
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
野武士とは特定の君主に仕官しない武士の集団と言う理解で良いと思います。
領地をもっている武士の場合には、なんらかしらの形で自身より強力な勢力の保護を必要としますが(保証してもらわなければ領地を奪われてしまいますから)、野武士の場合は大抵の場合領地からの年貢を経済的な基盤としていませんでした。また有力な大名の勢力が接する国境に拠点を構えていたようです。
戦時は隣接の大名の傭兵として稼ぎ、平時は国境という大名の勢力が及びにくい街道や水運の要衝において通行料を徴収したり(かわりに野武士の勢力圏での安全を保証していました)、富裕な村落を略奪したりして生活していました。ただし、「略奪」は野武士に限らず、当時の武士においては軍事演習と実益が得られる一挙両得の行動で、武士として「やましさ」を感じるような行為ではなかったようです。
交通の要衝で通行料を徴収し安全を保証する活動を通して、水運業者や馬借などの陸運業者との繋がりの深い野武士も多く、室町時代初期の「悪党」と呼ばれた武士と共通点が多いように思います(「悪党」には同族的な要素が強いのですが、「野武士」の集団では血縁関係は必ずしも重要な要素ではなかったイメージがあります)。
この回答への補足
お答えへのありがとう、renyさん
また、この「野武士」に関する専門的な書籍あるいは研究というはありませんでしたか
ご紹介してくれると、もっとありがとうございます

No.3
- 回答日時:
戦国の世では、
多種多様であったようです。
山賊のようでありながら、ほぼ領地を持っていたり。
と、言うのは、
豊臣秀吉の太閤検地以前は、
一つの土地の権利者が、二重、三重は当たり前でした。
大名の家臣の領地であり、※地侍の領地でもあり、
百姓の領地なのは当たり前で、
これで通っていました。
地侍は、百姓の年貢の他、通行料を取ったりしていました。
山賊の場合、武士百姓は関係無いですね。
その他、国を転々として戦になると兵として働く人もいたそうです。
今日は武田軍で戦をし、今度は上杉の方で戦った。
付いた大名次第で恩賞所か命も危ないので必死に良い方を選んだようです。
もちろん、やばくなったら、
ソッコーで逃げ出し、新しい国へ行きます。^_^
色々調べてみて下さい。
この回答への補足
お答えへのありがとう、sqwe-irさん
また、この「野武士」に関する専門的な書籍あるいは研究というはありませんでしたか
ご紹介してくれると、もっとありがとうございます
No.2
- 回答日時:
戦国時代は農民といえども軍制下では動員されれば兵士になる時代で武器も常備していました。
動員をうけなければ、戦死者の武器や鎧を奪って金に換えたりしたものです。
野武士はもと専業兵士であった者で、普段は略奪によって生活していたので徒党を組み集団化しなければ略奪はつづけられませんでした。
戦時になると集団で臨時傭兵となるので武力としては頼りになる存在なので、領主側も放任していた節があります。
これらがバランスして存在した社会といえます。
もちろん正業で生活した例もありますが、真田幸村の家臣団は真田紐を売り歩いて、諸国の情報を集める活動のカモフラージュをした後、大阪城に集団就職しました。
必要があればいつでも兵士になる所が後世の山賊、盗賊と異なる点です。
この回答への補足
お答えへのありがとう、ss79さん
また、この「野武士」に関する専門的な書籍あるいは研究というはありませんでしたか
ご紹介してくれると、もっとありがとうございます
No.1
- 回答日時:
「野武士」というと、主君を失ったりして野盗化した武士の「成れの果て」や、
普段は山賊さながらに生活しつつ、戦の時だけ武士として戦う者たちの事でしょうか
俗に言う「山賊」との一番の違いは、元が武士であること
主家再興のため、野武士として全国に散っている元の忠臣が決起結集して、なんてスジ立ても、時代物ではありがちですね。
(実際にそんな事があったのかは判りませんが、「里見八犬伝」にもそういった要素があります。)
この回答への補足
お答えへのありがとう、daidouさん
また、この「野武士」に関する専門的な書籍あるいは研究というはありませんでしたか
ご紹介してくれると、もっとありがとうございます
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