
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
武士にとっての石高制は、自分の身分の証です。
○○石の禄高であるということは、○○石の御恩を受けているので、それに見合うご奉公をするということになります。
武士は戦闘要員ですので、○○石の禄高というときは、○○石に見合う(自分も含めた)兵隊を連れて戦争に参加することということになります。これを軍役といいます。
だいたい一万石で250人となっており、戦国時代における軍隊の単位「備」において最低限の数字となります。それ以上少ないと、ほかの部隊と合体しないと 戦の役に立たない。
一万石以上が 大名 として扱われるのは、このへんから由来します。
戦闘時に単独で「備」を提供できるのが大名。
では、禄高26石となるとどうなるか?
一万石で250人を 逆算すると
40石で1名
40石あれば、最低限の一人の武士の構えができますね。というレベル。
その40石に 全然足らないのが 26石となります。
なので わずか26石 ということになります。
No.9
- 回答日時:
正確さは保証できません。
どんな歴史小説をお読みに?
物語を離れて、言葉を勉強するよりは、小説の文に触れながら身に付けられていくことだと思います。まさにこのタイトルの文言のように、なんだか分からないが一つ暗記した。
「家禄」
サラリーは個人の所得。家禄は家。サラリーマンが時代小説に親近感を覚えても、残念ながら、ぜんぜん違う人生。しいて言えば武士は自由業者や政治家に近い。何々一家という、やくざ。しかしやくざは個人主義。
武士は会社員のように個人的な上司も部下もない。家が一人の主君に忠誠を誓い、個人はその家に身を置く立場。社会的地位のようなものは家の家禄。知行何石が武家の領主としての実力を意味する。家老や部長への忠誠などない。軍役ではなく、平和な江戸時代では、結婚が家を成長させる仕事。福沢諭吉の「家」は13石二人扶持。嫁の「家」は350石の家柄。不釣合いの結婚。遠山の金さんの「家」は500石、嫁の「家」は4200石。部長の娘さんとかいう家格ではない。家の大きさ(石)。
仮に奉行が26石なら、現代の部下は安い報酬に尊敬を覚える。武士は違う。何で26石取りに100石取りの我が家が頭を下げるのだ。官位や役よりも気持ちは家禄。自由業者だから。肩書きにこだわるサラリーマン感覚じゃない。
加賀百万石は、それだけの土地を、大名以下、加賀の武士どもが牛耳っている表明(表高)。土地は武家の物ではない。地主は百姓。武士に払う年貢とは、地主に払う地代ではない。
福沢諭吉は、禄100俵のところ、幕府の翻訳御用として働き、職禄として50俵の足高を加え、計150俵になり、石に直して約60石取として幕臣になったと自伝しているようです。語弊ある説明になりますが、これは福沢家が領地(知行)150石取りの武家に出世したのではない。
金50両のような報酬は家臣でも武家でもない。それは町人を臨時雇用する時。裏を返せば、農工商の者には、石の報酬はやれない社会。
http://n-techs.com/archives/1729
この文章中の「勝海舟の父親は勝小吉といって、知行41石余りの旗本であった」は、おそらく正確な言葉遣いではないと思われます(私も正解は知らないが、用語を勝手に応用するのは混乱の元)。
知行取りには石、蔵米取りには俵、扶持米取りには扶持、をつけて区別するのが歴史感覚。そこが醍醐味。
「禄高わずか26石」の話は知行取り?もしも知行26石だとすると、その領地からの年貢米は、26石×0.35=9.1石だから大変(笑)蔵米26俵でも同様に0.35をかけます。
説明途中ですが、家禄は、野球のバッターと成績との関係のように覚えるもの。例えば150安打や15ホームランの程度を論理的に把握しない。みんな歴史小説を換算しながら読んでないでしょう。
勝家の41石の件、
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=c …
上記リンクから、
「勝家の家禄は地方取(豊嶋郡、多麻郡)22俵2斗5升6合6勺9才 と 蔵米取18俵1斗9升6合、
合計41俵1斗2合6勺9才 (3斗5升=1俵)。 それに扶持米が2人扶持で、この家禄は
麟太郎が百俵に出世する(二之丸御留守居格、文久2年7月)まで変わらない(除役高)。
(地方取22俵2斗5升6合6勺9才は、石高22石7斗3升3合4勺の三ツ五分=35%)
2人扶持を男女各1人とすると、1日5合と3合の計8合なので、年に約29斗。
当時の幕府の1俵は玄米3斗5升なので、29÷3.5≒玄米約8俵が勝家の扶持米。
合計50俵弱が勝家の年俸となり、札差買値を玄米3俵で1両とすると、おおよそ16両強、
小普請金(家禄を貰うが無勤務への代償上納金)2分を差引くと、ほぼ16両となる。
禄以外では四谷御箪笥町にある拝領屋敷(土地)277坪余を町人に貸出しているので、
年に4両ほどの収入になったか(夢酔は24歳の時、ここから20両前借りしている)。
一概には換算出来ないが1両=12万円として年収約240万円での家族5人の生活となり、
当時の大工の年収は40両弱(約450万)なので、勝家の約20両5人暮しは相当厳しいか。
(化政時代: 大工年収≒銀1,500匁、金1両≒銀40匁)」
読みながら次第に知っていくものですよ。
以上私見でした。
回答、誠にありがとうございました。とても勉強になりました!
小説は、山岡荘八氏の“吉田松陰”です。一回通して読んで、すごく感動し、わからない単語を勉強していけば、さらに物語を深く感じれるかなと思いまして。
大変勉強になりました。ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
59歳主婦です。
禄高は年収ですね。
一石=1両=10万円(現在の価格でこれくらい)
ですから 二十六石は、年収260万円くらいです。
よく 千両箱、、、とか言いますが、現在の1億円ですね。
ちなみに
文=25円
朱=1両の16/1=6250円
分=1両の4/1=25000円
といった感じでしょうか。
よく そば一杯 十六文 とか出てきますが 25円×16文=400円 ですね。
そば一杯 400円なら、現在とあまり変わり有りませんね。
江戸では 家康が基準通貨を慶長八年にきめました。
それでも 両 分 朱 までです。
一方、大阪では 秀吉が重さを重視した銀を発行し、発展させました。
江戸と大坂の 為替で 1両=60匁(1匁は3.75グラム)
1匁=1666円くらい。
また、 1貫文=1000文=25000円 くらいでしょうか?
時代によっても、多少 変わってきますが、江戸後期だと こんな感じです。
八百文(20000円)が束になった「八文差し」や二百文(5000円)が束に
なった「二百文差し」とかもあります。
まん中に四角い穴が開いており、そこに紐を通して束にする。
これらは、長屋住まいの町民が(も)頻繁に使うお金です。
厳密に考えれば この価格評価も 違ってくるでしょうが、
小説を読む上でしたら こんな感じで頭にいれられたら 小説も
面白くなると思います。
No.7
- 回答日時:
禄高とは武士の俸禄・給与の額という意味です。
分かりやすく言うとサラリーの額です。現代ではお金で表示しますが、当時は原則米の量で表示しました。また、現代は月給表示が多いですが年俸額、そして、先祖代々受け継がれることが原則でした。石はまず容量の単位の意味があります。1石=10斗=100升=1000合です。米の場合1合が約150gですので1石=約150kgとなります。ちなみに一俵=60kgですので1石=2,5俵となります。ちなみに一合は一食分の米とされ、1石はおおよそ一人分の一年間の米消費量と等しいとされています。また、江戸時代初期ではおおよそ1石=1両だったようです。
石の次の意味は土地の広さの意味があります。1石=1石の生産力のある土地です。
石高とは俸禄の額を石で表したものです。ですから、26石とは26×150kg=3900kgの生産力のある土地を与えられたという意味になります。
ここで問題が3つあって、1つが26石の石高で26石全てが収入になったわけではないことです。5公5民などの言葉がありますが、年貢としてとれるのは少なくて3割、多くて7割程度といわれています。5公5民として13石が1年間の収入となります。
2つ目が地方知行と蔵米知行の違いです。地方知行とは26石の土地を実際にもらい、自分で支配し、年貢を取り立てる方式です。ですから、年貢の率も自分で決めることもでき(実際は農民との交渉になるのですが)、また、農民を労役に使うこともできるなどのメリットがありました。これに対して蔵米知行は土地を与えられるのではなく、石高に相当する(年貢高を)米や金を大名・幕府などから与えられる方法です。この場合の年貢高は3~4割(4公6民)の率になることが多かったようです。4割として26×0,4=10,4石となります。大名・幕府にとっては率を抑えることができ、実際の年貢高と蔵米支給額の差もありますし、家臣の独立性も地方知行の比べ低くなるというメリットがあります。上級家臣に地方知行が多く、江戸の後期になるにしたがって蔵米知行が多くなる傾向にあります。また、地方知行のほうが同じ石高でも格が上と考えられていました。幕府では蔵米知行の者を蔵米取りと呼ばれ、禄高を200俵のように俵数で表すのが一般的でした。
3つ目が石高が軍役の基準でもあったことです。この件は他の方も書いていらっしゃるので以上で。
No.6
- 回答日時:
日本の武士階級は、概ね織豊政権期から明治初年まで、「米本位制」とでも言うべき、世界でも稀な俸給制度を採用しておりました。
前の方がおっしゃるように、プロ野球選手が参稼報酬(年俸「ねんぽう」)でその価値が計られるのと似ておりますが、武士の地位の高低は、高家(吉良家など幕府の典礼を掌る)など一部の例外を除いて、禄高が一応の目安になるものです(吉良の場合、禄高は低いけれども官位は高いものでした)。禄高は豊かさを示す指標だったようです。豊臣秀吉は、検地によって全国の田地・山林を「上・中・下・下下」の4階級に分類し、武家の所有する領地の「石盛」を行い、その土地から挙がる利益を米によって定量化しました。つまり、その土地から米換算で何石の収穫が見積もれるかを表示させたのです。「石」とは体積の単位で、ここでは米180.4リットルです。それ以前は、土地の面積を銅銭何貫文(1貫文=1000文=金1分=金1/4両)に相当するのかを示す「貫高」が用いられておりましたが、秀吉は商人の勃興を恐れ、身分固定化のためにも貨幣経済を潰しにかかったようです。もちろん、米だけもらってもどうしようもありませんから、米を大坂の蔵屋敷や江戸浅草の札差などを通じて貨幣に変える必要がありました。
同じ「禄高」でも、大名や交代寄合(参勤交代する旗本寄合席)などの大尽旗本や、陪臣(大名の家臣など、将軍直属ではない武士)でも家老などの重臣では「加賀百万石」というように「石高」を用いますが、下級の旗本や御家人・下級の陪臣では、「三十俵二人扶持」という具合に、「表高」で表す場合が多いようで、非常にややこしいです。米1俵は3斗5升(およそ63リットル)で、「扶持」とは、大名などがその家臣に俸禄として給与した米です(正確な体積は私も分かりませんが、大人一人が食べていける程度の量の玄米だったと記憶します)。
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