痔になりやすい生活習慣とは?

江戸時代の武士にも左利きはいたと思います。ですが刀を右の腰に差している武士(左利きならこの方が刀を抜くのに便利)を見た事がありません。実際いなかったのでしょうか?それとも不利な右腕を無理やり使っていたのでしょうか?

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A 回答 (8件)

 私は左利きで、高校時代、剣道部でした。

入部した際、構えをどちらにするか先輩方が話し合ってくれました。で、結論を言うと、普通に持つようにしました。
 結果、左利きでも問題はなかったです。確かに抜くのは多少抜きにくいかもしれませんが、それにはたいした困難はありません。それより、正眼に構えた時、右手は剣を上から添える形なので右手にあまり力はいらず、むしろ、左手がしっかり柄を支える必要が有るので、左利きでかえって便利でしたよ。
 また遠間打ちという敵をアウトレンジして上からきる技を使う時には、上段の構えから左足を大きく踏み込みながら剣を打ち込んだ瞬間に右手を離し左手だけしか使わなかったのでこれも左利き得意。
 というわけで、左利きの方が普通に構えた場合有利な気がします。
 真剣とは違うかもしれませんが、この手の意見がまだでていないんで、ご参考に。 
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この回答へのお礼

ありがとうございました。実感がこもっていてよく分かりました。
左利きの方が有利だ、ということは右利きの人は逆に(右手を手前に左手を前方に)構えたほうが力が出る、という事ですよね。生死を左右しかねない刀の握り方で不利な構えをすることはないと思うのにどうして武士は不利な方を選んだんだろう?という疑問が湧きました。
刀を抜く動作からの連続で考えないといけないのかなあ・・

お礼日時:2005/08/06 11:53

左利きの武士が出てくる映画としては「壬生義士伝」があります。

新撰組の齋藤一(佐藤浩一)が左利き、という設定で左手を上(鍔に使いほう)にして刀を振っていました。ドラマの設定ですが違和感がありましたね。なお、江戸時代の右利きへの矯正(特に武士階級)はかなり厳格で書道も右利きが前提ですのでかなり自宅での教育は厳しかったと思います。今日でも禅僧は必ず右手で箸を持つよう教育されます。
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一般的は武士階級は右利きに直させたのは間違いないでしょう。



しかし一部の特権階級だと話しは違っていたようです。テレビの番組でなんと左利き用の鉄砲が出てきました。これはある大名が自分のために作らせたものでわずか数例しかない珍品だそうです。

ここでは左利きの侍はドラマではないと言っていますが例外があります。それは”丹下左膳”ですこれだけが例外として左で刀を抜いています。
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江戸時代は髪型、服装、作法が極めて厳格に決められた社会でした。


他の方も言われるように、幼い頃から躾られるので、まともな武士なら刀を逆にさすことは無く、万一逆にさして往来を歩けば、町人が武士の真似をしていると見られ、非常に恥ずかしいことになります。
武士が町人に化けて町を歩いても、刀をさしての歩き方が身についてるので、見る人が見れば直ぐにばれます。
江戸期には余程のことが無ければ武士も刀を抜きませんから、矯正された利き腕でも困ることはないと思います。
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単純に言って、40台以上の人なら、左利きだとしても右で箸を持ったり字を書いたりするように、矯正されていると思います。

ですから、その年代以上の人の左利き(少なくとも箸を持ったり字を書いたりする手が左とう)率はかなり低いと思います。実際うちの父も箸とペンは右に持ちますが、それ以外は左の方が使いやすいと言っていますから、本当は左利きなのに矯正された人のようです。ボールをついたり、投げたりするのは左です。今時の若い人なら左利きは左利きのままって人も多いので、そう感じるかもしれませんが。
たとえば車のシフトレバーも国産車なら必ず左にあり、右利きだろうが左利きだろうが左手で操作することになります。使いにくくてもそれで慣れるしかないし、実際車に乗っていて、どちら利きの人は使いにくいって聞きませんよね。これと同じじゃないですか?
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江戸時代は左側通行でしたから、脇差しを左側にさしていないと、すれ違い様に斬りつけられたときに、応戦しにくいため、武家の子供は幼い頃から道場などで右利きに矯正されていたのだろうと思います。



現在でも軍隊では、右利きに矯正されるようですよ。(左側でライフル構えると薬莢が顔の前に飛び出して危ないため)
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剣豪として有名な宮本武蔵は左利きでした、これは宮本武蔵が晩年に描いた水墨画の筆使いから判明した事です。

宮本武蔵が二刀流を編み出したのも、利き腕の左腕を有用利用したかったからだと思われます。
時代劇に良く出てくる丹下左膳も左で刀を振るっていますが(というか右腕がないのですが)、刀を差していたのは左腰でした。ですから、当時の武士たちは習慣として左利きであろうがなかろうが左腰に刀を差していたと思われます。

ちなみに、TVゲームの「ゼルダの伝説」の主人公リンクは左利きで左手に剣を持っています。産みの親の宮本さんいわく、「左手に剣を持った方がかっこよく見えるから」(宮本さんが左利きである事も影響?)だそうです。
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江戸時代になると実戦もほとんど無いので、困らなかったのではないかと思います。


また数日前にテレビ番組で、「大奥第一章」に出演した瀬戸朝香(左利き)が、「昔の人には左利きはほとんどいなかったということで食事のシーンは右手で食べたが苦労した」と言ってました。本当に左利きが少なかったのかどうかは知りませんが、少なくとも時代劇の時代考証の人はそう考えているのは確かなので、テレビではみんな右利きになっているんでしょう。
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Q左利きの侍は刀をどちらの腰に差していたのでしょうか

タイトルどおりの疑問です。

映画などでも右腰に差している姿は見たことないので、やっぱり左の腰に差していたんでしょうか。

Aベストアンサー

剣道をやっている人で左利きに(左手が上で、右手が下)持っている人っていないですよね。

あれって、剣道を始める段階で否応なく右利きに合わせされられるんです。

…実は私、左利きで剣道やりはじめの頃は結構苦労しました。それでも、すぐ慣れます。


お侍さんも小さい頃から武術に励んだと思われますが、はじめから右利きに教えられるので、本来その人が右利きだろうが、左利きだろうがおかまいなしなんですね。

Q北朝鮮からミサイルが飛んできたら

 北朝鮮から核ミサイルが飛んで来て、永田町に落ちたとすると、被害はどのくらい広がりますか? 即死のみならず、疾病による死亡や後遺症も含めて。

よろしくおねがいします。

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■他サイトで同じような質問に答えているのですが、解りやすく新たなデータを追加したため長文となってしまいました。

 北朝鮮が保有する弾道ミサイルで、日本への発射が懸念される物にノドン2号とテポドン1号ミサイルがあります。
 ノドン2号は旧ソ連が開発したスカッドの亜種で、1,300kmの射程を持つと言われています。一方テポドンは1段目にノドンを使い、2段目にスカッドの弾体を結合して作った2段式弾道ミサイルで、射程も1,700km~2,200kmと見積もられています(射程および発射速度から中距離弾頭ミサイルとする記述もあります。が正直、どの数値が正しいという確証がないため、かなり曖昧な分類となっていることは確かなようです)。

 弾頭を搭載する2段目スカッド・ミサイルの弾体直径は0.9m弱で、弾頭を搭載するスペースが非常に小さく、核運搬兵器としては戦術ミサイルと呼ぶべき種類の物でしか在りません。
 同サイズのミサイルの弾体重量も最高で0.8tを下回り、最大重量を搭載すれば当然ながら最大射程まで飛ばすことはできず、目標距離を計算した搭載重量に低減させられることになります。

 核専用ミサイルとして新規設計するならともかく、化学・生物兵器弾をも搭載可能な柔軟性設計とするのが一般的な考え方であり、弾頭重量を500kgとした場合、そこに搭載される核弾頭は20~50kt程度と見積もることが出来ます。

▼弾頭の威力と被害予想に関する書籍やサイトを調べたのですが、詳しく述べている物を見つけられませんでした。

 現在、北朝鮮は20kt級核爆弾を7~8発製造可能なプルトニウムを抽出していると観られています。
 広島は投下されたLittle Boyは13kt(ウラン235)により20万人の犠牲者をだし、長崎もFatmanが22kt(プルトニウム)によりは7万4千人が数箇月の間に亡くなり、その後の調査で死亡者数が15万人にも達しました。平坦な広島に対して山間部による起伏が被害を減少させたのです。
 しかし、都会の場合、破壊された建造物が市街地を埋め尽くし、瓦礫と化した廃墟街を車輛で移動することは非常に困難であり、そのような地を人が歩くことも容易くはないでしょう。人口1200万(平日であれば都郊外からの近県から、多くの労働者が都心へと集まるため、被害想定人口はかなり高いと見るべきでしょう)の中心で核爆発が発生したシミュレーションをまだ目にしたことがないので解らないというのが本音です。

 ただ爆発後の死亡と放射能汚染による傷病認定が懸念されるかも知れませんが、他国からの攻撃であることを考慮するなら、政府も寛大に攻撃による疾病患者であることを認めるはずです。
 さらに大都市が核汚染に見舞われた場合、救援する側が対核防御服を身につけていなければ活動できないことです。日本ではこの手の状況対応能力が(ちいさな自衛隊部隊以外)ほとんどゼロであると言う事実です。つまり、救援したくても救援する側に被害が出るため救援活動が行なえず、放置された数日の間に助かる多くの命が失われるでしょう。

 個人的にはその数を500万~700万と見積もるのが妥当かと思っています。

■他サイトで同じような質問に答えているのですが、解りやすく新たなデータを追加したため長文となってしまいました。

 北朝鮮が保有する弾道ミサイルで、日本への発射が懸念される物にノドン2号とテポドン1号ミサイルがあります。
 ノドン2号は旧ソ連が開発したスカッドの亜種で、1,300kmの射程を持つと言われています。一方テポドンは1段目にノドンを使い、2段目にスカッドの弾体を結合して作った2段式弾道ミサイルで、射程も1,700km~2,200kmと見積もられています(射程および発射速度から中距離弾頭ミサイ...続きを読む

Q徳川家は八百万石なのに、どうして江戸の面積は狭いのでしょうか。

こんにちは。

私の手元に、「江戸(嘉永)時代大名紋章及び城郭図」という地図があり、それを見ていて疑問に思ったのですが・・・。
徳川家は八百万石という力を持っていたにも拘わらず、江戸と呼ばれる範囲はあまりにも小さいと気が付きました。
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江戸以外にも、直の領土があったのでしょうか。
それとも、広い城下町を持つ必要がなかったのでしょうか。

教えていただけたら、ありがたいです。

Aベストアンサー

徳川家は八百万石なのに、どうして江戸の面積は狭いのでしょうか。

日本全国の総石高が3000万石といわれている中、幕府直轄領の石高が400万石(13%)~450万石(15%)、旗本領が約400万石、合わせて800万石(27%)を上回り、全国の30%近くを占めます。面積について乱暴な言い方をすれば、同じ様な比率で直轄領及び旗本領を持っていたものと考えられます。ですから、全国の1/4近くの支配地を持っていたことになります(直轄領だけでいえば1/7程度)。
直轄領は、江戸時代には御料、御領、御料所などと呼ばれ、明治以降は天領と呼ばれますが、天領と呼ぶのが一般的です。全国に散在し、直轄地がなかったのは蝦夷地くらいのものでした。ただ、蝦夷地も、寛政11年1799に東蝦夷地を直轄領とし、文化4年1807には西蝦夷地も直轄領にします。この処置は、文政4年1821に東西共に松前氏に返却しています。
大きな直轄領としては、九州の日田地方、石見東部、愛媛東部、備中西部、播磨西部、但馬西部、大坂・堺・京都周辺、近江南部、大和南部、飛騨一国、中期以降の甲斐一国、三河・遠江・駿河・伊豆の過半、武蔵・安房・下総・上総の過半、常陸南部、会津西部、山形北部、秋田南部など全国に及んでいます。
一般に10万石以上の地域を支配する場合は郡代を、それ以下は代官を派遣して支配をしています。また、一部では譜代大名などに預けている場合もあります。
この他に全国の主要都市を、江戸・京都・大坂以外に、伊勢神宮門前町の山田、貿易港長崎、金山の佐渡、旧貿易港堺、他に奈良、伏見を直轄地として、遠国奉行を派遣しています(幕末には神奈川、下田、兵庫、新潟、函館などの開港地も直轄領化し、奉行を派遣)。
佐渡、伊豆、生野、大森などの主要鉱山も直轄地ですから、全国展開していました。

以上、参考までに。

徳川家は八百万石なのに、どうして江戸の面積は狭いのでしょうか。

日本全国の総石高が3000万石といわれている中、幕府直轄領の石高が400万石(13%)~450万石(15%)、旗本領が約400万石、合わせて800万石(27%)を上回り、全国の30%近くを占めます。面積について乱暴な言い方をすれば、同じ様な比率で直轄領及び旗本領を持っていたものと考えられます。ですから、全国の1/4近くの支配地を持っていたことになります(直轄領だけでいえば1/7程度)。
直轄領は、江戸時代に...続きを読む


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