プロが教えるわが家の防犯対策術!

日本史に関する質問です。ここでは戦国時代にまつわるものとします。
江戸幕府を創立した徳川家康公ですが、家康公はどの武術を得意としていたのでしょうか?
あの頃の時代だと剣術・弓術・槍術とかがあったりしますが、どれを最も得意としていたのでしょうか?

A 回答 (5件)

鉄砲と弓、馬術は水準以上であったかと。


いわゆる免許皆伝に相当する許しを受けた流派は
・弓術(竹林派) ・馬術(大坪流、八条流) ・太刀、薙刀(新当流) ・砲術(鉄砲)(稲富流)
と、多岐にわたります。剣術については後の柳生新陰流・柳生宗矩との関係で重視していたように見えますが、太平の時代に護身のために役に立つ武術と言えば剣術であるわけで、それを見越した剣術奨励という側面もあるように思われます。

ただ、呑気に免許皆伝を受けたりしているということは大将として必須の技能教養としての武術修行だったということでもあり、戦場で勝てる武術だったかというと疑問なしとはしません。仮定の話ですが、青年期壮年期に「槍の又左」こと前田利家と戦ったら槍のサビにされたかもしれません。戦国大名で武術の達人として知られる人物はほとんどいないのですが、家康もその例から外れることはないようです。

実際に家康が戦場で戦った逸話を探しますと、「神君自ら鉄砲を放たせたまひ」と、金ケ崎の撤退で羽柴勢を援護したときに自ら鉄砲を撃っていたという話が残っていたりします。また、三方原からの撤退時には騎射で敵を倒して突破していたといいます。弓、鉄砲と馬術は水準を超えていたと言ってよいでしょう。一方、槍はさほどでもないようですし、剣術をよく学んでいましたが戦場で使うことはなかったようです。

という次第で、戦場で頼る武術は鉄砲と騎射弓術、個人的に趣味としていたのは剣術、というところかと。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

もっとも興味深く、詳細に触れてる感がするので、貴方様の回答をベストアンサーとさせていただきます。どうも、有難う御座いました。

お礼日時:2024/02/24 06:18

「東海一の弓取り」と呼ばれていた事で有名です。

    • good
    • 0

身を守る為に、武術の基本的な事は習得していたでしょうが、


戦場に出る事が殿様には必要の無い事柄です。
必要なのは頭脳を使って配下の武将を動かす知恵なので、人心掌握術
を学んでいたと思います。
得意技は外交に於ける腹芸でしょう。
    • good
    • 0

泣き落としでしょ。



大河ドラマで確信した。
    • good
    • 0

鷹狩りが趣味ですから、弓、または鉄砲。


大将は馬にのりますから、槍は使いにくいでしょう。
剣術は、稽古はしても、実戦で使ってる様子はないです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

その分だと、流鏑馬(やぶさめ)の訓練みたいな事とかもやっていたでしょうね。
鉄砲については、信長公からの影響が強いですね。

お礼日時:2024/02/23 17:18

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A