が指示を出している事です。

高い処に上がった時には『一瞬にしてその高さとか、どれほど危険なのかを』言葉に拠らない情報と伝達手段で教えています。

人間が命を愛おしむ時、同時に永遠の命を希求するようですが、この事と関係しています。右脳の機能は永遠の理解者という事です。既に永遠の命を持っている存在だという事です。他の言い方をするなら『永遠からやって来て、又永遠に帰って行く存在』という意味です。

悟りを開くという意味は、こういった者との出会いに拠って、自ずからが求めていた永遠の命の保持者であった事を、実感する体験という意味です。

この体験によって『生死の問題が解決する。』と表現しています。

死の恐怖に怯えて暮らすという意味は、この右脳(仏性)の救いの手を自分で振り払っていた事を意味します。是が心の矛盾の正体です。自分の命の源と争っている事を意味するために大変苦しい思いが続くという事を意味します。

神経症の場合では、症状の如何を問わず、大変に苦しい思いが続きます、その理由は今書いた事が原因になっているからです。

従って症状別な治療方法を説く場合もある様ですが、治療方法は同じです。症状を受け入れる事が完治する事を意味します。現実を受け入れるという意味ですが、禅を学んで、禅問答を解く事がお勧めですが、自分は何者か?とか、人間は如何して苦しまなくてはいけないのか?と自問自答する事も良いのかも知れません。

禅の究極な答えは『そういった疑問を抱く時、答えはその疑問の中に既に用意されている。』と云われているからです。ヒントは『お前は何故にそう思うのか?』と言う訳です。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
右脳は<この無意識の意識は、自分の命そのものを司っている意識>に関係しているのですね。
<人間が命を愛おしむ時、同時に永遠の命を希求するようですが、この事と関係しています。右脳の機能は永遠の理解者という事です。>なのですね。
禅によって<悟りを開くという意味は、こういった者との出会いに拠って、自ずからが求めていた永遠の命の保持者であった事を、実感する体験という意味です。>なのですね。
以上について私も分かったよ、とは言えませんが、西洋人も同様なのでしょうね。

お礼日時:2024/02/05 18:16

仏教と禅の関係性を説明すると分かり易いと思いますので、仏教全般を先に書いて、それから禅の説明をしたいと思います。



とは言っても私は、仏教に付いては素人同然ですので、ありきたりの説明しか出来ません。ですが簡単に仏教を云い表すならば、釈迦が辿り着いた『絶対の幸福』をお経などで教える事を、『基本にした言葉に拠る釈迦の教え』と云った方が良いのかも知れません。

その語り口たるや、7千巻もあるお経が証明しています。

処が禅には教えられる教えが無いと云われていますが、仏教の極意に手が届かない様な愚鈍な人間だとしても、気付く事が出来るような工夫がして在って、誰でもが『釈迦の悟りを体現できると云ったカラクリが仕掛けられているようです。

このカラクリが西洋文化とは相いれる事が出来ない事によって、西洋人には神秘主義に見えるのだと思います。

ドイツの哲学者が日本に来て禅を学ぼうと来日したようです。処が禅を説明しようとしても、理解出来る筈など無いとの判断で、弓道の師匠に会う様にセッテングしたようです。そうしたら夜になったら来て下さいとの事で、暗くなってから、行った様です。

弓の師匠は、真っ暗な闇の中で、一本の線香を立てて、矢を2本射たそうです、的がほとんど見えない中でです。一本目の矢が的の中心当たっていて、二本目の矢が一本目の矢を割ってその矢の中に入っていたようです。

弓の師匠は、「先に当たった甲矢は大した事がない。数十年馴染んでいる垜(あづち)だから的がどこにあるか知っていたと思うでしょう、しかし、甲矢に当たった乙矢・・・これをどう考えられますか」

それが禅だと云わんばかりです。この弓は『私が射たものでは無くて、それが射たのです。』と云ったという事です。

こう云った内容が禅を物語っていますが、禅の中の禅問答と云うものも良く禅を示しています。

釈迦の教え以外の教えという意味で『教外別伝』が禅の別名です。それは釈迦の悟りを直接手から手に手渡しで教えて来たという意味がある様です。

神秘主義と云った意味は、理解出来ないものと云った趣があります。それは誰の感覚と云っても良いのかも知れません。自分が理解出来ないという事で神秘に満ちているからです。

悟りを開いた経験から、釈迦自身も『人に話をした処で、誰も理解出来ないだろうから、黙っていよう』とした話は有名です。』

人間の脳の構造をウイキぺデアの記事で紹介して、人間の心(脳内)には二つの人格が存在している事を始めに書いて、その説明もしたいと思います。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。”

処が大抵の人は、今の話を信用出来ないのかも知れません。処が左脳の人格は『自我意識です。』右脳にも意識があるのは、ロジャースペリー博士の 分離脳の研究成果でノーベル賞迄ももらっている事実があります。

もう一つ証拠があります。脳科学者が脳卒中になってしまって、右脳の自分と左脳の自分を語っているものです。

見て下さい、その後にもう少し説明したいと思います。



釈迦の主張は『一切衆生悉有仏性です。』この意味は人間の脳内には仏性が存在している、という意味ですが、それを簡単に説明するなら、赤ん坊としての説明が分かり易いと思います。

赤ん坊は、『何も学ぶ以前から、全てを知っている事』を指摘出来ます。生命活動の全てを知った状態で、正常に働かせている事です。

そして思春期頃に、人間の脳は左右の脳の機能分化が完成に近くなるようです。そのころから精神疾患が増えて来るようです。

処が今の精神医学では、精神疾患の原因とか兆候でさえも掴む事が出来ないでいる様に見えていますが、聖書にはこう書いてあるようです、知恵のリンゴを食べた事によって、人間の苦しみが派に待った!と。実は脳の機能分化が完成に近づいた事によって、心が二つの別れてしまって、争うようになったtと解釈出来ます。

つまり見ている自分と、見られている自分と云う風にです。それで『イチジクの葉が必要になった。』と云っています。

それからあらゆる事に疑問が湧き始める様です。自分は何者か?何処から来て何処に帰って行くのか?自分は何のために生きているのか?

考え始めたら限、際限なく疑問が湧くようになります。又悩みも生じています。この脳内の活発な活動を敏感に感じ取った人が『釈迦だった』という事になる様です。

余り書くと長ったらしくなりますので、簡潔に書いて終わりにしたいと思います。

右脳の意識は『仏性』という事になります。悟りを開くという意味は『脳梁の中で左右の脳にホットラインが通じる。』という意味です。

今までは合い争っていた二つの意識が、争う必要がなくなったという意味です。この状態は『心の中が大変な静寂に包まれて静まり返った状態』という意味です。涅槃寂静という意味です。

左脳の働きは、おそらく説明する必要はないのかも知れませんが、一言書いてみます。この脳は大変分別する機能で出来ているようです。その代表格は言葉を話す事で理解出来ます。

言葉の意味は、物事を理屈とか理論で割って、言葉に紡ぎだしているという意味があります。言い替えるなら有限しか理解出来ない機能という意味があります。

それに引き換え、右脳は言葉を持っていないと云った特徴で出来ています。言葉を使えないという意味ですが、是は右脳の機能の特徴です。云い方を替えるなら、割り切れる事を理解出来ないという意味でもあります。

早い話が、有限の話以外が専門という意味です。有限以外という意味は無限とか永遠を理解出来ていると云う意味です。

禅などの話に出てくる話です、その内容を口に出来ない例えに『オシが夢を見たようなもの』が在ります。

また禅での悟りを開いた証に、『生死の問題が解決した。』というものが在ります。生死の問題が解決したと云う話を哲学者がしたものに『絶対矛盾の自己同一』というものが在ります。

この事だを解説すると、『自身の死にたくない気持ち』VS自分が死ぬ事は確実にある事』と云った矛盾が、心の中で折り合うという意味です。

言い替えるえるなら、死にたくないと思っている自我意識が、永遠の存在である自分の右脳の意識=『仏性』と出会う事によってお互いには折り合える筈の無いと云った心の矛盾が、もう既に永遠の命を持っていたと確信出来る事を意味します。

脳梁の中での出会いで、ホットラインを開通させた事によって、二度と争う事が無くなった状態になった事で、死によっても壊される事が無いと云った安心感を確立された状態=生死の問題が解決したと云っているようです。

何によっても、それが例え自分の死であったとしても、壊す事が出来ない多幸感が『悟りの中に存在している事』を、釈迦は教外別伝と云った『禅』の中で伝えているようです。

右脳は利害得失などとは無関係な機能で出来ているからです。右脳の自分になたなら、人間の抱えている不幸は全て引き受けてくれる機能で出来ています。

死に往く人が満面の笑顔を湛えて逝く場合では、脳内のホットラインが完ぺきなまでに開通しているからだと『禅は教えています。』
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
禅には<『釈迦の悟りを体現できると云ったカラクリが仕掛けられている>のですね。
<このカラクリが西洋文化とは相いれる事が出来ない事によって、西洋人には神秘主義に見えるのだ>なのですね。
ところで、カラクリが分からなくとも、私の場合は神秘主義とは思えません。大いなるものと触れる、という感じが湧いたら神秘主義と信じるでしょう。

お礼日時:2024/02/03 18:00

西洋哲学を見れば判ると思いますが


理詰めです。

つまり理論で説明します。

これが欧米キリスト教文化圏の
思考方法です。

しかし、禅は、理論ではありません。

直観です。

つまり、 言語や記号による論理的思考に
よらないで成立する直接の了解が
禅です。

だから、神秘主義だ、というのでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
禅は、理論や理詰めによらず
<言語や記号による論理的思考に
よらないで成立する直接の了解>とみられているのですね。

お礼日時:2024/02/02 10:58

たとえば


自殺ということでも
理解できない国があります

悩んでもなぜ死ぬのか

心中と言えば
日本人なら
頭の中では理解はできますが
なぜ好き同士が死ぬのか
これも理解できない国があります

まあ
海外でも理解できる人もいるでしょうが
やはり
文化の違い、風土の違いで
理解できないことがあるのですね

そういう意味でも
こと宗教となると
禅宗というのは
なんなのか
理解するのはむずかしいかもしれません
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<文化の違い、風土の違いで
理解できないこと>が、神秘主義としてみられるのですね。

お礼日時:2024/02/02 10:53

心静かに座っているだけで、心の浄化だけではなく神仏の真理に至るというところが、科学では判断できないからですかね。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<科学では判断できない>ものは、神秘主義にいれられるのですね。

お礼日時:2024/02/02 10:49

欧米人にも禅は20世紀後半から浸透し始め、特にキリスト教に幻滅した人々の中に禅にハマる人が続出している。

代表的な有名人ではジョン・レノンもその一人だ。

ヒトは、他人が讃えていても理解できないモノには、うさん臭さを感じて怪しいモノに位置付けてしまう。とはいえ何やら凄そうなので「神秘主義」という高尚そうなレッテルを貼って自分からは遠ざけ、自分では実践しようとしない。

欧米人にとっては、ここ70~80年前からの話ですが、日本では中世の頃から禅は隆盛を誇っていました。とはいえ、日本人の多くも禅とは無縁の人が多いでしょう。そういう日本人から観ても、禅はやはり神秘的に見える人も多いのではないでしょうか。
禅を神秘的に感じる欧米人がいても何の不思議もありません。上記の日本の状況を考えれば等z年のことで、それはそれだけ禅が彼らの社会に目立ち始めたという実態の反映でしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<怪しいモノに位置付けてしまう。とはいえ何やら凄そうなので「神秘主義」と>なのですね。日本でも。

お礼日時:2024/02/02 10:49

座禅、何も考えない、「ではそうしよう」次の瞬間ケイサクが飛んできます


言って、ナンボの欧米人には理解できないだけです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<言って、ナンボの欧米人には理解できない>ので、神秘主義に分類したのですね。

お礼日時:2024/02/01 20:46

自己研鑽(修行)によって悟りが開けるってのが、神秘主義の儀式や苦行により神に通じれるとか、近づこうとするっていう部分とシンクロして

るように感じるんじゃないですかね
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<自己研鑽(修行)によって悟りが開ける>というところですね。

お礼日時:2024/02/01 20:43

> …と解釈されているそうですが、なぜでしょうか?


「解釈されている」という情報源を探ればよいと思います。

あなたが得た情報は、あなたにしかわからない、はずです。
他人に聞かれても、困ります。
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2024/02/01 20:46

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