電子書籍の厳選無料作品が豊富!

私の父系は1750年代まで武家だったのですが、自害切腹の刑によってその後平民になり、地位を失いました。

この様に武家の地位を失うというのは当時の人々にとって屈辱だったのでしょうか?…

そのせいなのか、私は昔から家系一族の繁栄みたいなことばかりを押し付けられ、高学歴で良い職につかなければならないということを言われてきました。
その原点は、ここにあるのかなと思いました。

当時の人たちの価値観や思想に詳しい方教えて下さい。

A 回答 (7件)

> この様に武家の地位を失うというのは当時の人々にとって屈辱だったのでしょうか?…



武家でなくても、町人や百姓でも、それなりの地位を持っていると思っている一家にとっては、地位を失うのは屈辱でしょう。

> そのせいなのか、私は昔から家系一族の繁栄みたい

個々の家の事情は分かりませんけれども、昭和や平成生まれの人が「家系一族の繁栄みたいなことばかりを押し付けられた」というのは、100年以上も前のこととは全く無関係なことが多いと思います。 単に、祖父母や父母のような方の個人的な思いなのでしょう。 学歴や職にコンプレックスを持つような事情が、祖父母や父母さんの青年期にあったのだと思います。

> 当時の人たちの価値観や思想

18世紀の中半というか、少し前ですが、徳川綱吉が将軍(在職:1680年 - 1709年)だったとき、次のようなことがあったそうです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/rekisi/02ed …
関東郡代として隠然たる勢力を誇っていた伊奈忠利が、職務怠慢という漠然たる理由で、80年に改易となります。
これが、綱吉により処罰を受ける代官の第1号です。処罰に聖域なし、という象徴のような処分だったのでしょう。 これを皮切りに、それまでとは比べものにならないほどに激しい代官粛清の嵐が吹き荒れます。綱吉治世下の29年間に、職務怠慢、公金浮き貸し、行状不良、収賄、年貢滞納等の理由で、改易、流罪、追放、死罪等の処罰を受けた代官は、なんと51名に達っしているのです(うち、切腹5名、斬罪1名)。このうち11名は、本人の責任ではなく、その父祖の代における非違等で処罰されています。
代官の総数は、幕府直轄領の増減や統廃合に応じて絶えず変動するので確定的なことは言えませんが、この当時の代官は全国で60名程度であったと推定されています。したがって、よほど厳しく自分の行動を律していた例外的な人物以外は、すべて処罰されたと見た方が良いでしょう。
処罰理由別に見ると、30名までが本人又は父祖の代における年貢滞納です。
綱吉時代に改易・減封の処分を受けた大名は、実に46家で、関ヶ原の合戦の後の大量処分を別格とすれば、一代での処分件数としては、家康や秀忠を抜いて、歴代第1位の記録です。当時の大名家は全部で二百数十家ですから、5~6家に1家の割で、綱吉に処分された計算です。
将軍が綱吉でなかったら、まず処罰されるには至らなかったような、軽微な理由から処分されているのです。  代表的なものをあげると、お家騒動が起きたりしたために、藩政不良といわれて処分されたり、その宗家に連座して処分されたのが、徳川一門の越後松平家を筆頭に13家もあって、一番多い処罰理由です。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
単純にいえば、戦乱の時代が終わって徳川の世になり世襲体制になってしまうとどうにも経済的に動きがつかなくなるので、何かの理由をつけて「処罰」として切腹や改易、転封、減封、取り潰しにして知行などを変更する時代になっているのです。 処罰される側にとってみれば、全く納得いかないいちゃもんで切腹、取り潰しになるのです。 言い分けも聞いてもらえないし、反抗しようにも方法ないのです。「屈辱」でしかないでしょう。 
でも、仕方ないと諦めて、切腹に応じたのです。 
たぶん、どこの藩でも、似たようなことはあったのでしょう。
    • good
    • 0

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13786769.html
試験日に近づけば近づくほど気が散って目の前の問題に集中できず、ゲームとかに逃げてしまうのですが、これって異常ですか?
昔っから変わりません。

高学歴で良い職につかなければならないということを言われてきました。

勉強に集中して、親の期待に応えると、決めてください。

ゲームに逃げるのも、ネットに逃げるのも、やっていては、状況は悪くなる。
依存症になってから、これを治そうとするのではなく、
昔からだと開き直ってないで、目前のことに集中してください。
このままだと、今のポジションも失いますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

やめてくれれれれれ

お礼日時:2024/04/24 01:13

この様に武家の地位を失うというのは当時の


人々にとって屈辱だったのでしょうか?…
 ↑
そりゃそうですよ。

士農工商という概念があります。

これ、制度としては存在しなかった
ことが判明しています。
だから、2000年以降の教科書には
この言葉は出てきません。

しかし、そういう価値観はありました。

士農工商。

これは、国家に対する貢献度の
順を現した、中国の思想です。

士は、本来は武士ではなく
科挙の試験に合格したキャリア官僚の
ことですが、日本に導入されたときに
武士を意味することになりました。

武士の地位を失う、ということは
最も貢献度の高い地位から
貢献度の低い地位に落とされた、
ということですから
屈辱です。
    • good
    • 0

>当時の薩摩藩では切腹は取り潰しになったみたいです。


そうですか、それは屈辱ですね。

しかし『当時の人たちの価値観や思想』が『その原点』では無いでしょう。
そんな何世代も前の事を引きずっていませんよ。
じっさいあなたは引き継がないでしょう。
    • good
    • 0

>宝暦治水にあたった薩摩藩の武士で、理不尽すぎる幕命への抗議として切腹したとされています…



遙かに上の身分の人間に対する直訴や直言は重罪に当たるので、自ら切腹して処したと言えるでしょう。
最近アメリカなどでも話題になっている「SHOGUN」にも似たようなシーンがありましたね。
    • good
    • 0

切腹に処せられ、お家取り潰しとなると、よほどの重罪だったと思いますね。



似たような話だと、赤穂藩の藩主だった浅野内匠頭長矩ですね。
ただ、彼の弟が旗本として復帰を許され、昭和まで家が続きました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%87%8E …

ただ、武士と言っても家によって上下があり、下の方になると生活もままならない状況でした(私の先祖もその一つ)。
ですので、あなたの先祖が本当に身分が高かったのかは確かめないといけないでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

宝暦治水にあたった薩摩藩の武士で、理不尽すぎる幕命への抗議として切腹したとされています…
赤穂事件とも比較されますね。

上級武士であれば復帰されることもあったのでしょうが、恐らく下級だったので取り潰しとなりました。

お礼日時:2024/04/19 00:54

ちょっとよく分からんのですが切腹した後に生き返ったんですか


斬首打ち首とは異なり切腹は名誉です。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

そうなんですね。
当時の薩摩藩では切腹は取り潰しになったみたいです。

お礼日時:2024/04/19 00:57

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A