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韓国が2000年ほどのあいだ中国の属国だったとよくネットで言われていますが、ソースはあるのですか?

A 回答 (10件)

 短く言えるのに気づきました。


1。韓国(大韓民国)は建国以来、53年間中国の属国には一度もなっていません。

2。アジアで2000年続いた政府はありません。

3。2000年前、東アジアで文字があったのは後漢だけですから、それ以外の地域についての記録は当時の後漢の「書き言葉」しか残っていません。ですからそれ以外の地域、例えば東の無文字文化(=東夷=今の北朝鮮、韓国、日本など)は自己主張の文献を残していません。まあ文字のあったただ一つの文化に都合のいいことだけ残っているという事です。

 ネットでお読みになったものはあまり信用できないようですね。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF% …
とりあえず、東アジアの中国中心の物の見方では、「独立国」というのは存在しない。
朝鮮の王朝の王が、中国の皇帝の外臣として朝鮮を統治している。
というスタンス。
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 はい、あります。

朝鮮半島の人が著わした歴史書、それも正史(為政者が認めた正式の歴史書)にも、中国の歴史書にもたくさんあります。
 中国の属国というのは、中国に対して「中国様の子分になります。中国様を親と思います。貢物を差し上げますから子分にしてください。よろしくお願いします。そのかわり、いざ何かうちの国が大変な事になった時は助けてくださいまし。」、それに対して中国が「子分になりたいか?おう、よしよし。子分にしてやろう。○○○○王という称号をやろう。どうだ、立派な称号だろうが?中国皇帝を親と思って、また貢物を持って来いよ。」ということです。
 2000年以上前紀元前から、朝鮮半島の付け根から半分(3分の2近く)にかけては漢が「漢の四郡」というのを置いて、直轄統治をしていました。中国による朝鮮総督府が4つあったような感じです。属国どころか中国領でした。
 朝鮮半島に現存する最古の歴史書として韓国人が誇らしく語る歴史書『三国史記』(朝鮮の人が書いた正史です)で見てみましょう。中国へ朝貢した記録はいっぱいあって書き切れませんので、一部です。
・ 高句麗、第3代の大武神王(在位18年~44年)が後漢に朝貢を持って行ってます。
 『三国史記』巻十五高句麗本紀第三
   七十二年冬十月 遣使入漢朝貢(使いを遣わせて漢に朝貢に入った という事ですね。)
  この時、漢から「王」の称号をもらってます。その前の王が「侯」という1段低い称号だったのに比べると、漢の皇帝から気に入られたようです。
  この王のことは最近、韓流時代劇ドラマになって、日本でもファンミーティングとかが開かれる有名俳優が演じたようです。
・ 高句麗6代王、太祖大王(在位53~146)も、
 『三国史記』巻十五高句麗本紀第三
   五十九年 遣使如漢貢献方物
   七十二年 遣使入漢朝貢
・ 広開土王も、燕へ朝貢しています。
 『三国史記』巻十八高句麗本紀第六
   九年春正月 王遣使入燕朝貢
  広開土王は、ヨン様が演じてNHKで放送されましたね。
・ ヨン様の長男、長寿王(在位413~491)は、『三国史記』に朝貢と記載されてるだけで47回中国に朝貢しています。
  遣使入魏朝貢 とか。魏だけでなく、宋、南斎にも。
  1年に2回、3回朝貢してる年もあり、12月に死んだんですが死ぬ直前の9月にも朝貢してます。
 書き切れないので百済行きましょう。
・ 百済13代、近肖古王(在位346~375)は、東晋に朝貢をして、鎮東将軍領楽浪太守という称号をもらってます。
 『三国史記』百済本紀第二
   二十七年 春正月遣使入晋朝貢
   二十八年 春二月遣使入晋朝貢
・ その次の百済14代近仇首王も、
   五年 春三月遣使朝晋
・ その次の百済15代枕流王も、
   秋七月 遣使入晋朝貢
 書き切れないので新羅行こうかと思いましたが、
・ 百済30代武王(在位600~641)も、隋と唐に、朝貢とはっきり書いてあるのだけで9回朝貢してます。
  この王を主人公にした時代劇も数年前作られて、主役俳優が日本で大人気になりました。
・ 新羅も23代法興王(在位514~540)が、梁、北斎、陳へ計7回朝貢してます。
 『三国史記』巻四
   八年 遣使於梁貢方物
   二十五年春二月 遣使北斎朝貢
   二十八年春 遣使於陳貢方物  あとの4回は略。
 新羅は、中国べったりでした。べったり度具合は『三国史記』にも書いてあります。ものすごい数朝貢して気に入ってもらって結局、百済を攻めるのに唐に「お力を貸してください。」と言って唐から大軍を派遣してもらいました。そして、唐新羅連合軍が百済と百済を助けに行った倭の軍を破ります。捕まった倭の兵は皆中国へ売られたらしいです。
 新羅の次の高麗も中国へ朝貢します。次の李氏朝鮮もです。高麗と朝鮮では、中国へ朝貢品として毎年2~3000人の女を送っていました。人間も朝貢品だったんです。その女(若い女)を選ぶ為にわざわざ、専門の省庁まで作りました。
 高麗後期には元に忠誠を誓っている事を示す為に、元の皇女様を王子の妻にし、結婚しても元の皇宮で暮らし、子も元で教育させました。王子も孫も中国の人質なわけです。
 朝鮮でも、誰が次の王になるかは中国の許可が必要でした。自国の王を自国で決められませんでした。それで独立国ですか?
 韓流時代劇でも「中国が許可を出してくれるだろうか?」と気をもむシーンが出て来ます。李朝最後の王、高宗の時も、高宗の側室の子を次の王にしたい派と自分の子を次の王にしたい正妃派が中国にワイロを渡したりする話が出て来ます。
 そもそも朝鮮という国名も、李成桂が中国に御うかがいを立てて決めてもらった国名です。これも『李朝実録』に書いてあります。
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 朝鮮史を短く纏めたものには下記があります。


 http://homepage1.nifty.com/tuty/korea_history.htm
 ご質問の時期は、下記のように漢の武帝によって古朝鮮が滅び、楽浪郡が中国の出先機関としておかれた時にあたりますが、その属国管理を行う役所がいまの北朝鮮の平壌(ピョンヤン)付近にあったという説、いや中国の遼東半島にあったという説などがあります。 
 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%9C%9D%E9%AE%AE …
 井上秀雄の『古代朝鮮』によると前82年に真番、臨屯両郡(いずれも中国の支配下)が廃止され、このような消滅は、『魏志』東夷伝は、「この地方の住民が郡県の支配を嫌って抵抗したためであるとしている」とあります。(p.36)

 でご質問ですが、
1。韓国は、1948年にできた大韓民国の通称です。それ以前には存在しません。2000年前の半島には李基文の言う、高句麗、沃沮、穢(さんずいに歳)、辰韓、弁韓、馬韓、の各語があった(『三国史東夷伝』ca289AD)かもっと複雑であったと思われ、現在のように新羅系の朝鮮語一語に統一される遥か前の事です。中国も漢、魏、唐、などと一つの纏まりではありません。

2。上のように今から2000年前には、時の中国(後漢=中国の東漢)に半島の一部が加えられていますが、下記の地図のように朝鮮半島の付け根のほんの一部で、しかも可成り苦労してやっとつなぎ止めたらしい経緯は上に述べた通りです。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2

3。ですから、属国と言いたい人にも、属国でないと言いたい人にも理屈は通る、という「歴史」よりは「信仰」の分野だと思います。

4。2000年にわたって朝鮮半島の全貌が分かるソースは、無いと思います。
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高句麗は朝鮮民族ではありません。



また、日本国国王についても解釈が間違っているか、外交姿勢に於いて、曖昧な記載が見受けられます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
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「独立国」とか「服属国」とかの定義が曖昧なところがあるので、2000年以上なのかどうなのかはどちらともいえないのではないでしょうか。



2001年5月7日に韓国は日本政府に対して、扶桑社の「新しい歴史教科書」の修正要求を突きつけました。
その修正要求の中には

・朝鮮とベトナムは、完全にその内部に入り中国歴代王朝に服従
・日本は中華秩序の外で自由に活動

との記述に対し、

「前近代国際関係を歪曲した記述(当時、冊封と朝貢は儀礼的な外交形態に過ぎず、中国が朝鮮の内政に干渉したことはほとんどなかった)」

というものがありました。

冊封と朝貢は儀礼的な外交形態に過ぎない割には、清の勅使を国王自らが王が王都の郊外に出向き、自ら三跪九叩頭の礼で出迎えておきながら、明治新政府の国書を「勅」の字があるという理由で受け取りを拒否したりしております。
逆に言えば、韓国に言わせると同じように歴代中国王朝に朝貢していた琉球国は中国の属国ではなく独立国だったということなんですかね?

それと、

「朝鮮と比べて日本は「自主独立国」であったように記述しているが、17世紀までは日本は中華秩序の中に存在した事実は未記述」

という修正要求もありました。

どうやら韓国に言わせれば日本は千年以上中国の属国だったということみたいです。
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> 高句麗と呼ばれる時代に朝鮮は一旦中国から独立したのでしょうか?


> 歴史馬鹿ですみません・・・。

独立した、というよりも、中国内部の混乱で地方が好き勝手やれた時期があった、というのが事実に近いです。
高句麗は三国時代の国ですが、朝鮮半島を占領しに来た北部の遊牧民族の国であり、朝鮮半島の統一には成功していません。

朝鮮半島を統一した王朝は、
 新羅
 高麗
 李氏朝鮮
の3王朝です。新羅の統一以前は統一王朝はありませんでした。また、新羅と高麗の間には短い非統一時代がありますが、数十年なので無視します。

紀元前2世紀ころから3世紀初頭までまでの漢の領土になっていました。楽浪郡など4郡であり、邪馬台国の卑弥呼もここを通じて交易をしていました。これは晋の時、中国内部の内乱により高句麗により滅ぼされます。
その後、三国時代で百済、高句麗、新羅が争い、結局新羅が統一します。
この新羅ですが、中国が統一され力をつけた唐の時代(7世紀)には自ら大唐国新羅郡と名乗るなど、属国化しています。

高麗は新羅を滅ぼして成立した王朝ですが、成立した時期の中国は内乱状態(5代10国)であり、統一した王朝は宋でした。宋はそれほど対外的な力を発揮しなかった王朝ですが、高麗は宋の年号を使うなど、完全な独立を保っていたとは言い難い状況でした。後に従属相手が契丹、女真(金)と変わりましたが、元王朝が台頭してくるとまた独立を模索するようになり、独自の年号を使用し始めます。が、結局は元の属国となります。

その後はご存知の通りかと思います。


改めて歴史を概観すると、朝鮮は基本的には中国その他の属国である時期が圧倒的に長く、そうではない時期は簡単にいえば中国内部の内乱などで支配力が落ちている時期か、朝鮮内部での内乱状態であることが分かると思います。ただ、統一していない時期(新羅以前)があったり、中国以外の国の影響下にあったりと、あたかも朝鮮という国が昔からあって、その国がずっと中国の属国であった、というのは間違いです。
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再度のご質問に対して。


それは「属国」をどういう定義するかによると思います。単に影響下にあったとか、目下に見られていたということで属国であるとするならば、一時期までの東アジアに中国以外の独立国はほとんどないことになります。
私はやはり内政問題(次の王をだれにするというのも内政問題ですね)にまで口を出されたり、意向を無視できない状態であれば、属国と定義していいと思っています。
わざわざ「統一」新羅と書いたのは当然それ以前に統一していない新羅が存在していたからです。その時代朝鮮半島は3つに分かれていました。新羅、百済、高句麗です。ただし高句麗は朝鮮半島北部を版図としていますがそれ以上に大陸に広く版図を持っていました。民族も現在の朝鮮民族よりも女直族(金や清を作った満州族)に近いといわれています。
その後も高句麗の後継は「渤海」として満州地方に蟠踞していました。
元軍の侵攻まで朝鮮が独立を保っていたというよりも、中華帝国の力がそこまで及んでいなかったと考えるほうが自然かもしれません。
19世紀末から20世紀の状況においては「他国の力を借りなければ独立できなかった」というのは事実だと思いますが、それは当時の国際状況であって、はるか昔に至るまでそうだ、と強弁するのは特定の民族を不当に貶めるための悪口の類ですね。
事実を感情で曲げることは恥ずかしいことだと思います。
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2000年は言い過ぎじゃないですかね。

見解の相違もあると思いますが。
統一新羅以前を属国というなら日本(倭)も朝貢していたわけですから属国ということになってしまいますが、これは格差外交(?)ともいえるようなもので辛うじて独立は保たれています。
統一新羅は唐の支援や影響を色濃く受けていますが、私は属国と言うには足りないと思います。
やはり高麗王朝において30年の抵抗の後、1259年に元軍に膝を屈した時から属国と言えると思います。続く李氏朝鮮も完全に属国。何しろ国号「朝鮮」を明の国に選んでもらってるわけですから、こんな「独立国」などあったものではありません。
そして朝鮮は次の清朝に対しても従属してるのは紛れもない事実です。

ですから元軍の侵攻により独立を奪われた1259年から日清戦争終結後の下関条約により、独立が確認される1895年の間、約630年間、中国の属国であったというのは間違いない歴史的事実と考えていいと思います。
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この回答へのお礼

2000年は単なる噂でしょうかね。
それでも1000年近く属国だったと・・・。

「統一新羅」と「高句麗」といわれていた時代は中国の属国ではなかったのですか?
すいません、調べてみても全く理解できません・・・; 歴史馬鹿なのです。。

日本も「倭国」と呼ばれていた時代は中国の属国だったのですか?
聖徳太子が日本を独立させたと聞いたことがありますが、どうなのでしょうか・・・?

朝鮮が中国の属国になったのは、1259年からの一度だけなのでしょうか?
属国にされたり独立したりの歴史なのでしょうか?
よくネットで「朝鮮は他国の助けがなければ一生独立できなかった」とよく言う人がいるので・・・

お礼日時:2011/03/02 12:41

> 韓国が2000年ほどのあいだ中国の属国だったとよくネットで言われていますが、ソースはあるのですか?



多くの中国の史書がソースの一つです。
古くは漢の武帝による楽浪郡の設置から始まり、近年まで途切れることなくどこかの属国でした。

史書を裏付ける物的証拠類も多数残っています。
例えば、最古の大極旗には「大清属国」の4字が大書されていましたし、秀吉の朝鮮出兵の講和条約も当時の中国王朝である明と結ばれています。王が変わる際に朝鮮に使いを出して許可をもらっていました。許可が下りずに別の人間が王になることもありました。
こういった話は属国でなければありえない話だというのは分かると思います。


とはいえ、古代朝鮮は統一されていなかった時期もありますから、すべての国が中国の属国であった、というのは言いすぎです。例えば統一王朝のなかった三国時代(4世紀ころ)には日本側と組んで中国と戦った国(例えば広開土王の碑)があったりします。
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この回答へのお礼

結構奥が深いんですね。
王を決めるのも中国の許可が無いとだめだったんですか・・・酷いですね。

高句麗と呼ばれる時代に朝鮮は一旦中国から独立したのでしょうか?
歴史馬鹿ですみません・・・。

中国が戦った国、というと朝鮮はいくつかの国に分かれていた時期があったのですか??

お礼日時:2011/03/02 12:30

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