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室町時代~安土桃山時代付近(いわゆる戦国時代)の武士の髪型についてです。
武士は少しでも首を切られないように、髪を伸ばして今でいうポニーテールにしていると聞きました。
しかし、武将と呼ばれる人々の肖像画は、皆ちょんまげにしていて首の後ろには垂らしていないように見えます。
「少しでも切られないように~」という情報は間違いなのでしょうか?
それとも、階級によって異なるのでしょうか?

A 回答 (3件)

室町時代までは確かに「髪を伸ばして防御した」のですが、戦国時代になると鉄砲などの最新兵器ができたので、兜が大型になっていきます。

頭をすっぽり納めるヘルメット型になったのです。

そのため、総髪(月代を剃らない状態)だと兜が蒸れるため、月代にし、後は結んで兜をかぶったのです。そして兜を脱いだ時は結った髪をさらに上にあげるようになったのですが、これは烏帽子に髪をすべて入れるための工夫でした。ですので戦国初期の織田信長などの丁髷はあたまに乗っておらず、後ろに立っているがふつうです。

そして戦国時代が長引くにしたがって、常時月代を剃って置くようになります。これは「いつでも戦に出られる。主人の命にすぐ従える」という意思表示だったと言われます。ただ、一般的に後ろの髪は長く伸ばしてたこともあるでしょう。

ちなみに「大童(おおわらわ)」という言葉があります。地震でオオワラワのように使いますが、これは大人が右往左往して困っている状態なのですが、この語源は丁髷を結っていない時のサムライの姿が子供と同様(男の子は前に髪を残して真ん中を剃る)のことから、戦闘準備ができていない時に攻められてワラワラと焦っている姿から由来していると言われています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
髪で防御するのは鉄砲が戦場の主流になるより前、室町時代の前期~中期までの話だということですね。

追加の質問になってしまうのですが、月代の意味がそういったことなのであれば、月代が主流になった後も、庶民(武士ではない人)は月代を剃っていなかった=月代自体が武士の証みたいな感じだったのでしょうか?

お礼日時:2016/05/09 16:27

日常バージョンと戦場バージョンがあるんじゃないでしょうか。


ポニーテールにしたら、兜どころか帽子もかぶりづらいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
首を切られる恐れがあるのは戦場だと思うのですが、日常で不意に襲われることへの対策、ということでしょうか?
だとすれば、ドラマなどで戦ではないシーンでも皆結い上げているというのは間違い……?

お礼日時:2016/05/07 17:09

戦場では、兜を被りますよね。



あの兜を被るとムレますので、蒸れないように

月代を剃ってた、、と書いてあるのを見ましたが、、。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
月代だけ剃って、後ろを伸ばしているのではないかと思っていました。

お礼日時:2016/05/07 17:08

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去年の大河ドラマ「北条時宗」では、武士の髪型が剃っていない髪型でした。今年の「利家とまつ」の現在においてもまだ、剃っていないようです。いつ頃から誰が始めたのかご存じの方!教えてください。ちょんまげ・元服

Aベストアンサー

 
  手元に参照するものがないので、記憶で記します。まず、月代を綺麗に剃り、後ろから、結った髷の端を前に向けてまっすぐに垂らすというか、頭の上に置く、時代劇でよく見る髪型は、あれは江戸時代の武士階級の正装に伴う髪型であったのです。
 
  実用的には、月代(さかやき)というものは、鎌倉時代辺りから、職業的軍人としての武士階級が成立するにつれ、彼らは、農民兵と違い、常時、戦闘を念頭して日常生活を送っていたので、兜(立派なものも粗末なものも含め)を被る機会が日常的に多く、兜は、クッションを頭頂部に当てていたとはいえ、長時間被っていると、頭が蒸れて来るので、その対策のため、頭の兜が当たる部分の髪を剃って、蒸れないよう工夫したのが起源です。従って、月代を実用的に使っていたのは、戦国時代の武士だとも言えます。
 
  江戸時代の武士の月代は、一種の正装またはファッションとしてあるので、実はああいう風に髪を剃ってしまうと、別の問題も起こるし、髪結いが難しくなるということもあります(戦国やそれ以前の武士が、ああいう綺麗な月代でなかったのは、あれは手間がかかるからです。太平の世ならこそ、武士は、ああいう髪型に悠長に時間をかけることができたのだとも言えます)。
 
  髪型の要素として、月代だけではなく、実は「まげ」の形というか、必要性が関係してきます。まげというのは、江戸時代の町人のまげは、ほぼ完全にファッションですし、武士のまげもファッションです。それ以前、戦国・室町にも庶民がまげをしていたら、それも実はファッションです。
 
  ファッションだというのは、「まげ」には、元々実用目的があったからです。日本古代(といっても、6世紀以降を考えますが)には、中国を真似て官位制を置き、それぞれの制服を定めました。その時、中国では、「冠」が、位などを表す重要な飾りというか、衣装の一部だったのです。正装する時には、位のある者は、それに応じた冠を日本でも被ったのです。また、正装の時の冠以外にも、日常的にも烏帽子を平安貴族などは被っていました。
 
  「まげ」というのは、この冠や烏帽子を落ちないように止める働きを持っていたのです。まげで髪の塊を造り、その上に冠なり烏帽子を被り、「簪・かんざし」という長い棒で、冠・烏帽子を、そのなかのまげと結ばれるように、貫通して通して、こうして、少々動き回ったり、頭を下げたりしても、冠や烏帽子が落ちないようにしていたのです。
 
  何の話だったか忘れましたが、葵祭りの勅使の一人か、または名誉ある随行者として馬に乗って進んでいた老貴族が、ふとしたおりに冠が地に落ち、つるぱげの頭が露呈されたので、沿道の人々が大笑いしたという話がありましたが、老貴族は悠然と馬から降り、冠をまた被ってから、わしの頭には髪がない故、冠が落ちるのは理の当然、何の恥ずべきこともない云々と、大音声で説教したら、人々が、もっとも思い、恐縮したという話があったと思います。
 
  こういうことからいえば、江戸時代の武士のまげは、こういう冠を止めるためには、実用的に役に立たないまげだということが分かります。また、戦国までの武将や武士は、頭に何か被っている者がいましたが、江戸時代には、そういう風習はなくなりました。これは、日常的に烏帽子などを被るには、あの髪型・まげでは、無理があるからだとも言えます。(冠ではなく、色々な種類の笠を頭に被っていますが、笠は兜の展開したようなもので、顎で紐で結べばよいのです。烏帽子や冠は、紐で止めても形から不安定なのです)。
 
  こういうことから、庶民・町人のまげは、完全にファッションだと分かるでしょう。また、実戦が重要であった戦国時代は、江戸時代の武士の月代やまげのような面倒で非実用的なものは、排除したというか、発想外だったということにもなります。
 
  話が逸れますが、これと似ているのは、「刀」で、「刀は武士の魂」だなど言い出したのは、太平の江戸時代になってからで、それまでは、刀は実用の武器の一つだったのです。日本刀というのは、刃こぼれや、折れたりすることや、何人か人を斬ると、血油で切れなくなるとか、実戦的には、あまり役に立つ武器ではなかったのです。実際に合戦に参加するときは、あるかぎりの刀を持って行ったとか、刀はいざという時に使い、実際は棍棒などで闘ったというのもあります。
 
  優れた日本刀は、高級装飾品、工芸品、また宝物だったのです。実用の刀は、少々切れなくとも、折れず丈夫で、相手をぶち倒して、それを刺し殺せればよいというようなものでした。
 

 
  手元に参照するものがないので、記憶で記します。まず、月代を綺麗に剃り、後ろから、結った髷の端を前に向けてまっすぐに垂らすというか、頭の上に置く、時代劇でよく見る髪型は、あれは江戸時代の武士階級の正装に伴う髪型であったのです。
 
  実用的には、月代(さかやき)というものは、鎌倉時代辺りから、職業的軍人としての武士階級が成立するにつれ、彼らは、農民兵と違い、常時、戦闘を念頭して日常生活を送っていたので、兜(立派なものも粗末なものも含め)を被る機会が日常的に多く、兜...続きを読む

Q戦国時代の髪型

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よろしくお願いします。

Aベストアンサー

まず時代劇の考証は曖昧という事(江戸時代といっても長いので髷も流行があったのですがどれも同じになってますよね。)、それと戦国時代というのは室町時代から続く一時期ですから、そこだけ切り取るのは難しいという事をふまえて下さい。
参考URLのように古くは庶民でも烏帽子をかぶっていました。この場合頭のてっぺんに髪をまとめる髷の形でしたが、時代を経て烏帽子を略すようになります。といってもいきなり皆がかぶらなくなった訳ではないので戦国時代でも様々な層で被っていたと思いますが。庶民でいうと萎烏帽子ですね。
かぶらない場合の髪型は自然に後ろで纏めるものになったと思います。
そこからいわゆるチョンマゲに進化していくのですが、月代は鎌倉時代などの早い段階で存在していたようですね。武士に流行した理由として兜を被る際の要因は大きいと思いますが、ぶっちゃけハゲの人が開き直ってスッキリしてしまったというのもあったのでは、と考えてます。
とすると戦国物の時代劇でことごとく月代を見かけないのは少しおかしいと言えますね。何故か織田信長に多い気がします。
ちなみに月代が武士以外にも流行したのは江戸時代以降だそうで、一般の大衆の月代姿は少なかったと思います。

参考URL:http://members3.jcom.home.ne.jp/pehota02/equipment/headgear/headgear02.htm

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Q江戸時代頃まであった総髪という髪型

昔の男性の髪型の「総髪」というのは、確か学者とか医者などの髪型だったと読んだことがあります。
幕末には、新撰組もそうですが、剣客にも総髪の人が多かったようですが、これはどういう理由からですか?

また、総髪という形で、頭頂部あたりを剃らずに髪を残したのはなぜでしょうか?

Aベストアンサー

武士が月代を剃るのは、「戦の時は兜を被るから」です。実際は兜を一度も被らずに死んでいく武士も多かったでしょうが、武士である以上は「お召しがあればいつでも戦に出る覚悟」を示す象徴として月代を剃りました。

本来「武士以外の人」は月代を剃る合理的な理由はありません。ただ、江戸時代の平民で月代を剃るのはごく普通の風俗であったようです。以前「兜を被るはずのない平民が月代を剃るのは、『まともな人間』であるとアピールするため」という回答がありましたが、当時の平民に聞けば「他の人が剃っているから俺も剃る」と言う回答しか返って来なかったのではないでしょうか。

一方、武士と全く別な社会に生きている、武士の支配下には属さない公家や神官は月代を決して剃りませんでした。これは「武士の習俗は公家や神官には関係ない」からで、当たり前のことです。

「また、総髪という形で、頭頂部あたりを剃らずに髪を残したのはなぜでしょうか?」
質問の意味が良く分かりませんが、月代を剃らないのが総髪ですから…現代の男性で、自由業の方で髪を長くして後ろで結んでいる人がいます。あれをもっと長くして、髪を油で固めて後ろを持ち上げ、上の方で結べば「総髪」になります。

現代の「長髪男性」のように後ろで下向きに結ばないのは、公家や神主は冠(烏帽子)を被るからです。この場合、髪の毛を油で固め、結び目(髷)が上の方にあると、上からスッポリ冠などを被ることができます。

雛人形のお内裏様(親王様)が、冠を被っていない状態の写真
http://images.pingmag.jp/images/article/dolls09.jpg
を見てください。これが要するに「総髪」です。頭がこのような状態になっていないと、冠が上手く載りません。

武士が月代を剃るのは、「戦の時は兜を被るから」です。実際は兜を一度も被らずに死んでいく武士も多かったでしょうが、武士である以上は「お召しがあればいつでも戦に出る覚悟」を示す象徴として月代を剃りました。

本来「武士以外の人」は月代を剃る合理的な理由はありません。ただ、江戸時代の平民で月代を剃るのはごく普通の風俗であったようです。以前「兜を被るはずのない平民が月代を剃るのは、『まともな人間』であるとアピールするため」という回答がありましたが、当時の平民に聞けば「他の人が剃っ...続きを読む


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