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昔の人はどのくらいの頻度で月代を剃っていたのでしょうか?
時代劇などでは裕福な武家屋敷には月代を剃る職業の人が出入りしていたようですが一般の武士はどうしていたのでしょう?
江戸時代になり町人も月代を剃るようになると町には床屋さんのような店があったのでしょうかね。
また地方の町でもみんな綺麗にしていたのでしょうか?
時代劇では月代も髭も伸びているのは浪人やならず者なんですよね。

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A 回答 (2件)

武士は起床後先ず頭の手入れ、髪を結い直す習慣です。


家来がおればその助けを、妻女がおれば妻が手助けします。
専門の職人の出張を得ることもあったでしょう。

一般庶民は同様に手助けがいなければ、髪結い床という現在の床屋のような職業の所で手入れしました。
髪結い床は一種の社交場の役目も兼ね、時間待ちに碁、将棋、世間話に興ずる所でもあり、落語などによく登場します。

湯屋も風呂あがりに頭の手入れをする客があり、湯女や専門の髪結いが出勤することもあったようです。

以上は江戸の状態ですが、地方も大体このようなものだったようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
朝は妻女も大変だったのですね。
朝餉ももちろん無電化ですから忙しかったでしょうに。
町民はずぼらな人もきっといたんでしょうね。
私なんか毎朝の髭剃りが面倒でしょうがないです。
当時は頭が禿げてくる事は面倒が減ってうれしい事だったのかもしれませんね。(笑)

お礼日時:2006/03/02 19:51

こんばんは


江戸時代の髪結床は、江戸初期は永楽銭一文で結ったため「一銭剃」「一銭職(いっせんじょく)」とも呼ばれたそうです。
のち、幕府から営業権を認められ、天保期の記録では48組946戸、とあるそうです。

髪結床の種類(江戸)
出床(でどこ) 町の境界、空き地などに間口6尺、奥行き9尺を標準とする(小規模)店を構える。
内床(うちどこ) 町内にやや大きな規模の店を構え、親方、下職、剃出(すりだし=弟子)と、職制があった。
回り髪結  鬢盥をもって得意先を回る(縄張りとして営業権を独占)

髪結賃 28文  回り髪結は月ぎめで、月15度結(2日おき)で400文、6度結で148文だったそうです。

身分の高い武士は、毎日剃ったでしょうが、中下級武士や庶民は出床、内床、回り髪結を利用したのではないでしょうか。

ちなみに、髪結床は営業権を保証される代わりに、駆付といって南北町奉行所出火の際には、鑑札をもって駆けつけ、御用書類の搬出する義務を負っていたそうです。
また、髪結床の店・帳場・株札(営業権)はセットで売買され、天保期で2~300両から1000両と、きわめて高額だったようです。(営業権は独占保障されわけですから、かなり儲かったんでしょうね。「髪結いの亭主」(発祥は明治とのこと)という言葉も生まれるくらいですから)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
髪結って儲かったんでしょうね。

お礼日時:2006/03/04 10:12

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Q江戸時代の旅の手荷物や衣類・食事などは?

お世話になります。

時代劇を見ると、江戸時代の旅装束・手荷物・衣類・食事は、かなり少ない様子です。即ち、

●笠、合羽程度を振り分け荷物で着たきりスズメ

で、手ぶらのようです。その他には、せいぜい杖くらいです。泊りは宿場なので問題なしとしても、こんな軽装で旅が続けられたのでしょうか?

よって、質問です。

Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)
Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)
Q3.昼ごはんはあった?(平安時代は、朝夕の2回だそうですが・・・)

特に、食料事情は重要で飢饉があるくらいですから、食料が不足している可能性がありますが、お金があれば食べるには困らない状況だったのでしょうか。また、荷物が少ないし、着の身着のままみたいで、不思議です。お遍路くらい荷物が限定されたのでしょうか?

ご回答をよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

東海道を例にとりましょう。
東海道では、男足で15日位。
女足では20日位。
これを念頭において・・・

>>Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)

着物は1着。下着は2~3着・・・洗濯は道中の小川や池で行いました。そして、良く絞って油紙に包み持ち歩きました。


>>Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)

大概は、旅篭での朝夕の食事でしたが、途中の茶屋などで団子や饅頭などで代用しました。


>>Q3.昼ごはんはあった?(平安時代は、朝夕の2回だそうですが・・・)

昼飯はヌキが多かった。しかし、前述のように茶屋などで団子を食べたり饅頭を食べたり煎餅を食べたりしました。


>>特に、食料事情は重要で飢饉があるくらいですから、食料が不足している可能性がありますが、お金があれば食べるには困らない状況だったのでしょうか。

やはり、「銭」が一番でした。
農村部では飢饉などで困ったことでしょうが、旅篭などでは、米の流通を銭の力で優先的に差し押さえていましたので、旅人にはあまり不自由なく往来できました。


>>また、荷物が少ないし、着の身着のままみたいで、不思議です。お遍路くらい荷物が限定されたのでしょうか?

江戸時代書かれた「道中案内記」によると・・・

着替えの衣類(着物1着・下着2~3着)、脇差(道中差、女は懐剣)、頭巾(または笠、女は市目笠)、三尺手拭、扇子、矢立(筆記用具)、鼻紙、草履(草鞋)、財布、道中記・・・などを小物篭に入れて包み、肩から振り分けにして持参すると良いと書かれてあります。

(よもやま話)
江戸時代中期(文化・文政の頃)になると江戸も繁盛するようになり、小旅行がもてはやされました。
箱根の関所手前までなら、「通行手形」もいらなかったので、自由に往来できました。
日帰りまたは1泊2日くらいの旅としては、
箱根七湯、江ノ島詣、鎌倉見物、金沢八景、大山詣、成田山新勝寺詣、秩父三十三箇所詣、日光東照宮参り、
などが人気でした。

また、関所でも「○○講中」と書かれた白い上着を着て、それらしき旅姿であれば、通行手形は不要でした。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

東海道を例にとりましょう。
東海道では、男足で15日位。
女足では20日位。
これを念頭において・・・

>>Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)

着物は1着。下着は2~3着・・・洗濯は道中の小川や池で行いました。そして、良く絞って油紙に包み持ち歩きました。


>>Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)

大概は、旅篭での朝夕の食事でしたが、途中の茶屋などで団子や饅頭などで代用しました。


>>Q3.昼ごはんはあった...続きを読む


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