
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
鉄砲と弓、馬術は水準以上であったかと。
いわゆる免許皆伝に相当する許しを受けた流派は
・弓術(竹林派) ・馬術(大坪流、八条流) ・太刀、薙刀(新当流) ・砲術(鉄砲)(稲富流)
と、多岐にわたります。剣術については後の柳生新陰流・柳生宗矩との関係で重視していたように見えますが、太平の時代に護身のために役に立つ武術と言えば剣術であるわけで、それを見越した剣術奨励という側面もあるように思われます。
ただ、呑気に免許皆伝を受けたりしているということは大将として必須の技能教養としての武術修行だったということでもあり、戦場で勝てる武術だったかというと疑問なしとはしません。仮定の話ですが、青年期壮年期に「槍の又左」こと前田利家と戦ったら槍のサビにされたかもしれません。戦国大名で武術の達人として知られる人物はほとんどいないのですが、家康もその例から外れることはないようです。
実際に家康が戦場で戦った逸話を探しますと、「神君自ら鉄砲を放たせたまひ」と、金ケ崎の撤退で羽柴勢を援護したときに自ら鉄砲を撃っていたという話が残っていたりします。また、三方原からの撤退時には騎射で敵を倒して突破していたといいます。弓、鉄砲と馬術は水準を超えていたと言ってよいでしょう。一方、槍はさほどでもないようですし、剣術をよく学んでいましたが戦場で使うことはなかったようです。
という次第で、戦場で頼る武術は鉄砲と騎射弓術、個人的に趣味としていたのは剣術、というところかと。
No.3
- 回答日時:
身を守る為に、武術の基本的な事は習得していたでしょうが、
戦場に出る事が殿様には必要の無い事柄です。
必要なのは頭脳を使って配下の武将を動かす知恵なので、人心掌握術
を学んでいたと思います。
得意技は外交に於ける腹芸でしょう。
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