アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

神仏習合というのは、どちらかというと仏教の方が主体なんですか?

A 回答 (6件)

仏教が入って来た当初は仏教優位でした。



何しろ、神道なんてのは、自然発生した
素朴な宗教で、先祖や自然を敬えば
それでOKという宗教でした。
だから、教義も経典もありません。

宗教というよりも、民族の宗教的
感情といったアニミズムに近い宗教でした。

そこへ、創世宗教である仏教が
入って来ました。
仏教は、教祖が人工的に作った宗教ですから
教義や経典がしっかりしており
布教に便利です。

それで、当然のことながら仏教優位に
なりました。


その後、江戸時代になると、日本の独自性が
強く主張されるようになり
神道が優位になります。

そして、明治維新になると、列強がキリスト教を
利用しているのに倣い、天皇の宗教だ、という
ことで、明治政府は露骨な神道優位政策を採る
ようになりました。
廃仏毀釈がその例です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2024/02/05 15:29

「主体」というのは誰の視点で見るかによって違います。


・仏教を伝来させて中央集権化に利用した当時の朝廷からみれば「仏教が主体」
・仏教なんて知らない時代から、土着信仰を行ってきた庶民からみれば「神道が主体」です。

この話の根本にあるのが「外来宗教の土着化」という現象です。
たとえばキリスト教はカソリック・プロテスタント・正教会などに分離していますが、これもその地域が持っている元々の価値感と習合していったからです。

たとえば息子と母親の結びつきが元々強かったラテン人が多い南ヨーロッパではマリア信仰が盛んになったのに、ゲルマン人が主体の北ヨーロッパでは「マリアは人間」で信仰対象にならない、というようなことです。

日本の神仏習合は、すでに奈良時代から平安時代にみられるようになっていきますが、これは「国家仏教を受容し、貴族や庶民が受け入れやすい形を模索するうえで、神道的な要素と習合していった」過程であるといえます。

このような動きを
仏教を国教にしたい政府側からみれば「仏教を受容していく過程」が神仏習合なので仏教主体
仏教を押し付けられて、管理される地方や庶民の側からみれば「神宮寺」などで「神社の中に寺を作って許容する」という形で受け入れたので、神が主体です。
    • good
    • 0

古代に、神道より優れた思想であり、当時の最先端技術の知識も含まれていた仏教が伝来したが、自然だけではなく先祖を祀る神道を捨てることはできなかったので神仏習合ということにした。

つまり、神仏習合とは伝統的な神道と先端知識&技術の両方を共存させるための苦肉の策だった。
社会的には先端知識&技術が重要なので当然仏教の方が主となった。
※戦国時代のキリスト教は西欧の先端知識&技術とともにやってきたが、古代における仏教も同じで中国の先端知識&技術と仏教は一体化されていた。

しかし、実際には仏教のほうが徐々に神道の影響を受け、神道化して行ったため、仏教は他国とは違った発展を遂げていくことになる。念仏を唱えるだけで極楽往生を遂げることが出来るなんて、ある意味こんないい加減な神道風の仏教なんて他国には存在しない。

それを考えてみれば、下風に立っていたはずの神道の方が実は上に立っていたと考えることも可能だろう。
    • good
    • 0

日本に仏教が到来した当初は「仏教が主、神道が従」


であり、平安時代には神前での読経や、神に菩薩号を付ける行為なども多くなった。日本で「仏、菩薩が仮に神の姿となった」とし、仏教を援護しました
だって偉い坊さんを中国から来てもらうんですもの
仏教の戒律で国を治めようとしたからです。
    • good
    • 0

神が先か仏が先かの話しです



天照大神や日本が日本と名乗るころまで

遡る話しです


どっかの神社が始まりだとか
    • good
    • 0

関係無い思う、元はどっちかという話。

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A