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なぜ日本は敗戦後分断されなかったんですか?
それでなぜ本土じゃなくて朝鮮半島が分断されることになったんですか?

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A 回答 (11件中1~10件)

分断されました!ロシアに樺太(サハリン)はとられたし、北方領土(択捉島、国後島、色丹島、歯舞島)も返還されていないことを忘れずに。

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天皇の存在を認め、分断せずまるごと統治がベストの形とアメリカが主張。


アメリカが責任を持って民主主義の国にすると宣言。マッカーサーが、軍隊を送るか食料を送るかの二択を迫った。産業復興も、日本が輸出するなら、アメリカが全部買ってやるモード。結果、食料自給率の低さと、工業製品の輸出大国化。

朝鮮やベトナムは代理戦争。アメリカやソ連が背後で煽ってはいるが、あくまでも戦争の当事者(主役)はその国の国民であり、内乱の形だから、国を二つに割れるのが、一つの終戦の形だった。
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>なぜ日本は敗戦後分断されなかったんですか?



ソ連の北海道侵攻計画はあったのですが、以下のような背景があります。
①ソ連は、日本の武装解除後に樺太、千島を侵略したが、占守島において樋口季一郎中将隷下の諸部隊が反撃した。これにより、ソ連は北海道侵攻の時期を逃した。
②ソ連は北海道侵攻計画の了承を米国に求めたが、トルーマン米大統領、マッカーサーが拒否した。

要は、大枠では、ソ連が「日本統治に俺たちも一枚噛ませろよ」とアメリカに打診したけど、アメリカは「何、馬鹿を抜かしてんだ。引っ込んでろ」と断わり、帝国陸軍もソ連に抵抗したことで、密約で約束した千島、樺太以上のものをロシアは取れなかったのです。
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日本は敗戦後分断されなかった→日本じゃなくて朝鮮半島が分断というつながりの話しではなく、分割は別の話。


Wikiの「朝鮮戦争」の項目で、分かりやすく簡潔に記載されてます
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE …
・1943年11月に、連合国はカイロ宣言において、朝鮮半島一帯を、大戦終結後は自由独立の国とすることを発表した。
・1945年2月に開催されたヤルタ会談の極東秘密協定にて米英中ソ四ヶ国による朝鮮の信託統治が合意された
・1945年4月12日に大統領に昇格したハリー・S・トルーマンの反共主義の下で、ソ連軍に朝鮮半島全体が掌握されることを恐れ、ソ連に対し朝鮮半島の南北分割占領を提案。ソ連はこの提案を受け入れ、朝鮮半島は北緯38度線を境に北部をソ連軍、南部をアメリカ軍に分割占領された。
・1945年8月15日に日本はポツダム宣言を受諾し連合国に降伏、朝鮮は解放された。
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イギリスはかなり国力が疲弊していましたので、日本を統治するほどの力がありませんでした。

中国は内輪もめの真っ最中でそれどころじゃない。ソ連はその気はあったのですが、占守の戦いで手痛い反撃を受け、既成事実をつくることに失敗した挙句アメリカにどやしつけられて断念しています。無理押しは可能だったかもしれませんが、十分な渡洋侵攻能力がなかったのも事実ですので断念せざるを得なかった。これが充分にあったのであれば北海道あたりまで占領し、その後分割統治というかたちにされたかもしれません。
 転じて朝鮮半島は、ソ連からは陸続きであるため容易に朝鮮半島北部にまで進出してきましたが、アメリカのトルーマンが反共だったことからそれ以上の進出を認めず、真ん中あたりで分割したというかたちです。その後に中が国共内戦を片付けてソ連とともにアメリカに対抗、朝鮮戦争につながります。ここで中露が推す北が勝っていれば分割はなかった。
 要は米ソ中の力が拮抗した場合は分割、日本はそうでなかったってことではないですかね。
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見当はずれの回答ばかりですが、実際、戦後の日本は、米国、英国、中華民国、ソ連が分割して統治することが、4カ国の間では合意されていました。

 ところが、英国は戦争の痛手による経済の低迷が著しく、とても日本統治に避ける力が無いと言うことで脱落しました。 また、中華民国(国民党)は共産党との内戦のため、やはり日本への進駐統治をギブアップしました。 ソ連は日本統治に意欲を持っていましたが、英・中が外れた後、日本を将来のアジア・中東地域に影響を行使する為の橋頭保にすることをもくろんでいた米国は、ソ連を日本統治に参加させることを嫌い、ソ連を日本統治から外して、米国単独で日本統治をおこなうことを決めてしまいました。 ソ連も米国と武力衝突を引き起こしてまで強硬に日本統治に加わるだけの力も無く、結局米国の単独統治と言うことになったのが、歴史上の事実です。 

朝鮮半島は、第二次世界大戦が日本の降伏によって終結したことにより、日本の植民地支配から解放されました。 しかし、朝鮮には統一された政府が存在しなかったため、国際社会がその将来を決定する必要がありました。
米国とソ連は、戦後の朝鮮の管理について協議し、38度線を境に南をアメリカ、北をソ連がそれぞれ管理することになりました。 これにより、朝鮮半島は実質的に二つの支配地域に分割されました。 一方、第二次世界大戦後すぐに始まった冷戦により、米ソの対立が激化しました。 これにより、朝鮮半島も冷戦の一部として二つの異なるイデオロギー(資本主義と共産主義)の戦場となりました。 その結果、1948年には、南にはアメリカの支援を受けた大韓民国(韓国)、北にはソ連の支援を受けた朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がそれぞれ成立するに至ったのです。 これにより、正式に二つの独立した国家が朝鮮半島に存在することになりました。
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8月15日以降に、ソ連に火事場泥棒させないとして、樺太と千島列島


の日本軍との間で戦いが有りました、大本営の命令を無視して、
軍規違反の処罰覚悟の上でした。
その為に、ソ連軍は上陸が遅れました、その間に米軍の体制が整い
ソ連軍は、北海道に進軍出来なくなったのです、その後は、
ダグラス・マッカサー元帥の尽力により、ソ連が北海道、英国が四国、
九州は中華民国、残りは米国の分割統治案が無くなりました。
ソ連軍が北海道を占領していたら、分割統治案は実行されていたと
思います。
樺太で戦った日本兵はシベリアに連れて行かれ辛酸な目に遭いました。
千島列島で戦った、十一戦車連隊を始め多くの兵隊が戦死しました。

現在、北海道富良野に駐屯している第2戦車隊の戦車には「士魂」の
文字が書かれていて、十一戦車連隊の魂が受け継がれています。
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米英との講和斡旋を頼んでいたソ連が、日本との条約を破って、満州・樺太と千島列島最北端の占守島に侵攻を開始したことに、日本政府がポツダム宣言の受諾を決意し、迅速に米英に伝えたからです。



ソ連との戦いは8月15日を過ぎてからも各地で激戦が続きましたが、特に樺太と占守島の守備隊がソ連軍の侵攻を食い止めている間に、千島列島を除く北海道全域に米軍が進出しました。

8月15日以降のソ連軍は、日本軍が降伏したのですから、日本軍を武装解除しつつ軍を進めても良かったはずですが、北海道奪取を狙ったスターリンは、それでは米軍に先を越されることが確実なので、一気に攻撃しまくって日本軍を粉砕しつつ北海道まで行った方が速いと考えたようです。

しかし、特にポツダム宣言受諾後の8月17日にソ連軍の攻撃を受けた占守島では、異変を感じた司令部が、民間人を北海道に逃がすと同時に、断固とした反撃を前線部隊に命じ、上陸してきたソ連軍を海に負い落とす勢いで反撃を成功させてしまいました。

日本が分断されなかったのは、様々な悲劇を生みつつも、上記のようにソ連軍と必死に戦った軍人・警備隊とそれを支援した民間人の献身的な行動があったからでしょう。

朝鮮半島の分断に関しては、その責任があるとすれば、独立の絶好のチャンスで団結できなかった朝鮮人・韓国人自身の責任が一義的には最も大きいでしょう。
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戦争が終わったのは9月2日で、この日に米戦艦ミズーリ号上で降伏文書の調印式が行われています。


8月15日は戦闘を停止した日(停戦、又は休戦の日)です。

1945年2月に開催されたヤルタ会談でソ連の対日参戦が決まっていたため、ソ連は8月8日に満州国や樺太、千島列島に侵攻を開始し、休戦となった8月15日以降も侵攻を続け、北方領土の占領が終わったのは9月上旬です。

ソ連はあわよくば北海道を占領したかったのでしょうが、9月2日に日本の無条件降伏が確定したため、ソ連は日本から締め出されています。日本と戦ったのはアメリカですので、当然と言えば当然の結果だと思います。

朝鮮半島はソ連が侵攻したため、アメリカとソ連で分け合っています。アメリカがソ連の好きなようにはさせなかったからで、これは原爆投下を決めたトルーマン大統領の功績が大きいと思います。
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冷戦の賜物です。


大戦末期から冷戦が始まっていましたが、ルーズベルトはそれを認めたくなかったのでスターリンに融和的でしたが、後任のトルーマンは現実を直視したので、日本本土はアメリカの単独占領を押し通したのです。
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